第25話 敵将からの文
武佐志の動きを窺っていた信功のもとに彼の地から文が届いたのは、夏の終わりが近付いた頃だった。ヒグラシが鳴き始める時期、元太が受け取った文が信功に届けられる。
「これは……武富士殿からの文?」
「武富士といえば、武佐志の。こちらにいつ進軍してくるか、と様子を見ていましたが。まさか向こうから文を送って来るとは思いませんでした」
「そうだな、光明。さて……」
「……」
若干雑に折り畳まれた文を広げ、信功は文字を追う。
黙って主が読み終わるのを待っていた光明は、徐々に信功の顔が険しくなっていくのを見て取った。普段感情を表に出し声を荒げることの少ない信功だが、こうも不満げな顔をすることは珍しい。
光明は克一と目配せし合い、機会を見計らう。信功が最後まで読み終わった時、文を持つ手は力が入り過ぎて震えていた。
ふっと信功が息を吐き出した後、光明が口を開く。
「お館様、何と書かれていたのですか?」
「……訊きたいか? 光明、克一」
「はい」
「我にもお聞かせ願えまするか、信功様?」
「……読め」
ぐいっと文を押し付けられ、光明は戸惑いながら「失礼して」と文を開いた。押し付けた張本人である信功は、眉間にしわを寄せたままで腕を組む。
光明の横から覗き込んでいた克一は、そこに書かれた内容を読み、理解して目を見開いた。隣では、普段冷静沈着な光明も唖然としている。
「こ、これは何というっ」
「……お館様、これは」
「流石の光明も言葉を失ったか。その気持ちはよぅくわかるがな」
部下二人が驚きを見せたことで、ある程度信功の気持ちは落ち着いた。それでも怒りが覚めたわけではないが、冷静に言葉を発することは出来る。
数回深呼吸を繰り返し、信功は文を持ったまま立ち上がった。
「何処へ行かれますか、お館様」
「……姫のところに。断るが、一応見せておいた方が良いだろう。克一、
「承知致した」
信功に命じられたことでようやく少し冷静さを取り戻した克一は、それでもバタバタと大きな足音をたてて去って行く。
克一を見送り、光明は眉間にしわを寄せたまま手元の文を握り潰す主を見守っていた。彼にとっても、まさかの事態だ。
しどろもどろになりつつも克一によって、簡潔に「和姫の部屋に来てくれ」と頼まれた
歩きながら、大慌てだった克一の様子を振り返る。
「――あんなに取り乱した克一さんを見たのは初めてだったな」
「ああ。少ししてから来いって言われたけど、何なんだろう? ……何か、凄く嫌な予感しかしないけど」
「確かにな。お前、顔色悪いけど大丈夫かよ?」
バサラが隣を歩く
しかし、
「予感だけだし、何もなければそれで良いよ。ほら、行くぞ」
「……克一さんの様子からして、そんなこともなさそうだけどな」
「バサラ? 置いてくぞ」
「おお、すぐ行く」
立ち止まってしまったバサラを不思議に思ったのか、
バサラは思考を一旦止め、親友の後を追った。
和姫の顔色は青く、白に近い。更に文を広げる手は震え、今にも取り落としてしまいそうだ。
「あの、お館様、和姫」
「何があったんですか? オレたちを呼び出すなんて珍しいですね」
「あ、ああ。来たか、二人共」
ようやく二人の到着に気付いた信功が、弱り切った顔で振り向く。ここまで戸惑いを見せる信功も珍しい、と二人が思う間もない。
文を読んでいた和姫が、顔を上げると同時に叫んだ。
「
「え? あの、姫? ――わっ!? 何で泣いてるんだよ」
ぽたぽたと和姫の目じりから涙が溢れ、指を伝って床を濡らす。
和姫が好んで自分が選んだ布地で作られた小袖を着ていることを喜ぶ間もなく、
一度拭うくらいでは止まらない涙を流しながら、和姫は間近にしゃがむ
「武富士殿が、わたくしを息子に嫁がせるならば、烏和里へ兵を進めないと……」
「……………は?」
「
ドスのきいた声と何かを殺しそうな顔に対するバサラの冷静なツッコミを受け、
「お館様、どういうことなのですか?」
「聞いての通りだ。武富士は、あろうことか我が姫と戦を交換条件として挙げてきた。国の民を惜しむなら、姫を差し出せ……そんな馬鹿な事をしようとも思えないがな!」
ダンッと床板を殴りつけた信功は、拳に伝わった痛みで我に返る。ふーっと長い息を吐き、娘から文を受け取った。
「――とまあ、これをお前たちに伝えようと思った。そして、わしの覚悟をな」
「覚悟?」
「そうだ。……わしは、当然の如くこの誘いには乗らぬ。向こうは己の強さを鑑みて文を寄越したのだろうが、意味がなかったことを悟らせねばなるまいよ」
ニヤリと歯を見せた信功に、先程までの狼狽はない。娘たちを前にして、絶対の勝利を約定する。
「和姫、父を信じよ。お前を悲しませることはない」
「――はい、父上」
しっかりと頷く和姫の目は真っ赤だが、それでもこれ以上は泣くまいという意思が見える。
信功も娘の言葉に大きく頷くと、控えていた
「
「守るって……。信功様は、武富士の伏兵が忍び込んで来ると思っているのですか?」
「その通りだ、バサラ。わしらが留守にすれば、館に残るのは女ばかりになる。勿論克一や家人もいるが、この娘にずっと従っていることは難しい」
しかし、お前たち二人ならば可能だろう。と、信功は微笑んだ。
「頼むぞ、二人共」
「――はい」
「任せてくれ、信功様」
いつになく真剣な願いに、
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