西国を獲れ
第45話 言えなかった未来
夢見の一日修行を終え、
光明に貰った豊葦原の地図を広げ、ああだこうだと話していた時、
「どうかしたのか、
「あ、いや。ちょっと思い出したことがあって」
「思い出したこと? 和姫抱き締めちゃった時の感触と……」
「違うっ」
バサラのからかいをぶった切る勢いで否定した
「そんなんじゃなくてだな。……和姫が、何か隠してる気がしたんだ」
「隠してる? 滝行の中で視たことをか?」
「何となく、行間というか、妙な間があったような気がして」
「ふうん?」
気付いていなかったバサラが首を捻り、それから肩を竦めて苦笑した。
「そんな不安そうな顔するなよ。オレは気にしなかったけど、お前は気付いた。ということは、きっとそうなんだと思うぞ」
「和姫、何か言いにくいことでもあったのかな」
「かもな。……訊きに行くか?」
バサラに問われ、
「いや、待つよ。おれの思い過ごしかも知れないし。今は、出来ることをする」
「だな」
二人が改めて話し合いを始めた頃、和姫は部屋で一人月を見上げていた。
満月の日、神と人との距離は短くなる。その日を狙って烏和里にやって来たという兼平は今、信功と話をするために席を外していた。
襖を開け、ぼんやりと空を見る。冷ややかな風が頬をかすめ、和姫はふるっと体を震わせた。
「そんなところにいたら、風邪をひいてしまうよ。
「兼平様……」
和姫が振り返ると、戻って来たばかりの兼平が立っていた。直垂を着た姿は美しい男のそれだが、実のところれっきとした女である。長い髪を紐でくくり、背中に流している。
少し酒を飲んできたと笑う兼平は、襖を閉めると灯りをともす。ぼんやりと照らされた室内に、襖越しの月影が伸びる。
どっかと胡坐をかいた兼平は、「さて」と和姫に目を向けた。
「和姫は何を物憂げにしていたんだ?」
「いえ、何も……」
「何もない、にしては悲しげだったぞ。それとも、師である私にも話せないようなものを勾玉の中に視たのかな?」
「――っ」
兼平の指摘に、和姫の顔はさっと青ざめる。
(あたり、か)
弟子が居心地悪そうにするのを見て、兼平は軽くため息をつく。びくっと体を震わせる和姫に、兼平は微笑みかけた。
「怒っているわけじゃない。寧ろ、案じているんだよ。そうぼんやりと考え事をしていたら、見えるはずの真実も見えないまま過ぎ去ってしまう」
「……」
「それに、あの二人は姫が塞いでいたら不安がるだろうな」
「……
「だろうね。では、私には教えてくれるか?」
「はい」
和姫とて、一人で抱え切れるものではないとわかっていた。しかし内容が内容なだけに、言葉にすることさえ恐ろしかったのだ。
(言葉にすれば、心を整えることは出来るかもしれません)
意を決し、和姫は師の顔を見上げた。手は震え、胸の奥も不自然に拍動している。喉も乾いていたが、和姫は無理矢理喉に唾液を流し込んだ。
息を吸い、言葉と共に吐き出す。
「実は、木織田の陣営の他にも視えたものがあったのです。激しい戦で傷つく者たちと、馬の鳴き声、血のにおい。その全てが、わたくしには現実のものとして襲い掛かってまいりました」
「うん。そこまでは予想通り、かな。……視えたんだろう? 見たくないものが」
「……はい」
涙がにじむ声で、和姫は頷く。声だけでなく、目元にも涙が浮かび、今にも零れ落ちそうになっていた。
兼平はそっと彼女の目元を拭い、話の先を促す。
和姫も兼平の言いたいことが分かり、大きく息を吸い込み吐き出す。何度かそれを繰り返し、ようやくさざ波だった心を少しだけ落ち着けた。
「わたくしが視たのは」
「うん」
「戦の場で、蒙利の武将に刺し殺される
「……!?」
