第28話 かどわかし

 信功たちが経って、一週間が経過した。

 その間に数回、信功から和姫と克一のもとにそれぞれ文が送られた。その内容と言えば、前者は彼女が不自由していないかという親心と武士たけしとバサラの様子を気遣うもの。後者は館全体への気配りと、戦況についての報告だ。

 二通の文、武士たけしとバサラはどちらも読ませてもらっている。その日、朝練をしながら、二人は昨日来た克一宛の文の内容について話していた。


「まだ武富士の主力部隊とは出会ってないらしいな」

「ああ。ただ、何度か小さな戦いには出会ってるみたいだね。今のところ小競り合いって感じだけど、いつ本隊とぶつかるかわからない」

「だな。だけど、信功様たちが負けるわけない。特に今回は、気迫が違う」

「ああ……。怖かったな」


 ガンッと音をたてて木刀がぶつかる。もう何度繰り返したかわからない程繰り返してきたためか、二人共相手の手は全て把握し、体が勝手に動いて防ぐ。毎朝勝敗はつかず、引き分けばかりだ。

 激しく打ち合いながらも、二人には喋るだけの余裕がある。それは鍛錬の賜物だ、と克一や信功は笑って言った。

 そんな信功だが、武富士との戦へ向かう当日の気迫は桁違いだった。一週間だ経っても、武士たけしとバサラは思い出すだけで身震いする。


「――お前たち、この度の戦は武富士という虎との戦いになる。同時に、我が娘を条件に戦を止めてやろうという、不届き者とのものだ。……殲滅する覚悟で行くぞ」


 殲滅。どんな戦であっても、信功がそんな過激な言葉を使うことはなかった。しかしその言葉が使われたことにより、そして信功の声色により、武将たちは戦慄せざるを得ない。

 今までと、負けるわけにはいかないという考えは変わらない。ただし、この度は負けないのではなく、勝つのだという覚悟が必要だ。

 天へ向かって突き上げられた無数の拳が、武士もののふたちの威勢を物語っていた。

 そして現在、時折もたらされる戦況報告を聞く以外は平穏そのものだ。


「バサラ、武士たけし

「克一さん」

「どうなさったんですか、克一さん」


 約一時間の鍛錬を終え、武士たけしとバサラが井戸前で汗を拭いていた時のこと。克一がふらりとやって来た。

 驚いたバサラが駆け寄ると、克一は「文が来たんだよ」と一枚の紙を手渡してくれた。文だというそれを受け取り、バサラは目を走らせる。

 この世界特有の崩し字を読むのが苦手だったバサラだが、その苦手も和姫や先にマスターした武士たけしが教えることでなくなった。


「……本隊の位置がわかったみたいですね?」

「そう。ぶつかるのは明日以降となりそうだという話だが、向こうからいつ襲撃があるかわからない。そういうことらしい」

「日付的に、これが書かれたのは二日前。ってことは、既にぶつかっててもおかしくないってことですね」

「そういうことだ。だが、我らに出来るのはここで館を守ることだけだな」


 少し寂しげに、克一が笑う。彼は大きな戦で怪我をして以来、戦に出ていない。その負い目もあるのだろうが、彼自身が本当は刀を握ることが好きなのだろう。バサラは彼から武器の扱い方を学んだが、その教え方や熱意から克一が好きなのだということが察せられた。

 察したからこそ、バサラは文を武士たけしに預けた後に克一を見上げた。


「克一さんがいるから、信功様たちは安心して戦いに行けるんだと思います。だから、誇りに思って良いんですよ。克一さんにしか、出来ないことです」

「……ありがとうな、バサラ」


 ぽんっとバサラの頭に克一が手を置いた時、にわかに館が騒がしくなった。


「何だ?」

「何があったんでしょうか……?」

「バサラ、武士たけし、ここに居ろ」


 険しい顔をした克一は、大声で「何があった!?」と問いかけながら戻って行く。

 克一を見送り、バサラは自分と同じく唖然としている武士たけしに話しかけた。


武士たけし、どうしよう?」

「どうするも何も、克一さんに『ここにいろ』って言われたんだから追うべきじゃないだろ」

「そうだな。……少し待つか」

「ああ。もう一戦、やるか」


 武士たけしが置いていた木刀を取り軽く振ると、バサラも頷き木刀を手にした。動くなと言われてしまえば、ここで待ちぼうけを喰らっていても仕方がない。武士たけしは胸騒ぎを覚えつつ、無理矢理気持ちを鍛錬へと向けていた。

