終章 その道程は終わらない

第58話 おかえりなさい

 夕刻。月が顔を覗かせ、日の光が西に帰る頃。

 和姫は一人、部屋で祈りを捧げていた。彼女の握り締めた手の中には、戦へ向かった二人の少年とお揃いの勾玉が握られている。細かいことを言えば、手渡した勾玉は彼女が自ら作ったものだが。


(知らせによれば、今日明日には戻ってくる。……どうか、無事で)


 戦終わりの武士は、時折落ち武者狩りに会って殺されることもある。勝ったということであるからそれ程心配は要らないかもしれないが、こればかりは心情の問題だ。

 いつまで経っても目を閉じたまま動かない和姫に、様子を見に来た梅が呆れ顔で声をかけた。


「姫様、そろそろお時間ですよ」

「う、梅……。そんなに長い間、していましたか?」

「長かったですよ。お父上たちは戻って来られるはずですから、それほど案じなくても大丈夫ですよ。あの方々の強さを、姫様ならばご存知でしょう?」

「それは、わかっています。でも、顔を見るまでは……」


 その時だった。館の玄関方向から、ざわざわと忙しない音が聞こえて来る。更に何人かの家人が駆けて行き、一層騒がしくなっていく。


「これは……」


 目を瞬かせた和姫の背を、呆れ顔の梅がトンッと押す。よろけた和姫が振り返ると、穏やかな顔をした梅が自分を見詰めていた。


「あの、梅」

「行って来て下さいませ。きっと、彼らもあなた様が出迎えるのを一番喜びますでしょうから」

「……っ。ありがとう、梅」

「今だけは、駆けても許して差し上げますよ」


 梅の言葉に背中を押され、和姫は小袖の裾を踏んで転びそうになりながらも急いで騒ぎの方向へ向かった。激しく動くことがない彼女にとって、思うように動かない自分自身がもどかしい。


 一方、館の玄関先では信功たちが家人たちと再会を喜び合っていた。

 西国の覇者・蒙利との戦ということで、誰もが勝利を望みながらも不安を抱えていたのだ。それが解消され、ほっと胸を撫で下ろす者もいれば、泣き出す者までもいる。

 そんな十人十色な出迎えをされ、信功は対応に追われている。光明はと言えば、戦で傷付いた武士、足軽たちの手当てにまわっていた。


「今度こそは、お館様にお会い出来ないかと一瞬でも疑った我自身が恥ずかしゅうございますぞ!」

「泣くな、克一。決して無傷とは言わないが、あの蒙利を下すことが出来たのだからな。皆を休ませ、明日には動くぞ。忙し、く……」

「お館様?」


 男泣きをしていた克一越しに、信功は何かを見付けて固まった。何があるのかと振り返った克一は、ふっと目元を和ませる。


「いらっしゃったのですか、姫様」

「はい。父上方がお戻りになられたと聞き及びましたから」

「おお、姫か。戻ったぞ」

「本当に、お疲れ様でございます。ご無事に帰られて、安堵致しました」

「ああ。これも、お前が異世界から呼び寄せたあいつらのお蔭だ」

「……」

「ほら、涙ぐまずとも父はここにおるぞ」

「わ、わかっております」


 無言で目に涙を溜める娘を慰め、信功はふっと小さく微笑んだ。軽くぽんぽんと頭を撫でてやった後、不意に和姫に耳打ちをする。


「……武士たけしとバサラは怪我が酷いでな、先に部屋に戻れと言ってある。あいつらのことを、お前に頼んでも良いか?」

「二人が、怪我を?」

「ああ、頼むぞ」


 わしはやることが多い。そう言って微笑むと、信功は克一と後から来た光明と共に館の中へと入って行ってしまった。

 彼らを見送り、和姫は一人取り残される。しばし考えに落ちていた彼女は、ふと振り返って一直線に駆け出した。


「――痛っ」

「我慢しろ、武士たけし。この怪我で悲鳴を上げないのが不思議なくらいだぜ」

「あ、ある程度は色々強くなったってことじゃないか? 痛っ……ここには日本みたいな医療器具なんてないし、薬を塗ってさらしを巻くくらいしか医療行為は出来ないし」

「何で骨折ってんのにそんだけ喋れるんだよ、お前」

「くっ……それはバサラもだろ。無茶し過ぎだ」

「お前にだけは言われたくない。死にかけたくせに」


 言い合いをするのは、上半身にさらしを巻いた武士たけしと腕と足に添え木とさらしを巻くバサラだ。二人は戦での功績があったが、体を治すことが先だと部屋に押し込められていた。

 それでも命までは失わず、今笑い合っている。

 武士たけしは直垂の上を脱ぎ、上半身裸になった。さらしを巻き直そうとしたのだが、そこで襖が遠慮がちに叩かれる。


「誰だ?」

「あ、の。バサラ、わたくしです」

「和姫?」

「――えっ」


 和姫が来たと知り、武士たけしは大慌てで上着を着直そうとする。しかし変な所にひっかかり、うまくいかない。無理に動けば傷に響くため、バサラに助けを求めるが。


「バサラ、ちょっと手伝っ……」

「入って良いぞ、姫さん」

「バサラ!?」


 非難の声を上げる武士たけしを無視し、バサラは襖を開けてしまう。大慌ての武士たけしに対し、バサラはニヤニヤと笑うのみだ。

 まさかそんな状況になっているとも知らず、和姫は「失礼致します」と部屋を覗き、絶句する。目に飛び込んできたのは、血に濡れたさらしと真っ赤に染まった武士たけしの背中だった。


「た、武士たけし……その背中は」

「ひ、久し振り。和姫」

「そんな挨拶はどうでも良いのです!」


 武士たけしの目の前に膝をつき、青い顔をした和姫は目くじらを立てる。その目に大粒の涙が溜まり、武士たけしは慌てた。


「か、かずひ……」

「わたくしに泣く資格などないのはわかっています。でも、あなたの傷付いた姿を見て、何も思わないなどあり得ません!」

「な、泣かないで和姫。おれもバサラも、ちゃんと戻って来たから。約束、守っただろ?」

武士たけし、多分だけど姫さんはそんな言葉が聞きたいんじゃないと思うぞ」

「は……?」


 肩を震わせてしずかに泣く和姫の扱いに困り、助けを求めてバサラの方を向く。しかしそれでも禅問答のような回答しか得られず、武士たけしは天井を見詰めた。

 それから痛みを堪えて、そっと和姫の目元を指で拭う。ハッとして顔を上げた和姫に、困ったような顔で笑ってみせた。


「ただいま、和姫」

「――っ、おかえりなさい」


 真っ赤な顔で、和姫もようやく微笑んだ。それを見て、武士たけしとバサラはほっと顔を見合わせる。

 三人の胸元には、お揃いで色違いの組み紐と勾玉が光っていた。

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