第21話 言いかけた言葉

 バサラと和姫が館へ戻ると、丁度廊下を歩く武士たけしと行き合った。


「お帰り、二人共。……バサラ、姫のお供?」

「ただいま。そうだけど……ククッ。何か顔怖いぞ、お前」

「そんなことない」

「はははっ。素直じゃねえなあ」


 食い気味に答えたためかバサラに笑われてしまい、武士たけしはそっぽを向く。しかしその途端、和姫が何か言いたげにしていることに気付いた。体の向きを彼女へ合わせる。


「どうかしたのか? 和姫、バサラにいじめられたのか?」

「オレがいじめるわけないだろ、アホか」

「冗談だよ」


 憮然としたバサラをいさめ、武士たけしは目線が少しだけ下の和姫と目を合わせた。


「それで、何か言いたいことでも?」

「あ……あの」

「うん」


 ちらり、と和姫がバサラを盗み見る。それに気付き、バサラは優しく目を細めた。


「じゃ、オレは先に行くわ」

「え? 何で……」

「さあな」


 突然歩き去ってしまったバサラを止めることも出来ず、武士たけしは呆然と見送る。ただ、何か理由があるのだろうと思い直すことにした。

 再び武士たけしが和姫を振り返ると、彼女は何か布に包まれたものを彼に差し出した。


「これ、は?」

「お、お礼です。この前、素敵な布地をあがなって下さったでしょう?」

「あれは、梅さんに頼まれたものだったから。ね、梅さ……いない」


 いつの間にか、梅までもが姿を消していた。

 武士たけしはしばし逡巡した上で、壊れ物を扱うように和姫の手から包を受け取る。そして、不安そうにしている和姫に向かって不器用に微笑んで見せた。


「ありがとう。開けても?」

「勿論です」

「……これ、水まんじゅう?」


 ごそごそと包を開けると、そこには丁寧に経木きょうぎに包まれた水まんじゅうが二つ出て来た。葛粉で作られた透明な皮にこしあんが包まれている。夕刻になっても汗ばむこの季節にはぴったりのお菓子だ。

 武士たけしはじっと水まんじゅうとにらめっこしている。それを見て、和姫は更なる説明の必要性に気付き、あわあわと言葉を探した。


「あのっ。それを売っている茶屋のお菓子はどれも美味しくて、その中でも、わたくしがこの時期食べたくなるのがその水まんじゅうなのです。バサラに武士たけしへのお礼を何にしたら良いかと訊いたら、わたくしの好きなものを贈れば良いと言われて……。それで、今日は彼に買い物に付き合ってもらったのです!」

「そう、だったのか。なんだ……ん?」


 和姫の説明を聞いてほっと胸を撫で下ろした武士たけしは、無意識に安堵した自分に驚く。


(何でおれ、ほっとしてるんだ? ……いや、それを今考えるべきじゃないよな)


 疑念を頭の隅に押し込め、武士たけしは和姫に向かって礼を口にした。


「ありがとう、和姫。このお礼、とっても嬉しいよ。和菓子って前から好きだったから、有難く頂く」

「喜んで頂けてよかったです。ほっとしました」

「大袈裟だな。一生懸命考えて選んでもらって、嬉しくないわけないだろ。だっておれは……」

「た、けし……?」


 真剣な顔で、武士たけしは謙遜する和姫を見詰める。その真摯な瞳に魅せられ、和姫はその場を動くことが出来なくなった。

 武士たけしの心臓は不自然に大きく拍動し、顔に熱が集まっていく。その理由がわからず、そして自分が和姫に何を言おうとしているのかと混乱し、彼は口からそれ以上の言葉を吐き出すことを躊躇った。

 和姫も初めて胸の奥が痛くなる程の心拍を経験し、狼狽える。しかし恥ずかしさで逃げたくとも、足が全く動かせなかった。


「おれは……」


 武士たけしの喉がごくりと鳴り、冷汗が背筋を流れる。何か言わなければと焦る彼の後ろから、誰かがやって来る足音が聞えて来た。しかし、武士たけしも和姫も自分たちのことで精一杯で気付かない。

 その人物は二人を見付け、不用意に声をかけた。


「そこで何をしているんだ? 和姫、武士たけし

「うわあっ!?」

「きゃっ!」


 突然の声に思わず声を上げた武士たけしと和姫は、同時にその人物の方を見る。するとそこには信功がおり、目を瞬かせていた。


「お館様……」

「驚きました。父上でしたか……」

「そんなに驚くとは思わなんだ。それにしても、こんな廊下の途中で何をしているんだ、お前たちは?」

「あ、えっと……」

「……」


 至極真っ当な疑問を信功から投げかけられ、二人は言葉を探した。ただ話していたのだと言えば良いものを、それすらも頭に浮かばない。

 そんな武士たけしと和姫の態度を気にしないことにしたのか、信功は軽く首を傾げてから「そうだ」と一つ頷いた。


「和姫、お前のところに行こうとしていたのだ」

「わたくしの、でございますか?」

「ああ。……武士たけし、バサラを読んで来てくれないか? 共に、わしと来て欲しい」

「――わかりました」


 何か生じたのかもしれない。武士たけしはその場で深く理由を訊くことなく、頷くと急ぎ足で自室へと向かった。

 武士たけしの背を見送り、和姫は父を見上げて口を開く。


「父上、何があったのですか?」

「……また、戦が始まる。そのことについて、お前たちにも意見を仰ぎたい」

「わかりました」


 神妙に頷くと、和姫は父の後について自室へと向かう。

 その道すがら、ふと先程武士たけしは何を言おうとしていたのだろうかという疑念がよぎった。しかし、それを考えただけで頬が熱くなる。


(体が、熱い。熱がある? ――いいえ、そうではないわ。今は、それを考えてはいけない気がする)


 人知れず首を左右に振り、熱を逃がす。そして深く息を吸って吐くと、父が抱える何かを思いながら足を速めた。

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