第29話 知らせ

 武士たけしとバサラが館を出た時、信功たちは既に平野へと到着していた。

 光明が決戦の場となると予想していたのは、小高い山に囲まれた盆地に近い平らな土地。信功はその西側に拠点を築き、兵を配置した。


「お館様」

「光明、ご苦労だったな」

「いえ」


 信功の労いに軽く首を横に振り、光明は戦いの舞台を見下ろした。今は風が通り抜けるだけの平野だが、後少し、もしくは数日後には血を血で洗う戦が始まる。

 光明は渋面を作り、息を吐いた。


(未だ、慣れない。だから戦いの前線に立つ者には、臆病者と言われるのだろうな)


 幼い頃、目の前で父母を斬り殺された。そのトラウマが残り、光明は戦いの前線に出ると吐き気を催す。戦力として戦うことが出来ないため、信功によって後援を任されていた。

 しかしこの事実は、信功と克一等一部の者しか知らない。だからこそ、彼ら以外の武将たちからは邪険に扱われることも多い。奥にいて己で刀を握らない光明は、前線で戦う者たちにとってはあぶれ者なのだ。

 それでも光明が烏和里で地位を得られているのは、ひとえに信功のお蔭である。

 その信功は、考え込む光明の肩を叩いた。そのまま光明を本陣に誘導し、地図の前に立たせる。


「光明、お前ならどう動かす?」

「そう、ですね……。これはどうでしょう?」

「成程。では、相手がこう来る場合も考えられるな」

「その時は、こちらの隊を」

「ふむ」


 烏和里軍は、大きく三つに分けることが出来る。五郎太の隊と辰之丞たつのじょうの軍、そして国満くにみつの軍だ。

 辰之丞とは、五郎太と同い年の武将だ。濃いひげが特徴で、戦で武功を上げることを喜びとする生粋の武士である。

 国満は反対に、細面で慎重な性格をしている。戦でもその冷静さは発揮され、相手の裏をかく戦い方を好む。数少ない、光明を信用する武将だ。

 それぞれの下に更に何小隊かがつけられ、烏和里の木織田軍は編成されている。これは豊葦原全体で見ても小規模であり、長期戦になれば負ける可能性が格段に上がってしまう。今回の敵である武富士など、大将の玄定の下に中将が五人、その下にそれぞれ五つの小隊が配属されている。そのため、彼らの作戦は常に短期決戦だ。


「申し上げます!」


 信功と光明が話し合う間にも、ぞくぞくと忍や斥候せっこうからの報告が上がってくる。それらに逐一対応しながら、二人は更なる必勝戦略を立てるために話し合いを重ねていた。

 この時はまだ、館での騒ぎは耳に入っていない。

 しかし、館よりも早くに別の場所から知らせが入った。


「お、お館様!」

「どうかしたのか、騒々しい」


 十数回の報告を経て、少し疲れていた信功が言う。少し苛つきが残る言い方になってしまう。何か紙を手にしていたその武士は、びくりとしながらもそっとそれを差し出した。


「武富士より、使者が。そして、こちらをお読み頂きたいとのことでございます」

「……武富士が?」

「お館様、私が」


 胡乱げな顔をする信功の横から進み出て、光明が文を受け取る。使者には待つよう文を持って来た武士に伝えると、その場で文を開いた。


「……これは」

「如何した、光明。あやつは何を言ってきた?」

「これは、想定しておくべきだったかもしれません。お館様、心してお読み下さい」

「うむ」


 深いしわを眉間に刻んだ光明から文を受け取り、信功は文面を追う。面倒臭がりだという玄定の文字はお世辞にも読みやすいものではないが、そんなことはどうでもよくなるくらい、内容は衝撃的だった。


「なっ……冗談だろう!?」

「流石に冗談でこんな文を書く程暇ではないかと」 

「いや、そんなことはわかっとる!」


 慌てる自分を見て冷静さを取り戻した光明のツッコミに返答し、信功はもう一度文面を確かめた。

 しかし、そこに書かれている事実は変わりない。

 曰く、木織田の姫君を連れて来た。返して欲しければ投降しろ、ということらしい。それが出来ないのならば、力づくで奪い返してみろ、と。


「……。あやつは、戦を遊びと勘違いしておらんか?」

「奇遇ですね、お館様。私も同じことを思っておりました」

「しかし、このまま右往左往する姿を使者に見せる訳にもいくまいよ。光明、筆と紙を」

「はい」


 光明に差し出された筆を用い、信功は早速返答を書き記す。短いそれの墨を乾かし、待たせていた使者に持たせるよう命じる。

 文を受け取った使いの者が去ったと知るやいなや、信功は光明を振り返った。


「光明、姫がいる場所の検討はつくか?」

「武富士本陣、もしくは武佐志の城、館でしょうか。しかし、かどわかされた日付を考えると武佐志まで戻ったとは考えにくいかと」

「ならば、この戰場の何処か、か」

「恐らくは」

「……。下手にわしが動けば、格好の的だな」

「ええ。誰かを潜ませ、探すのが賢明かと」

「しかし、誰を」

「……」


 ギリッと音がたつ程、信功は奥歯を噛み締める。やられた、という思いが強い。


(あの文が届いた時点で、思い付いておくべきだったか。……いや、最早後の祭りに過ぎん)


 過去は戻って来ない。信功はそれに打ちのめされそうになりながらも、この二つの事態にどう立ち向かうかを迫られていた。


「お館様。この戦、如何がなさいますか?」

「決まっているだろう。必ず打ち負かし、姫を取り戻す」

「承知致しました」


 和姫は嫁にと願われた。つまり、すぐに傷付けられる心配は薄い。ならば今すべきは、戦に勝つことである。

 信功と光明は頷き合い、早速中将たちを本陣へと呼び寄せた。


「今ここに、武士たけしとバサラがいれば……」


 無い物ねだりをしたところで、何も変わらない。わかっていても、信功はそう思わずにはいられなかった。

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