第54話 祈り
そこへ行き合った克一は、しばしその美しい光景を見詰めることにした。そしてゆっくりと大きな体を動かし、そっと和姫の近くに腰を下ろす。
「和姫様」
「……克一殿」
「美しい月ですが、この時期は体を冷やしてしまいますよ。お入りになっては?」
「ありがとうございます。ですが……いえ、そろそろ戻ります」
何かを言いかけた和姫だったが、それを口にすることなく克一の言葉を素直に受け取った。しずしずと襖の内側へと入り、そっと閉じるのがいつものことのはずだった。
しかし今夜、和姫はふと月を振り返って動かない。襖は中途半端に閉じ、外の冷たい風が彼女の小袖を揺らした。
「和姫様」
「……っ。ご、ごめんなさい、克一殿! わたくし、ぼおっとしておりました。すぐに入り……」
「考えておられたんでしょう? 蒙利との戦に向かったお父上や……
「……ええ。ばれてしまいましたか」
「わかりやすかったですよ、姫様」
両手で頬を挟み、和姫は赤くなった顔を隠そうとする。その恥ずかしそうな仕草が娘のように可愛らしく思え、克一は目を細めた。
和姫の肩に打掛をかけ、そっと襖を閉じる。克一は梅を呼びに行こうかと思ったが、考え直して彼女の前に腰を下ろした。
「何か、顔についていますか? そんなに克一殿にじっと見られるようなものが……」
「いいえ。ただ、百面相しておられる姫様を見ているのが楽しいだけです」
「た、楽しいのですか?」
「ええ、とても」
「……ならば、良いのですが」
にこやかな表情で頷かれ、和姫は言葉に窮した。そしてふと思ったことがあり、克一に目を向ける。
「あの、克一殿」
「何でしょうか、姫様?」
「こういう時でなければ、ゆっくりお話しする機会もありません。少し、わたくしに付き合っては頂けませんか?」
「我で宜しければ、幾らでも」
克一がそう言うと、和姫はぱあっと表情を明るくした。そして「ありがとうございます」と微笑むと、そっと胸元の勾玉を手のひらに乗せる。勾玉には首に下げるための紐が付いているが、その色は赤と青。和姫が好んで身に着ける桃や白とは違い、少々濃い色目だ。
じっと見られていることに気付いた和姫は、肩を竦めて微笑んだ。
「わたくしらしくない色目だ、とお思いですか?」
「ええ。ですが、我には見覚えがある色でもありますよ。……あの二人が、戦に出る前に首から下げていたものと同じ組み合わせですね」
克一に言い当てられ、和姫は素直に頷くしかない。
足を怪我してから一度も戦に出ていない克一だが、仲間たちが出る時には武運を祈って見送りに行く。その時、二人の少年たちが嬉しそうに首から下げていたのだ。よく覚えている、と克一は笑う。
「あれらも、姫様が贈られたのでしょうな」
「その通り、です。改めて言われると、存外恥ずかしいものですね……」
「ふふ。それで、何か我に訊きたいことがおありなのでしょうか?」
「あ……そうです。克一殿にお聞きしたいことがあるのです」
「何なりと」
克一に促されるが、和姫は口を開きかけ、閉じる。それを繰り返し、なかなか言葉を発しない。克一は辛抱強く待ち、その間すら微笑ましく感じていた。
「か、克一殿は、何度も戦を経験されていますよね」
「ええ、姫様。この足が言うことを聞かなくなるまでは、敵をバッサバッサとは言い過ぎですが、斬り倒しておりましたよ」
「バッサバッサ……。怖くは、なかったのですか?」
刀を持つ真似をして何かを切る克一に、和姫は尋ねた。敵と相対することは、怖くないのかと。
彼女の懸命な様子に、克一はふざけ心に蓋をした。この姫君の問いには真面目に応じるべきだ、と考え直す。
「怖くない、と言えば嘘になりましょうな。誰もが死にたくなどありませんから、敵とて必死に我らを殺しにかかってきます」
「それでも戦っておられたのは、どうしてですか……?」
「その問いにお応えする前に、我からも姫様にお尋ねしてもよろしいか?」
「? はい」
まさか自分に問いが返って来るとは思わず、和姫は目を瞬かせる。
そんな姫君に、克一は愛しみを籠めて問いかけた。問いかけというよりも確信に近い、確認のような言葉だったが。
「貴女は、何かが怖いのですね?」
「……はい、怖いです」
「何が怖いのか、伺っても?」
「……。いつも、怖いのです。戦がある度、父上や光明殿が鎧兜を身に着けて出て行く度、無事に帰って来て欲しいと月に祈っていました。ですが」
和姫は胸元の勾玉を握り締め、辛そうに目を伏せる。
「今は、もっと怖いと、恐ろしいと感じます。わたくしがこの世界に、戦いを是とする世界に呼んでしまった二人が、無事に戻って来て欲しいと祈らずには、願わずにはいられません。……もしもを考えてしまい、夜中に目覚めることもあります」
「……姫様は、本当に彼らのことを案じておられるのですね。そして、とても気に入っておられる」
「そう、なのだと思います。彼らは、わたくしには見えなかった世界を見せてくれます。鮮烈で新鮮で、彼らといると自然と笑みがこぼれるのです。……彼らを、
どうしたら良いのでしょうね。和姫はそう言って、困ったように微笑んだ。
彼女の表情を見ていた克一は、微笑ましくも辛い思いを感じた。彼女らのような子どもたちまでもが死と隣り合わせの戦へと出ることに、何とも形容しがたい無念さを。だからこそ、と克一は目を細める。
「姫様は、ご自分にしか出来ないことをずっとなさっていますよ」
「ずっと、ですか?」
「ええ。……ずっと、我らの帰りたい場所を護っていて下さいます。それは貴女にしか出来ないことであり、貴女がいると、待っていると信じているから、お父上方は前を向いて戦えるのですよ。護りたいもののために戦う時、人は何者よりも強くなれるのです」
「非力なわたくしでも、皆さまの役に立てているのでしょうか」
「勿論ですよ、姫様」
「そう、なのですね」
真っ直ぐな肯定を受け、和姫はほっと胸を撫で下ろす。手を開き、勾玉をじっと眺めた。灯りに照らされたそれは、赤く輝いている。
勾玉の中に二人の姿を見た気がして、和姫はそっと胸元で握り締めた。
「必ず、帰って来て下さい」
和姫の祈りの先に、
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