第14話 桜の小袖

 武士たけしが城下に買い物へ行った日から数日後、彼は和姫から呼び出されていた。しかも夕刻、夕餉の前のことだ。

 光明による兵法やこの国の地理の講義を終えて自室へと戻り、武士たけしはバサラと共に夕餉を摂った。バサラもまた克一や小四郎との鍛錬を終えて、軽く水を被って来たという。夏真っ盛りの居間だからこそ出来ることだ。

 ドライヤーの存在しない世界では、手ぬぐいで髪を乾かすことしか出来ない。そのためまだ濡れている髪をガシガシと掻き、バサラは武士たけしと同じ食卓に着いていた。


武士たけし、この後和姫に呼ばれてるんだろ? お前、何かしたのか?」

「そんなわけない……と思いたい。ここ数日は光明さんの供で館を離れることもあったから、ちゃんと顔合わせてないんだ。和姫のことは、バサラの方が詳しいんじゃないか?」

「オレ?」


 目を瞬かせたバサラは、思わずといった体で「クッ」と吹き出した。箸を置いてそのままゲラゲラ笑い出したバサラに、武士たけしは困惑するしかない。


「あの、バサラ?」

「ひぃっ……あー苦しい。お前、本当に気付いてないのか?」

「何がだよ」


 見当もつかない。武士たけしが眉を寄せて首を横に振ると、バサラは少し憐れみを含んだ瞳で笑いそうな口元を押さえた。


「だったら……ククッ……これから会うんだから直接訊いてみろよ」

「笑い過ぎだ。……はぁ、わかったよ。後を頼む」

「了解」


 まだ目の端に涙を溜めているバサラに片付け全てを押し付け、武士たけしは和姫の部屋へと向かった。途中の渡殿で梅と出会い、姫の元へ行くことを伝える。


「承知しました。では、姫様にお伝えしておきますね」

「お願いします」

「……」

「あの……?」


 なかなかその場を去ろうとせずにじっと自分の顔を見詰める梅に、武士たけしは及び腰になりつつも問いかけた。梅の目は何かを探るように、見定めるようにキラリと光っている。

 武士たけしが困惑顔をしていることにようやく気付いたのか、梅はハッとした顔を見せた後で苦笑した。


「申し訳ありません。私の後でいらして下さい」

「はい……」


 結局梅が武士たけしを見ていた理由は謎のまま、武士たけしは彼女を見送って二分後には歩き出していた。出来るだけゆっくりを心掛けながら。

 しかし何となく気が逸り、武士たけしは走ってもいないのに大きく脈打つ心臓を持て余した。


(何で、こんなに緊張しているんだ? 和姫と会うのは、これで何度目かわからなくなる程会っているのに)


 今更だ。武士たけしはそう思うことで落ち着きを取り戻し、大きく深呼吸した。そして、目の前に迫った和姫の部屋の前に正座する。


「姫、武士たけしです」

「あっ、ど、どうぞ」

「失礼します」


 梅に聞いていただろうに、和姫の返事は何処か焦りが感じられる。やはり自分が何かやってしまったかと顔を青くした武士たけしだが、もう後には退けないと襖を開けた。


「こんばんは、和姫。呼ばれたと聞いたんだけど、何で……っ!?」

「あっと……。これを、あなたに見て欲しかったのです。武士たけし


 頬を淡く染めてはにかみ座る和姫が身に付けていたのは、武士が城下町で買い求めた布地で作られた小袖だった。

 季節外れの桜の紋様をあしらった薄紅色の小袖と、それに対するような鮮やかな紅色の帯。どちらも控えめな美しさを持つ和姫を、無自覚に思い描きながら武士たけしが見繕った品だ。思った通り、彼女に良く似合っている。

 思いがけず披露され、武士たけしは言葉を失い呆然と和姫を見詰めた。何も言わない彼の反応に焦りを覚えたのか、和姫は不安そうに瞳を揺らす。


「あの、武士たけし……? やはり、似合ってはいませんよね……」

「えっ? あ、ごめんっ。……見惚れて、言葉が出て来なかった」

「え……」

「こういうこと言うの、バサラの方が上手いんだけど」


 そう前置きをして、武士たけしは五月蠅い心臓を無視して素直な言葉を口にした。照れて真っ赤な顔をして、しどろもどろになりながらも、伝えなければと言葉を尽くす。


「よく、似合ってる。やっぱり、和姫は桜の模様が合うと思ったんだ。幾つも布地は見せてもらったけど、これ以上に思いつかなくて」

「じゃあ、本当にこれは貴方が……?」

「ああ。梅さんに頼まれて。……凄く綺麗だ、和姫」

「あっ……えっと……」


 武士たけしが布地を選んだと和姫が知ったのは、今朝のことだ。梅からこの小袖を手渡された時、彼にお使いを頼んだのだと聞いた。

 まさかという狼狽の気持ちと共に和姫の中から湧き上がったのは、戸惑い以上の喜びだった。自分でも驚くほど、布地を武士たけしが選んだという事実に心を掴まれていたらしい。

 そして今、面と向かって武士たけしに褒められて狼狽える自分がいる。それが何故なのかわからないまま、和姫は熱を持った頬に手のひらをあてて微笑んだ。


「――嬉しい。わたくし、桜の花が好きなのです。淡く儚く、しかし凛として立つ桜の姿がわたくしを元気付けてくれます」

「……おれも、桜は好きだ。春になる度、桜を見るとあったかい気持ちになる。きっと、桜と和姫は似ているんだな」

「わたくしと?」

「うん。どっちも、人を包み込んでくれるみたいな温かい雰囲気を持ってるから」

「……ありがとう、ございます」


 武士たけしの褒め言葉に、和姫は更に耳まで赤くする。呟かれた礼の言葉はか細く、彼女の表情と相まって武士たけしの心を動揺させるには充分だ。

 どくどくと血が逆流したのかと思う程激しい鼓動を感じ、武士たけしは無意識に胸元を押さえていた。


 それからしばしたわいもないことを話し、武士たけしは自室へと戻る。いつの間にか夜が更け、急いで部屋に戻るとバサラは既に眠っていた。


「あっ」


 その時になってようやく、武士たけしは和姫に尋ねたかったことを訊けずじまいだったことを思い出した。バサラが笑い転げた理由と梅がまじまじと自分の顔を見た理由、その二つは同じものである気はしたが、結局わからないままだ。


「まあ、いいか」


 いずれ、わかる時が来るかもしれない。武士たけしはそう思い直し、服を着替えて眠りについた。

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