 しかし、武士たけしの不安は気のせいではない。鍛錬を再開してから数分後、もう一度克一が姿を見せた。


武士たけし、バサラ。お前たち、ここにてくれたか」

「克一さん、あの、何があったんですか?」

「……武士たけし


 克一は普段通り見えたが、わずかに焦燥が表情から見て取れる。そのお蔭で不安が加速し、武士たけしは若干上ずった声で尋ねた。

 すると克一は、珍しく言葉に詰まる。しかし黙っていてもいけないと思い直し、遅れてやって来たバサラを待って、二人にしか聞こえない声量で囁く。


「落ち着いて聞け。……和姫様がいない。かどわかされたらしい」

「かどわかされた!?」

「…………え?」

「バサラ、声が大きい。武士たけし、気を確かに持て」


 思わず叫ぶバサラと、言葉を失う武士たけし。反応は全くの反対だが、どちらも「信じられない」と顔に書いてある。

 先に泡を喰ったように口を利いたのは武士たけしだった。


「な、何故です!? 梅さんが傍にいて、それに、何人もの人が彼女の傍には……」

「いた。だが、梅さんは気絶させられて、今寝かされている。命に別状はなさそうだが、動くのはしばらく難しい。その他の者たちも怪我をしていないが、誰もが『姫様がさらわれた』と証言している。彼らを倒し、目の前で姫様を連れ去った男がいたというからな。相手は三人いた、という話もある」

「そんな……」

「克一さんが呼ばれたのは、それでか」


 納得したバサラは未だざわめく館の奥に目をやり、それから光明に視線を戻す。


「攫った奴の目星はついているんですか?」

「今最も怪しいのは、武富士だ。奴は姫様を息子の嫁にと望んでいたからな。こちらが戦を選んだことで、強硬手段に出た可能性は高い」

「……っ、行かなきゃ」


 不意に踵を返した武士たけしの腕を掴み、バサラは彼を止めた。


武士たけし、待てって! 何処に行くつもりだよ」

「それは……」


 答えに窮する武士たけしに、克一はため息をついてから一枚の紙を懐から取り出した。その紙を、武士たけしに差し出す。


「姫様を助けに行きたいんだろう? 持って行け」

「そうなんですけど。これ、は?」

「お館様と武富士がぶつかると思われる土地の簡単な地図だ。おそらく、そこに連れて行かれたと考えられる。それがないよりは動きやすいだろう」

「……ありがとう、ございます」


 地図を丁寧に折り畳み、武士たけしは克一に礼を言った。

 克一は頷き、更に馬に乗って行けと二人を馬小屋まで連れて行く。より遠乗りに適した馬をあてがい、家人に頼んで二人分の握り飯さえ用意した。

 その手早さに、二人は驚くしかない。


「どうして、ここまでして下さるんですか?」


 馬に乗って準備万端となった時、武士たけしは我慢出来ずに尋ねた。隣でもう一頭の馬に乗ったバサラも、うんうんと同意する。すると克一は肩を竦めて苦笑し、柔らかく表情を緩ませた。


「お前たちとかかわり、考え方が変わったように思う。武士たけしとバサラの顔を見ていると、羨ましくなることがあるんだ。それに、ここにはいない光明にも頼まれていたしな」

「頼まれて?」

「まあ、その話は良い。今からならば、そこに着くまでに追い付くこともあるかもしれない。――必ず、三人で戻って来い」

「――はいっ」

「行こうぜ、武士たけし

「ああ」


 克一の手配を無駄にするわけにはいかない。武士たけしはしっかりと返事をすると、バサラと共に馬で烏和里を飛び出した。

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