亜季の国

第15話 強さを求める男

 その日、亜季あきの国の領主の機嫌はすこぶる悪かった。臣下たちはいつ己にその怒りの刃が向けられるかを恐れ、彼のもとへと馳せようとはしない。男もまた、それを望んではいなかった。

 亜季の国。豊葦原国とよあしはらのくにと呼称されるこの列島に置いて、西国さいごくの強国といえば誰もがその名を口にする。


 ――曰く、西国の野獣。


 列島西国の大半をその手中に収め、それに飽かず東国へと勢力範囲を広げようと絶えず戦を仕掛ける蛮国。そんな揶揄は、この男には似つかわしくないだろう。

 多くの男たちの中にあっても頭一つ分以上高い身長、そして筋肉が適度に着いた引き締まった体躯。その上美丈夫となれば、誰も口出しなどしない。更に策略家であり、隙などありはしないのだ。

 男の名は、蒙利もうり秋照あきてる。亜季の国の主である。


「父上」

「……秋成あきなりか。入れ」

「失礼致します」


 秋照のもとへとやって来たのは、彼の若かりし頃によく似た美しい青年だ。普段は人好きのする穏やかな表情をすることの多い彼だが、今は緊張していた。

 息子を呼び入れた秋照は、どうにもならない憤りをため息として吐き出した。それに対し、秋成はびくりと体を震わせる。


「……別に、お前に対して怒りを覚えているわけではない。お前は、見事に館を守ったではないか」

「しかしっ……。いえ、この度は残念至極でございましたね」


 秋照は言葉を呑み込み、選んだ言葉を発した。決して父と居並ぶことのない息子に、秋照は目を向けない。


「全くだ。あの国とは何度も戦をしているが、未だ大将の首を上げたことがない。それどころか、聞くところによれば大郎たいろう次丸つぐまるの二人は子どもにしてやられたとか。何とも不甲斐ない」

「はい……」


 秋照が名を出した大郎と次丸の二人は、暗殺を生業なりわいとした彼の優秀な手駒だった者たちだ。しかしあの戦で裏から大将の首を狙った結果、子どもに殺された。

 戦から数か月が経過し、秋照は自軍の鍛錬をより強固にした。更に刺客を何度か放ち、忍も送った。そのどれもがかんばしい結果を残さずにいる。


「口惜しい」


 その全てが、秋照を苛立たせていた。

 西国最強の名を手にしながら、彼の望みはそこに留まらない。至るべきは、この豊葦原国全てを統べる力を手にすること。

 その目的のため、武力も知力も財力もある。隣国には武器を作るために不可欠な鉄があり、それを存分に得るために何度も戦をした。

 しかし、望むものは手に入らない。

 ギリリッと歯噛みし、秋照はふと我に返った。


「そういえば、お前は今日薬を買いに行ったのだろう? 照泰てるやすの加減はどうだ?」


 照泰とは、秋成の年の離れた弟の名だ。生来体が弱く、季節の変わり目には必ずと言って良い程風邪をこじらせる。夏真っ盛りの今だが、何処で悪いものを貰ったのか腹を下して床に入っていた。

 加減はどうだと問われ、秋成はようやく息が出来るようになった。秋照は戦の話になると大層厳しいが、正妻と息子たちを殊の外気にかけている。それを知っているからこそ、秋成は少しほっとした。


「照泰には、昨日のうちにたえに頼んで薬を飲ませました。どうやら寝汗をかくことも吐くこともなく、穏やかな寝顔を見せているそうです」

「そうか、よかった。秋成、お前もご苦労だったな」

「いえ、妹のためですから」


 ふるふると首を横に振り、秋成はその場を退出する。

 息子の後ろ姿を見送った秋照は、ふと生じた気配に対して表情を改めた。そこにはもう、子どもを案じる父親の影はない。


「――どうであった?」

「おっしゃる通り、彼らを殺したのは木織田のもとに最近やって来た子どもたちのようでございます。臣下たちが噂しているのを聞きました」

「子ども、か」


 天井から下りて来た忍は、音もなく跪くと頷いた。

 秋照は忍に続けての監視を命ずると、一人になった部屋で腕を組み熟考に落ちた。


 同じ頃、秋成は同館の別の部屋にいた。弟の病状が快方に向かっていると聞き及び、飛んで来たのだ。


「照泰、気分はどうだ?」

「兄上。ようやく、起き上がれるようになりました。兄上が薬を買い求めて下さった、と妙から聞いています。ありがとうございます」

「よせ、私が好きでしていることだ。それに、あの町で私は道に迷ってしまったからな」

「兄上が道に迷った? 城下の町の店ではないのですか?」


 驚き目を瞬かせた弟に、秋成は苦笑をにじませ己の失敗を語る。そうすることで普段自由に動けない照泰に、少しでも笑って欲しいから。

 秋成が空腹で倒れたところまで聞き、照泰は腹を抱えて笑った。


「はははっ。兄上、それは本当の話ですか? 作り話ではなく?」

「本当だよ、照泰。行き倒れた私を、地元の者が助けてくれたんだ。彼は美味い飯屋を知っていてね、その匂いにつられて、私は思わず腹いっぱい食べてしまった」


 同年代に見えた彼は、秋成よりも随分大人びているように思えた。落ち着きがあり、他者を思いやる心を持っている。


「あー、笑い疲れました。兄上、その方の名は訊いたのですか? わたしも会ってみたいです」

「そうだな、私も会いたい。今度は、この国の美味いものを食べてもらいたいものだ」

「良いですね。その時は、絶対にわたしも連れて行って下さいよ!」

「ああ、お前の加減が良ければな」

「約束です」


 秋成と照泰は指切りを交わし、微笑み合った。

 そして始めの問いに答えていないことに気付き、秋成は烏和里で出会った少年の名を口にする。


「名は、武士たけし。……もう一度、話がしたいものだ」


 しみじみと思い出す兄に、照泰は大きく頷いて見せる。

 まさかこの後、思いがけない場所で再会を果たすとは考えもしない。

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