第26話 自覚

 信功が去り、和姫の部屋は一時静まり返る。

 妙な緊張感のある室内で、最初に耐えられなくなったのはバサラだ。わざとらしく、大きな声を出す。


「……しっかし、信功様も罪作りだな。あんな条件、呑むはずもないってのに。わざわざ和姫に見せずに、内々で処理しちまえばよかっただろうにな。な、武士たけし。……武士たけし?」


 すぐにでもツッコミを入れて来ると踏んでいた親友は、何処か遠くを見ていて反応が無い。バサラは武士たけしの前で手を振り、おーいと声をかける。

 すると武士たけしの目の焦点が合い、びくっと肩を震わせた。


「――え、あ。ごめん、バサラ」

「聞いてなかっただろ」

「聞いてた。だけど、考え事もしてたから反応遅れた……」

「そっか」


 それ以上の追及はせず、バサラはちらりと和姫に目をやった。

 和姫はと言えば、きゅっと唇を一文字に結んで何かに耐えている。打掛うちかけの端を握り締め、顔を真っ赤に染めていた。

 幾分冷静なバサラから見れば、最初から恥ずかしがってもおかしくはないとなる。しかし、和姫には自覚が今来たらしい。


(まあ、こっちも同じようなもんか)


 ちらりと武士たけしを見やれば、こちらも耳まで赤くして硬直している。別のことを考えて意識を逸らそうとしたのが先程の返答の遅さだろうが、とバサラは苦笑をにじませた。

 そろそろ気を紛らわせてやろう。悪戯をせず、バサラは武士たけしの肩にぽんっと手を置いた。


武士たけし

「――っ。び、びっくりした」

「はは、そんなにかよ。兎に角、頭をこっちに戻せよ。オレたちは、和姫の護衛を命じられたんだからな」

「あ、ああ」


 慌てて首肯した武士たけしは、深呼吸をすることで心臓を落ち着けた。先程から何度も何度も、和姫の頬に触れた感触が蘇ってどうしようもなくなっていたのだ。


(やわらかくて、壊してしまいそうで……って、おれはまた何を考えているんだ!?)


 ぶんぶんと頭を横に振りたい衝動を抑え付け、武士たけしは着物の合わせ部分を握り締めた。もう一度深く呼吸し、煩悩を頭の隅に追いやる。

 そんな武士たけしの様子を面白く見ていたバサラは、武士たけしが真剣な顔をしているのを見て茶化すことを止めた。代わりに、どうしたと尋ねる。


「何か気になることでもあるのか?」

「いや。……何で今更、和姫への縁談で戦をやるかやらないかを迫って来たのかと思ったんだ」

「ああ、確かにな。木織田に姫がいることなんて、知られていそうなものなのに」

「正直、おれたちの感覚だと嫁ぐなんて早過ぎる。だけど、この世界が戦国時代と似ているなら、姫の年齢は早くない。……考えるのも嫌だけど」

「ふぅん?」


 何故、和姫の嫁ぐ嫁がないという話を考えるのも嫌なのか。武士たけしは自分の気持ちの正しい名前に気付いていない。しかしそれも時間の問題だろう、とバサラは知っていた。


「何で嫌なんだ? オレも、和姫がそんなわけわかんない奴のところに行くなんて反対だけどな。大事な友だちを、悲しい目に合わせたくない」

「それは、おれだって……。嫌だ。姫の泣く顔を見たくない」

武士たけし、バサラ、ありがとう。とても、その心が嬉しいです」

「姫、必ず守るから。泣かないでよ」


 再び涙を流す和姫に、武士たけしはしっかりと宣言して見せる。そしてもう一度、壊れ物を扱うかのように優しく、長い袖の裾で和姫の目元を拭った。


「武富士なんかに、渡さない。きみはおれの――……。な、何でもない」

武士たけし? あの、何処へ」

「ちょっと、かわやに行って来る!」


 バタバタと部屋を出て行く武士たけしに、ぽかんと見送る和姫。そしてバサラは、笑いをこらえるのに必死だった。


 和姫の部屋を出て、廊下を突っ切り渡殿を渡る。その間、誰ともすれ違わなかったことは武士たけしにとって幸いだった。


(顔、あっつ……)


 厠の前の廊下を左に曲がり、庭に出た。近くの川から水を引いたという大きな池には、橋がかけられている。その欄干に額をつけ、熱を冷ます。

 しかしそれでも引かない熱を持て余し、武士たけしは途方に暮れた。

 ふと池に視線を投じれば、太陽が赤く水を染めている。既に日が落ち始めたらしい。


「戻らなきゃ。和ひ、めのところに……ああくそっ」


 胸の奥が痛い。ズキズキと心臓を鷲掴みにされたかのようだ。よろよろとしゃがみ込み、武士たけしは組んだ腕に頭を埋めた。


「……何してんだよ、武士たけし。夏とはいえ、風邪ひくぞ」

「ば、さら?」

「――ふっ。情けない顔してやんの」


 武士たけしが顔を上げると、そこには腰に手を当てたバサラが立っている。親友の登場にほっとした武士たけしだったが、まだ顔が熱いことを自覚して顔を背けた。


「ご、ごめん。探しに来てくれたのか? 和姫は……」

「姫は気にしてなかったぞ。それ以上に、考え事があったみたいだけどな」

「考え事?」

「お前はそっちよりも、自分のことを気にしろ。なんか、わかったんじゃないのか?」

「えっ」


 目を丸くする武士たけしの胸元に向かって指を差し、バサラはニヤッと笑った。


「正直、お前がそれに気付くのは悔しいけど。……まあ、仕方ないだろ。和姫だし」

「お前、何言って」

「後は、自分の胸に手を当てて考えてみろよ。頭で考えるなよ? さっき、お前自身が、和姫が嫁がされるかもしれないって知った時の感情を思い出せ」

「あの時の、感情……」

「正直、あの時のお前はだったぜ」


 後は自分で考えろ。そう言って、バサラは武士たけしの制する声に耳を貸さずに自室へと戻ってしまった。

 置いて行かれた武士たけしは、その場で胸に手を当てる。


(和姫が嫁がされるかもしれないって知った時、そんな提案がされたって知った時、おれは、何を思った?)


 ふざけるなと思った。何故。和姫を盗られると思った。何故。異世界へと自分たちを召喚した姫君、それだけの存在ではない女の子。優しく、他人想いで、とてもかわいい。彼女の傍にいると、緊張すると共に心が安らぐ。それは――


「おれ、は……っ」


 ドクンッと心臓が鳴る。顔を真っ赤にして、武士たけしはその感情の名前を見付けた。

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