第43話 水没

 激しい水に打たれ続ける和姫を見守りながら、武士たけしは心配でたまらなかった。そわそわとする気持ちを抑え込もうとするが、うまくいかない。


武士たけし、そわそわし過ぎ。もうちょっと鷹揚に構えてろよ」

「出来るかよ……。和姫があんなに頑張ってるのに、おれには何も出来ないのかって考えるしか出来ないのは、辛いんだ」


 拳を握り締め、武士たけしは呻くように吐き出す。

 それを聞いたバサラは、目を見開いて「意外」と呟いた。


「和姫と代わってやりたいとか、止めさせたいとか言うかと思った」

「勿論、思わないではないよ。体が弱いことは知ってるし、あんな無理はしないで欲しい。……だけど、和姫が決めたことだから。おれがとやかく言えるものじゃない」

「なんか、大人になったな、お前」

「そうかな?」


 しみじみとバサラに言われ、武士たけしはきょとんと首を傾げた。


「そうだよ。人の心配ばっかして、自分を後回しにする癖は変わってないけど。今は相手を尊重して自分の心配を押し付けてないだろ?」

「……何か、お前も成長したよな。バサラがそんなかっこいいこと言うなんて思わなかった」

「だろ? これでも、修羅場を掻い潜って来たからな」


 ニヤッと笑ったバサラは、自分より五センチ程背の低い武士たけしの頭をぐりぐりと撫でた。

 武士たけしは「やめろよ」と言いつつ、バサラの手を無理に跳ね除けはしない。しばらくバサラのやりたいようにやらせ、飽きるのを待つ。

 そして滝の音を聞きながら、武士たけしは和姫の姿を見詰めた。


(おれの手にあるのは、物理的に戦うための力だけ。和姫がいるところとは、全然違う場所に居るんだ。……あの娘の助けになることは出来ない。見守ることしか)


 それでも、と武士たけしは願う。自分の手で大事な人を護れるようになりたいと。想いを自覚し、逃げない覚悟も決めたのだから。


「……し。武士たけし!」


 じっと考えに耽っていた武士たけしは、肩を揺すられて顔を上げた。そして、バサラが指差す方向を見て目を見開く。


武士たけし、見ろよ」

「――えっ」

「始まったようだな」

「始まった?」


 兼平の言葉に疑問を投げかけるが、彼女は顎で「見ていろ」と暗に示すことしかしない。武士たけしとバサラは仕方なく、目の前で起こることを見詰めた。

 滝に打たれ水飛沫の中に身を沈めていた和姫の姿が、淡い桃色に発光して見える。見間違いかと瞬きを繰り返した武士たけしだが、光景は変わらない。


「……? 見間違いじゃなけりゃ、和姫光ってないか?」

「おれにもそう見える。え、何で……?」

「ここは、神の座する滝だ。和姫の心に応え、神が舞い下りたんだよ」

「神、綺麗だな……」


 バサラのふんわりとした感想に、武士たけしも「ああ」と頷く。

 和姫の姿が滝の中にあってもはっきりと見え、水を弾いているようにも思える。彼女は徐々に水面に浮かび上がり、流れ落ちる水はその体を避けて行く。ゆっくりと和姫の体は上昇を続け、滝の始まりまで達しかける。ぼんやりと瞼の開いた瞳に感情の色はなく、虚空を見詰めていた。

