第57話 勝鬨の後

 木織田軍が勝鬨かちどきを上げた直後、蒙利の本陣から一人の青年が転がるように飛び出す。彼は青い顔をして何かを探していたが、戦場に立つバサラたちを見て唐突に膝から崩れ落ちた。


「ちち、うえ……」

「お前は、秋輝殿のお子か」

「――っ、はい。蒙利秋成と申します」


 信功に問われ、秋成は恭しく膝をついてお辞儀した。元々育ちが良いためか、取り乱してもおかしくないにもかかわらず、彼は礼節を忘れない。

 そんな秋成を見て、バサラは首を傾げた。秋成、という名を何処かで聞いたことがあったのだ。しかしそれを彼が思い出すよりも先に、秋成が愕然とした顔で呟いた。


「そこにいるのは、武士たけしか……?」

「秋成殿、武士たけしを知っているのか?」

「はい。以前、烏和里で道に迷った時、彼に世話になったのです。いつか|もう一度会えたら、改めて礼を言いたい、と思って……」


 だらりと腕を投げ出したまま、ピクリとも動かない武士たけし。それが意味するところを察し、秋成の目に涙が溜まっていく。わなわなと唇が震え、「そんな」と小さな声が漏れる。

 制する者の声を無視し、秋成は光明に抱きかかえられたままの武士たけしの傍に膝をついた。懸命に呼びかけ、目を覚まさせようとする。


武士たけし武士たけし!?」

「呼び掛けても無駄だ。あいつはもう」

「――っ、この戦のせいか」

「オレは、姫の予知を覆したかったのに!」


 やりきれない思いを吐露するように、バサラは吐き捨てた。血がにじむ程に拳を握り締め、歯を食い縛る。

 そんなバサラと項垂れる秋成を見守っていた信功だったが、ゆっくりとした足取りで秋成に近付いて行く。そして彼の目の前に立ち、声をかけた。


「蒙利秋成殿。秋照殿亡き今、蒙利の主はあなたであると考えて宜しいか?」

「――はい。父の後を継ぐのが、長子である私の役割です。戦に敗れた蒙利は、これ以上貴方方に刃を向けることはありません」

「では、少し話がしたい。時を頂けないだろうか?」

「勿論です」


 信功の背を追って歩き出した秋成は、ちらりと青白い顔をした武士たけしを振り返った。しかし目を伏せ、再び歩き出そうとする。

 その時だった。


「――っ、けほっ」

武士たけし……?」

「えっ」

「は?」

「何だと!?」


 小さな咳に端を発し、武士たけしが激しく咳き込んだ。口からは血と唾液の混じったものが吐き出され、しばらく止まらない。

 胸を押さえて咳き込みえずく武士たけしの背中を、光明がさする。バサラも駆け寄り、名前を呼び続けた。


「――し、武士たけし!」

「聞こえてる、よ。バサラ」

「お前ッ、死んだかと思ったじゃねぇかよ。心配させんな、バカ野郎!」

「ごめん、バサラ。光明さんも、お館様もありが、とうございます」


 掠れ声で礼を言う武士たけしに、光明と信功は顔を見合わせ微笑んだ。


「無理に喋るな。案じたぞ、武士たけし

「その通りだ。しかし、奇跡というものはあるんだな」

「姫が、助けてくれたんです」

「姫が? どういう意味だよ」


 首を傾げるバサラに、武士たけしは壊れた胸板の裏側を探る。引っ張り出したのは、血を含んだ赤い組み紐に通された青い勾玉だった。しかしながら、その表面にはひびが入り、一部欠けている。


「これが、刀の切っ先を受け止めてくれたんだ。ただ、衝撃の全てを呑み込んでくれたわけじゃないから、激痛で呼吸が詰まって気を失ってしまったみたいだけど」

「じゃ、じゃああの血はどう説明するんだよ!?」

「それより前に、石垣にぶつかった時に骨か内臓を傷付けたみたいで。さっきみたいに血が溢れたんだと思う。……まじで死ぬかと思った」

「それはオレの台詞だ! 心配かけやがってこの野郎!」

「ちょっ、待ってくれバサラ。怪我が治ったわけじゃないんだって!」


 ぐりぐりと武士たけしの頭頂部に拳をあてるバサラと、それを止めさせようと手を伸ばす武士たけし。二人を見守る光明と信功は、それぞれの表情で胸を撫で下ろしていた。


「た、けし……」


 半ば呆然と成り行きを見詰めていた秋成は、急速に体から力が抜けるのを感じていた。死んだかと思った恩人が生きていて、実の父は死んだ。安堵と悲しみが競り合う中、彼は数歩進んで武士たけしに声をかける。


武士たけし、もう会えないかと思った」

「あき、なりさん……?」


 驚き目を見開く武士たけしに、秋成は泣きそうな笑みを向けた。


「そうだよ。こんな所で会うのは不本意だったけれど、もう一度会えてよかった。きみに、礼を言いたかったから」

「礼なんて。おれの方こそ、会えたらと思っていたんです。だから、とても嬉しい」

「……ありがとう。行きましょう、木織田様」

「わかった。光明、二人を頼む」

「はい」


 武士たけしたち三人に見送られ、信功と秋成の姿は蒙利本陣の中へと消えた。


「……さあ、私たちは木織田の本陣へ戻ろう。お前たちの手当てもしなければならないからな」

「はい」

「わかりました。ほら、武士たけし。オレに掴まれ」

「助かる」


 バサラが肩を貸し、武士たけしを支える。二人は苦笑し合うと、先を行く光明の背をゆっくりと追って歩いて行った。


 信功と秋成によって取り決められた戦後協定とも言うべき約束が成されたのは、それからすぐのこと。

 結果、蒙利は西国の長としてその名を留め、木織田に従うということになった。秋成は引き続き父・秋照の後を継ぎ、蒙利の主となる。

 西国の支配権全てを信功に譲る、と最初秋成は言った。しかしそれを信功が断り、預けておくことになったのだ。それは、豊葦原全域に目を配り続けることへの困難さと大変さに裏付けられている。

 武士たけしたちが烏和里に戻ったのは、戦が終わってから五日後のことだった。


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