第50話 崖の戦い

 武士たけしたちが辿り着いたのは、山間に位置する崖の上。大昔、急流が流れ削り取ったという谷間が眼下に広がり、谷を通る敵を討つには持って来いの場所だった。


「ここが、例の」

「そうだ。蒙利がこの先、己の城の一つを目指すならば、必ずここを通る。武士たけし、お前に以前見せた地形図を覚えているか?」

「はい」


 武士たけしが頷くと、光明はそれを頭に思い浮かべろと命ずる。


「蒙利の領地から、その端に位置する城までで最短となるのはこの道だ。他にもないではないが、武器を持った者や馬が通れるのは、ここしかない。斥候によれば、蒙利はまだここを通っていない」

「……蒙利軍が下を通り過ぎる時を見計らい、弓矢を放つということですね」

「その通り。しかも谷間からこちらを狙うには、視界が悪過ぎる。弓矢は勿論のこと、集めた岩や石を落とすだけでも十分な成果が得られよう」

「上から物が降って来るとなれば、相手の混乱も誘えますね」

「そういうことだ」


 光明の作戦を脳裏に描き、武士たけしは顔を引きつらせた。

 斥候を放っての事前調査といい、地形を利用した作戦といい、光明は本当に頭が切れる。彼の弟子となって学び始めて半年が経とうとしているが、未だにその引き出しの多さに驚かされるばかりなのだ。


(この人が師匠で良かった。敵だと思うと、恐ろし過ぎる)


 ぶるりと体を震わせ、武士たけしは崖下から目線を上げた。

 現在、崖の上にいるのは武士たけしと光明、そして数十人の武士たちに過ぎない。その他の武将や足軽たちは更に先、戦の本舞台となるはずの河川敷へ向かっている。バサラもまた、そちらへ向かった。


「ここで奇襲をかけられれば、バサラたちへの負担を減らせる。……おれも、出来ることをしよう」


 知らせによれば、蒙利軍は後数時間でこの谷に辿り着く。戦力で負ける木織田が勝つには、正々堂々の戦いだけでは駄目だ。

 武士たけしは首にかけたお守りを握り締め、そっと服の下に忍ばせる。そして踵を返すと、崖の上から落とすための石を集める者たちに加わった。




 それから二時間程時間が経った時、崖の上で身を忍ばせていた者たちの間に緊張が走る。馬の蹄、武具の鳴らす音が大挙して押し寄せていることが告げられたのだ。

 見張りの者が見れば、確かに蒙利軍がこちらへ迫っているという。大将である秋照の姿はないというが、先兵軍だけでも倒せれば御の字だ。


(戦が、始まる)


 草陰に身を潜めながら、武士たけしはごくりと唾を呑み込んだ。傍には光明がいてくれるが、自分から戦の場に身を置くと決めたことで、その緊張感は否応なしに増す。

 弟子の緊張に気付いてか、光明が珍しく声をかけてきた。


武士たけし

「はい」

「姫様から話は聞いている。……何があっても、私から離れるなよ」

「――はい」

「よし」


 光明も和姫から聞いていたのか、と武士たけしは内心驚いた。そして、彼が武士たけしを心から案じてくれていることが理解出来、無性に嬉しくなる。

 とはいえ、ここは戦場。武士たけしは身を引き締め直し、いつでも弓を引けるように弓の胴を握り締めた。


(来る)


 徐々に聞こえる蹄の音。蒙利軍の足音。その先頭が谷に差し掛かった瞬間、光明が大声で命じた。


「構え!」


 光明の命を受け、弓矢を持った者たちが一斉に立ち上がる。崖の上に立ち現れた弓矢に、蒙利の武士たちがざわめく様子が見えた。

 その瞬間、武士たけしは確信した。この戦、勝たなければならない、と。


「――撃て!」

 ――オオッ


 号令と共に、矢が大量に放たれる。ヒュンヒュンと数え切れない矢が降り注ぎ、蒙利軍はたちまち混乱に陥った。


「こちらも迎え撃て!」

「くそっ」

「――ギャアッ」

「うわあああぁっ」


 指揮する将の声が轟くが、それに正しく対応出来る者は少ない。降り注ぐ矢はあたらずとも視界を悪くし、更に落とされる石の雨を回避出来なくする。

 矢に貫かれる者、大きな石の下敷きになる者、逃げ惑う者。阿鼻叫喚と化した谷を見下ろし、武士たけしは弓を引く手が震えた。


(怖い。おれの放った矢が、誰かの命を削り、落とさせる……。それでも)


 それでも、護りたいものがある。護りたい約束がある。先に目指した夢がある。

 夢を夢として終わらせないためには、ここで勝たなければならない。それはゲームのように命のリセットが効かない、本当の殺し合いの現場に立つ覚悟だ。

 武士たけしは己の描く理想を現実とするために、一心不乱に弓を引いた。おびただしい数の悲鳴から耳を塞がず、心を律して歯を食い縛る。


「はっ!」


 彼の傍には同様に弓を引く光明がおり、驚異の的中率で敵を倒していく。その瞳に映るものは使命感であり、生きる覚悟だ。

 落ちる矢は、落下の速度が加わることで威力を増す。石も同様で、次々と蒙利軍の足軽や武将たちを地に転がしていく。

 圧倒的な勝利を目前にしたかに思えたが、武士たけしは崖下を通る蒙利軍の数が妙に少ないことに気付いた。木織田の倍以上の兵力を持つと光明から聞いていたが、今自分たちが相手にしている数はそれに遠く及ばない。


(別のルートを取った? その可能性もあるけど、何か……)


 考えながら弓を引くと、命中率は格段に落ちてしまう。何か引っかかりを覚えつつも、武士たけしはその答えを掴むことが出来ないでいた。


「光明さん、後ろへ行ってきます」

「すぐ戻れ」

「はい」


 そろそろ矢筒の中は空になる。武士たけしはその場を離れることを光明に伝え、草むらに隠れながら矢の補給に向かうことにした。

 既に蒙利軍は壊滅に近く、武士たけし一人がいなくとも勝負はつきかけている。光明の指示で三分の一の兵が崖を離れ、この先の本番の舞台へと移動した。眼下に広がる谷は、死体か重傷者で埋め尽くされている。最早、彼らに戦う意思はない。

 武士たけしもようやく乱れた呼吸を整えられると思っていた。

 しかし、その考えは甘かったのだと気付くことになる。


「――者ども、今だ!」

 ――おおっ


 聞き覚えのない声が、近くから聞こえた。背の高い草に身を隠しながら進んでいた武士たけしは、その声に驚き振り返る。


「……え?」


 彼が見たのは、信じられない光景だった。

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