目を丸くする兼平の目の前で、和姫の目から涙が零れた。
「どうして、と何度も問いました。わたくしは、こんな先を望んでなどいないのに。何故……何故、わたくしの願いを叶えると笑ってくれるあの人が、殺される姿など見せるのですか……?」
「和姫」
「か、兼平さま」
抱き寄せてくれた兼平にしがみつき、和姫は声を殺して泣いた。近くには梅が控えているはずだが、兼平が傍にいるためか姿を現さない。
「た、
「和姫、顔を上げなさい」
「――っ、兼平様……?」
突然発せられた厳しい声音。和姫はびくっと体を震わせ、ゆっくりと顔を上げた。顔は涙でぐちゃぐちゃになり、鼻も目も赤い。
それでも兼平は「聞け」と命じる。
「お前が視たものは、このままの状況が続けば来るかもしれない先の景色だ。和姫、きみはあの未来を望むのか?」
「そんなはず、ありません! わたくしは、二人にも、父上にも……誰にも死んで欲しくありません。あんな未来、望むはずがありません!」
「ならば、きっと変えられる」
「……え?」
突然柔らかくなった兼平の声音に、和姫は目を丸くした。涙が止まり、大きな瞳で兼平を見上げる。
「どういう、ことですか?」
「文字通りの意味だ。予見された先を変えたいという意志があるのなら、まだ変えることは出来るんだ。何故なら、和姫が視た景色は今ではないから」
「過去ではないから、変えられる……。
「そうだ」
「……」
和姫は兼平から離れ、居住まいを正す。そして、深々と頭を下げた。
「兼平様、ありがとうございます。少し、胸のつかえが取れたように思います」
「それはよかった。それで、視たものはあの子たちに伝えるのか?」
「……それは」
言葉に詰まる和姫の頭を撫で、兼平は困り顔を作った。
「他人の言葉だから、真に受けなくても良い。だが、あの子たちはきみが隠し事をしていても勘付くだろう。そんな気がする。だから、早めに言うことを勧めるよ。あの未来を、本当にしないために」
「……はい」
硬く手を握り締め、和姫は頷いた。込み上げてきたものを呑み込むには、もう少しだけ時を要する気がする。
兼平はそれを察し、軽く和姫の頭をぽんっとたたいた。
「頑張れ、我が弟子」
それだけ口にすると、兼平は颯爽と和姫の部屋を出て行く。
後に残された和姫は、ぎゅっと胸元を押さえていた。
月明かりに照らされた渡殿を渡り、兼平は一人廊下を歩く。
用意された客間は
(あれは、姫が己で言葉にしなければな)
頭をよぎるのは、大粒の涙を流して己の視た未来を嫌がる娘の姿。幼い頃から彼女を知っている兼平にとって、あの反応は新鮮なものだった。
気付けば、和姫の滝行に同行した二人の部屋の前を通り過ぎようとしていた。耳をそばだてれば、中から二人分の声が聞こえる。何やら、戦い方を話し合っているらしい。
(健気なものだな)
長く戦場に身を投じてきた兼平にとって、三人は眩しい。彼らが望むという豊葦原統一の話を信功から聞いた時、本当は笑い飛ばそうかと思っていた。
しかし、信功は「自分も笑い飛ばそうとした」と笑って言う。
「ですが、二人の目が思いの外真剣そのものでしてね。……賭けてみたくなったのですよ」
その時の信功の思いが、今の兼平にもよくわかった。夢物語だと笑い飛ばすには、真剣みが違う。
兼平は眠る支度を整え、横になった。急速な眠気に身を委ねつつ、頭の端に泣き崩れる弟子の姿が浮かぶ。
(あの娘は、己が何故あれほど涙を流すのか、わかっているのだろうか……?)
とうの昔に己が捨てた感情だ。兼平はくすりと笑い、瞼を閉じた。
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