 そして、突如として光は消える。


「和姫――っ!?」

武士たけし! 和姫!?」


 真っ逆さまに落下する和姫を助けようと、武士たけしは自ら滝壺に飛び込んだ。それとほぼ同時に和姫も落下し、バサラが悲鳴を上げる。

 バサラは水面すれすれまで駆け寄り、武士たけしと和姫の姿を探す。しかし滝の大きな水飛沫に阻まれ、水中を覗くことが出来ない。


「オレも」

「やめなさい。案ぜずとも良い。ここに焚火をしているから、大人しく待っていろ」

「何を根拠に……」


 自らも水に入ろうとするバサラの肩を、兼平が引く。

 自分の手を払い除けたバサラに対し、兼平は「見ろ」と言いたげに顎をしゃくった。素直にその指し示された方向を見たバサラは、目を見張ることにある。

 バサラが見たのは、滝壺から和姫を抱き上げてきた武士たけしの姿だった。びしょ濡れになって髪から水滴を垂らし、武士たけしは震えながらも和姫を手放さない。

 武士たけしはバサラに気付くと、無理をして微笑んだ。


「……ば、さら」

武士たけし!? おまっ、こっち来い!」


 バサラに背中を押され、武士たけしは和姫を焚火の傍に横たえた。そして自分の衣の裾を絞り、視界を奪う前髪をかき上げる。彼の視線は、和姫から兼平に移動した。


「兼平さん、姫をお願いします。このままでは、確実に風邪をこじらせてしまいます」

「わかった。着替えはあるから、頼まれよう。……きみは?」

「おれは……」

「とりあえず服脱げ馬鹿! お前も風邪ひいたら、和姫が悲しむぞ!」

「わ、わかってる」

「なら、頼むぞ。バサラ」

「はい」


 兼平が和姫を抱き上げて何処かに連れて行く。それを見送ったバサラに直垂ひたたれと小袴を脱がされ、武士たけしは震えながら焚火にあたった。徐々に体は温まるが、秋風が吹けば冷やされてしまう。

 思わずくしゃみをした武士たけしを見て、バサラが突然直垂を脱ぎ出した。


「お前、何やって……うおっ」

「それ着てろ。オレは水に浸かってないから平気」

「助かる」


 バサラの直垂を羽織り、武士たけしはようやく息をついた。バサラはといえば、彼の隣に足を投げ出して座り込む。

 大きなため息をつき、バサラはちらりと武士を横目で見た。


「しっかし、びっくりしたな。和姫は浮くし落ちるし、お前まで飛び込むし」

「飛び込んだ時は、ほとんど何も考えてなかったよ。助けなきゃっていう一心だった。バサラには心配かけたけどな」

「そんなことだろうと思ったよ。ほら、ちゃんと火にあたれよ」

「あんまり近付いたら火傷するだろうが」


 そんなこんなでじゃれ合っていると、二人の後ろから「お待たせしました」という聞き慣れた声が聞こえた。振り返ると、乾いた白の衣に袖を通した和姫が兼平と共に微笑んでいる。

 武士たけしは思わず立ち上がりかけ、和姫とバサラに押し止められた。


「和姫、寒くはないのか?」

「滝に打たれている時、不思議と寒さを感じないのです。ですから、大丈夫ですよ」

「そっか、よかった」

「……わたくしよりも、武士たけしの方が寒そうです。滝壺に落ちたわたくしを助けて下さったと聞きました。ありがとうございます」

「――っ、いや。姫が無事ならそれで良い」

「……ありがとうございます」


 ふいっと顔を反対側に逸らしてしまった武士たけしの隣にしゃがみ、和姫は笑みを零す。心からの謝辞は、囁くように彼の耳に届いた。


 二人の様子を見守りながら、バサラは内心笑いたくて仕方がない。武士たけしを挟んで両隣にバサラと和姫がいるため、和姫から目を逸らした武士たけしが顔を向けるのは、必然的にバサラの方になる。真っ赤な顔をして何かに耐えている親友を眺めるのは、バサラにとって娯楽の一つになっていた。


 そんな三人を後ろから見ていた兼平は、肩を竦めて微笑む。それから焚火を挟み、三人の前に腰を下ろした。


「落ち着いたことだし、和姫」

「はい」

「勾玉の中に何か見たか? あれば、それを教えてくれ。きっと、これからのお前たちに関わる何かだろうからな」

「……はい」


 深く頷き、和姫は手の中の勾玉を握り締める。そして、滝の中で視たものを語り始めた。

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