第51話 奇襲

 先程まで味方が弓を構えていたはずの場所に、人が倒れている。それが立っていた人物と同じだと気付くために、武士たけしは数秒を要した。

 急いで目を走らせれば、同じ状況の範囲は広い。対岸を見れば、同様に味方が倒されている。


「一体、何……わっ!?」

「しっ」


 突然頭を押さえ付けられ、抵抗する間もなく地面に伏せさせられる。誰の仕業かと目を動かして隣を見れば、そこには険しい顔をした光明がいた。彼の眼光は鋭く、じっと何かを見詰めている。

 光明の手は力任せに武士たけしの頭を押さえ付け、顎に小石が突き刺さって痛い。手加減を頼もうと口を開きかけた武士たけしだが、光明が何を見ているのかに気付いて己の目を疑った。


(そんなっ。あの旗は、蒙利軍!?)


 喉がヒュッと音を出す。

 武士たけしは血の気が引くのを感じながら、黙ったままでいる光明へと視線を戻す。彼は微動だにせず、じっと何かを待っていた。

 彼らの頭上を数え切れない矢が飛び交う。木織田、蒙利双方からの応酬だ。

 怒号が飛び、悲鳴が聞こえ、混乱を助長する。

 どうやら、この崖を決戦の一幕目だと考えていたのは木織田だけではなかったらしい。蒙利は谷を行く囮の軍と木織田を背後から奇襲する軍とに分け、時を見計らっていたのだろう。


(考えが読まれていた、ということか。……くそっ)


 武士たけしは拳を地面に叩きつけたい衝動に駆られたが、光明の手がそれを許さない。

 何故光明が隠れて戦わないのか、何故じっとしているのか。武士たけしにはその理由がわかったが、納得出来ないでいた。


「止めぃ!」


 やがて、蒙利の何者かが矢を射るのを止めさせた。彼らが攻撃を止めると、木織田の側からは物音一つしない。蒙利はそれに満足したのか、全体に撤退を命じた。

 ザッザッザッという蒙利軍の足音が遠ざかり、光明はようやく大きく息を吐き出す。そして眉間のしわを深く刻んだまま、ぼそりと「やられた」と呟いた。


武士たけし、見ていたか?」

「……はい」


 上からの圧迫感がなくなり、武士たけしはようやく地面から体を起こす。土や草、泥で体の前側が汚れきっていたが、そんなことは気にならなかった。

 じっと自分を見詰める武士たけしの視線の意味に気付き、光明は軽く息を吐く。そして、険しい表情のままで弟子と視線を交わした。


「お前はおそらく、何故私が彼らを見殺しにしたのか問いたいだろうな」

「自分の感情に従うのならば、そうです。ですが、何故光明さんがそうせざるを得なかったのかがわかるから、ここで問い詰めることはしません」

「……そうか」


 痛そうに微笑んだ光明は、惨劇に背を向けた。


「行くぞ、武士たけし。……あいつらに顔向け出来ないような戦はしない」

「はいっ」


 泣いている暇はない。自分たちに出来ることは、仲間の死を無駄にしない戦いをすることだけだ。

 武士たけしは溢れそうになる涙を手の甲で拭い、歯を食い縛って光明の背を追った。



 一方、バサラはいつやって来るかもわからない蒙利軍を待ち、飛び出せる心積もりだけは整えていた。

 バサラを始めとした木織田軍は、蒙利最西端の城を眺められる丘に陣を建て、着々と支度を進めている。


「バサラ」

「どうかしましたか、信功様?」


 物見台として使っている崖の上にいたバサラを振り向かせたのは、先程まで陣にいた信功だ。彼は堀を作る者たちへの指示出しをしていたはずだが、とバサラは首をひねる。

 その疑問をバサラが口にするよりも先に、信功が種明かしをした。


「堀は、五郎太たちに任せてきた。わしは奥にいろ、と煙たがられてな」

「ま、大将ですからね。信功様は、どんと構えていて下さい。細かく動くのは、オレらの仕事です」

「頼もしくなったな、バサラ」


 くるりと刀を回して見せるバサラに、信功は本当に嬉しそうに微笑んだ。

 信功のそれがくすぐったくて、バサラは照れ笑いを浮かべて目を逸らす。そしてぼそり、と言い訳のように呟いた。


「オレは、武士たけしがいるから。あいつを、あいつが護りたいものを護ろうって決めてるんで。二人で豊葦原を統一しようって決めたから、約束を守るために出来ることをしたいだけですよ」

「友のためだとしても、それを実行出来る者は数少ない。わしは、お前たち二人とあの戦の場で出会えたことが神の導きのように思えてならんよ」

「くくっ。買いかぶり過ぎですよ」

「ははっ。本当のことだ」


 肩を揺らし、二人は笑い合う。一時的な和やかな空気が流れたが、それは上り坂を登って来た見張りの兵によって破られる。


「お館様!」

「何があった、落ち着け」

「いえ、落ち着いて等……いられませんっ」


 咳き込みながら、彼は真っ赤な顔をして信功の目の前に片膝をつく。信功もそれ以上余計な事は言わず、ただ「申せ」とだけ命じた。


「はっ。……光明様より『谷の戦いでほとんどの戦力を失った』と」

「……なんだと? 詳しく申せ」

「蒙利軍は、谷間を通る軍を捨て駒とし、そちらに注意が向いている間に光明様たちの背後を取った、ということでございます」

「なんと、いうことだ……」


 言葉を失う信功の隣で、バサラも唖然とした。しかし深く考えるよりも先に、彼には大きな気がかりがある。身を乗り出し、使いを果した男に尋ねた。


武士たけしは? 武士たけしは無事なんですか!?」

「確か、生き残ったのは先にこちらへ向かわせた者たちと光明様、そして武士たけし殿だと聞いている」

「……そう、ですか」


 バサラは胸を撫で下ろしつつも、素直に喜びを出すことは出来なかった。

 奇襲を受けた時、谷を見下ろす崖の上にいた者たちのうち、生き残ったのはたった二人だけだ。彼らが目にした惨劇を思うと、言葉もない。


「も、蒙利軍は光明さんの作戦を読んでいた、ということでしょうか」

「そう考えるべきだろうな。……崖でほとんどを排除出来ればと思っていたが、簡単には勝たせてくれぬようだな」


 口調は穏やかながら、信功の表情は険しい。使いの男を戻らせ、振り返らずにバサラに呼び掛ける。


「バサラ」

「はい」

「……勝つぞ、この戦。大切な配下たちを捨て駒に使うような奴に、負けるわけにはいかない」

「はいっ」


 バサラもまた、怒りに胸を焼かれるような心地を持つ。柄を掴む手に力が入り、蒙利軍がやって来るであろう方向を睨み付けた。

 その時、見張りをしていた男が声を上げる。


「蒙利軍だ!」


 その時、戦いの火ぶたが切って落とされた。

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