第31話 待ち人

 一方、武富士の陣の近くの高台。

 武富士が己の国の境界に建てた城の奥に、座敷牢として使われる部屋が一つあった。襖の前には二人の若侍が周囲を睥睨し、中に閉じ込められた者が逃げ出さないよう見張っている。

 夜が更け、交代だと言ってもう一組の男たちが現れた。彼らは若侍よりも年上の、経験ある武士である。


「お疲れさん、代わろう」

「ありがとうございます」

「ありがとうございます。宜しくお願い致します」

「ああ。明日には雪崩れ込むと聞いているから、体を休めろよ」

「はい」

「休ませて頂きます」


 挨拶を交わし、若侍たちが去る。彼らを見送り、壮年の武士たちはどっかと襖の前に胡座をかいた。

 二人の手元には、酒を入れた徳利とぐい呑みがある。見張りと称しながら、彼らは月見酒を決め込もうとしていた。


「全く、満月だというのに戦とは。おちおち酒も飲めんわ」

「そんなことを言いながら、赤い顔をしておるのは何処のどいつだ?」

「それはお主もだろう? はっはっは」


 秋の気配が少しずつ近付いている。それを肌に感じながら、二人は酒を飲みつつ見張りを続けた。

 しかし、襖の裏で一人の少女が何をしているかなど気にもかけない。彼らにとって、少女は見た目からして弱く、逃げることなどないように見えたから。


「満月、なのですね」


 全ての窓が和紙で閉じられ、外を覗くことも出来ない。和姫は襖越しに淡く射す月の光の下で、下ろした瞼を震わせた。

 ここに連れて来られて、何日経過しただろうか。ぼんやりとした日の光と月の光を頼りにするしかない部屋で、和姫は一人孤独に耐えている。

 あの日、和姫は偶然武士たけしとバサラの会話を漏れ聞いてしまった。武士たけしが自分のことを好いてくれているという言葉に、和姫の胸は締め付けられるように痛みを発する。


(どうしてあんなにも切なく、痛みを覚えたのか。……今ならば、わかります)


 血を見ることにも人を殺すことにも抵抗を感じながらも、この世界で生きることを諦めなかった意志。そして、護りたいものを護るために刀を取ると決めた強さ。自信なさげだった笑顔は、いつの間にか弱さを感じさせないものへと変化していた。

 バサラの陽気さと明るさ、意志の強さに隠れて目立たない。しかし和姫の心は、武士たけしの温かさが支えていた。


(だから、わたくしは帰らなければなりません)


 自分が共に居たいと願う人々のもとへ、一刻も早く帰らなければ。和姫はそれを誓い、この数日を過ごしていた。

 朝と晩、一日二回食事が届けられる。その隙を突きたかったが、持って来るのは老女でも、彼女の後ろに控える男は屈強そのもの。力の弱い和姫では、すぐに捕まってしまう。

 更に部屋を調べて外に出る術を探したが、座敷牢として使われているだけあって抜け目はなかった。

 結局、和姫は大人しく待つことしか出来ない。武士たけしとバサラが自分のいないことに気付き、助けに来てくれることを。


武士たけし、バサラ……」

「残念だがお姫様、助けなど来ませんよ」

「貴方は」


 人影の見える襖を和姫が睨み付けると、音もなく開いたそこに武富士玄定が仁王立ちしていた。玄定は怯えを表に出さない和姫に感心しながらも、腕を組んで威圧を増す。


「いけませんよ。貴女は大切な人質なのですから、大人しくしていて頂かなければ」

「――っ。人質というものは、双方の同意があってこそ成り立つもの。わたくしはかどわかされたのですから、れっきとした人攫いです」

「はっはっは。一国の主を掴まえて人攫い扱いとは、姫様は相当肝が座っておられるようだ」


 和姫の主張を笑い飛ばした玄定は、ひょいっと廊下にいた見張りたちを振り返る。彼らは突然現れた玄定に驚き、平伏していた。酒はといえば、中途半端に残って置かれている。

 玄定は徳利を傾け、中に残っていた酒を直に飲み干す。陶器の徳利を盆の上に置くと、のそりと移動して和姫の目の前に腰を下ろした。

 大男の威圧感に気圧されそうになりながら、和姫はぎゅっと膝の上で拳を握り締めて男の顔を見上げる。声が震えないよう細心の注意を払いつつ、しっかりとした口調で問いかけた。


「何故、わたくしをここに連れて来たのです? 既に、婚姻についてはお断りしたはずですが」

「その通り、断られた。オレとしてはとても良い条件だったと思うのだが……お前の父上は、オレとそんなにも戦いたいらしいな?」

「……」

「だんまりか。まあ、良いさ」


 これから、嫌でも思い知るだろう。玄定はそう言うとほくそ笑み、表情を変えない和姫を眺めてまた笑った。


「本当に、お前は面白い姫君だ。大抵のおなごは、オレのことを真正面から睨み付けることなどしない。……オレがもう少し若ければ、娶るところだったのだがな。まことに残念だ」


 残念だと言いつつ、玄定は楽しそうに笑っている。

 和姫は彼のようすに内心ぞっとしながらも、気を奮い立たせて振舞った。


「まだ、問いに答えて頂いておりませんが?」

「うむ? そうであったな。――さて、お前をここに連れて来た訳だったな」

「はい」

「和姫、お前は世にも奇妙な術を使うそうだな? なんでも、夢で今後のことを視られると聞いた。木織田が小さき国であるにもかかわらず生き永らえているのは、お前の力によるところが大きいと聞く。これは面白い、我が国に欲しい。そう考えたからだ」

「……わたくしの力は、わたくしが大切だと思う存在のために使うと誓っております。ですので、例えわたくしを武佐志に縛り付けたとて、何にもなりは致しますまい」

「それも、杉神の教えか?」

「ご存知でしたか。その通りでございます」

「ふん……」


 淡々とした受け答えをする和姫が面白くないのか、玄定は口を尖らせる。

 しかし玄定の機嫌を損ねたとしても、和姫の気持ちは変わらない。彼女の心には、家族と国の民、そして失いたくない二人の友の姿がある。

 玄定はしばし和姫を見詰めていたが、ふっと視線を外すと立ち上がった。


「……この戦、オレたち武佐志が勝つ。その時、お前は選ぶことなど出来なくなるのだ」

「わたくしは、信じております」

「ふっ。その強さ、どこまでもつかな?」


 和姫と視線を交わし合い、玄定はドカドカと大きな足音をたてて去って行った。

 しばし動かずにいた和姫だったが、襖が閉じられた時に息を吐く。胸の奥はドクドクと大きく拍動し、手で押さえても収まらない。


(わたくしは、信じています。信じることだけが、今のわたくしに出来る唯一のことですから)


 深く息を吸い、吐き出す。それから和姫は外へと繋がる襖を見詰め、胸の前で指を組んだ。





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