第48話 信を置く場所

 蒙利の一軍が国を出た。その一報は、合同鍛錬のために約半数を兼平へ預けていた時期に届いた。

 信功は光明から知らせを受け、天井を見上げる。頭の痛い問題だが、目を背けるわけにもいかない。


「蒙利との戦に備えて、と考えたことが裏目に出たか」

「というよりも、向こうが焦ったのでしょう。先の戦でかなりの鉄を消費したはずですし、それに……」


 ちらり、と光明は部屋の外を見た。

 光明の視線の先には、領地内で捕らえた蒙利の斥候が閉じ込められた座敷牢がある。連れて来たのは領地の民だが、彼は己が蒙利の者だということ以外何も言わない。斥候とは、本来そういうものだと光明たちは思っている。

 主以外、口を割らない。もしも主に害成す者に捕らえられた場合には、己の死をもって守り切る。そういう者のことだ。

 だからこそ、信功はその斥候に尋問を行わない。死なれては蒙利により明白な戦の理由を与えてしまうことになり、こちらにとって不利となる。斥候を交換条件に据え、これから始まるであろう戦の切り札に使いたい。

 光明が外を見ていた意味を察し、信功は肩を竦める。


「光明、あやつの口は割れんぞ。無理をすれば、ここで自死されかねん」

「わかっています。ただ、彼が何のために烏和里に来たのかが気がかりですが。それを知ろうとすれば、痛い目を見るのは私たちですし」


 一旦諦めましょう。光明は微苦笑し、それでと話を戻した。


「先程、杉神様のところに早馬を送りました。無事に着いたとしても、先方が動くのは早くて二日後。そして蒙利が烏和里に差し掛かると考えられるのは、早くて二日後。ほぼ同じ時を有するとするならば、今打って出るしかありますまい」

「全く……。どうすれば戦はなくなるのか。民が穏やかに暮らせる世は、どうしたら来るのか」

「簡単なことですよ」

「簡単?」


 胡乱げな信功に、光明はすました顔で言い放つ。


「お館様が、全てを手に入れれば良いだけの話です」

「全てって、お前な……」

武士たけしとバサラが言っていたではありませんか。豊葦原を統一するのだと。そうすれば、誰も戦で死なない世になるのだと」

「わかっている。それに乗ったのはわしだ。だがな、時折わしで良いのかと不安になるんだよ」


 白湯を口に含み、喉へと流す。信功は曇りなき眼で己を見て天下統一を叫んだ少年二人の顔を思い出し、肩を竦めた。あれほどの期待をかけられる価値が己にあるのか、と。

 空になった主の茶碗に白湯を注ぎ、光明は呆れを表情に出して嘆息した。


「貴方は、私が生涯の主と決めたお人です。貴方お一人で出来ないとしても、私や克一、五郎太……それに、たくさんの武将たちがついております。まかり間違って道をたがえたとしても、無理矢理正しい道へと引き戻しましょう。ですからお館様は、ご自身が信じる道をお進み下さい」

「お前もそうだが、皆わしに対する信が厚過ぎやしないか? いつか本当にわしが道を間違えた時、確実に命を絶ってくれる奴はおらんのか?」

「……そんなことが生涯来ないことを、我々は祈っておりますよ」


 冗談めかした信功の言葉に、光明は痛みを堪える表情で応じる。主である男が軽々しくものを言う人ではない、と彼の配下の者なら誰もが知っていた。




 同じ頃、蒙利の一軍が山を越えようとしていた。

 その山は豊葦原を東西にわける大きなものであり、人々はその山裾を通るか山登りをするかで行き来している。それは戦へ向かう軍勢であっても同じこと。

 この戦において、蒙利軍には目的があった。それは豊葦原を全て蒙利のものとする、その足掛かりを得ることである。第一歩として、何度攻めても滅ぼすことの叶わなかった烏和里に狙いを定めた。


(烏和里の武将、木織田の後ろには杉神がいる。武富士は今や消えた、と父上はおっしゃっていた。……それにしても、何故今になって)


 蒙利の大将を務めるのは、言わずと知れた亜季の領主である蒙利秋照。今届いた文を読む青年、秋成の父である。

 秋照は別の道を通り、戦場へと向かって進んでいるはずだ。昨日、早馬が秋照の命令を伝えに来た。それによれば、木織田は万全の態勢ではないという。斥候による調べで、半数が杉神との合同演習に出ているとか。これこそ好機だ、と秋照は配下たちを鼓舞した。

 文が読み上げられた時、秋成を除く武将たち全員が咆哮を上げた。その猛々しく勇ましい者たちの姿に、秋成は辟易していたのだが。


「秋成様、お疲れですかな?」

「田上殿。いえ、疲れてなどおりません。今疲れたなどと申しては、父に叱られますからね」


 疲れた表情をしていただろうか、と秋成は己を省みる。父・秋照のいないこの軍において、田上は大将だ。父の信を得た彼にないことを勘繰られてもいけない、と秋成の表情は瞬時に作られた。顔を上げた時、それまでの彼の姿はない。


「そんなことより、田上殿。父上との合流地点まで、あとどれくらいかかりそうですか?」

「御父上とはこの先、山を下りた所で合流する予定でしたね。おおむね、二日といったところでしょうか」

「わかりました。田上殿もしっかり足を休めて下さい」

「ええ、有難く存じます」


 一瞬、田上の目に蔑みが映る。しかしそれは瞬く間に消え失せ、彼は秋成のもとを去った。


(やはり、私はお荷物だと思っているのだろうな。間違いではないが)


 山の中腹にあって、木々の生い茂る場所での休息だ。秋成の周囲に武士たちが多くいるが、それぞれの表情までは見通せない。

 秋成は人知れずため息をつき、己が身に付けている甲冑に触れる。温かさを持たない鉄のそれは当たり前のように冷たく、彼の心を示しているようだ。

 秋成は己が蒙利という武家の中で次の大将として期待されていることを知っており、同時に鬱陶しく思われていることもよく身に染みていた。

 武芸を得意とせず、知略にも適性を持たない。ただ体を動かすことが好きで、勉学に励むことが好きなのだ。そんな秋成を弟の照泰は慕ってくれるが、武将たちの間での評判は決して良くない。

 それは初陣を済ませた今も、変わることはない。秋成は逃げてしまいたい衝動を抑え込み、竹筒の中の水を口に含んだ。


「私が信ずるべきは、何なのだろうか」


 迷うことなど、本来は必要ないはずだった。それでも迷うのは、これから攻め入る国が秋成にとって特別な意味を持つ場所だからだろう。

 初めての友、武士たけしと名乗る少年と出会った国だった。

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