その首を

第35話 待つ者たちの策

「――っ、見えた!」

「ああ。オレも、見えたっ」

武士たけし、後は歩きますっ」


 三日月がわずかに照らす夜が終わりかける中、三人の姿は木織田の陣営近くにあった。土や泥、川の水、木の葉で汚れながら、ようやくここまで辿り着いたのだ。

 既に体は限界を訴えているが、ここで立ち止まれば元の木阿弥。武士たけしの背から無理矢理下りた和姫を加え、陣へと最後の力を振り絞る。

 日の光が山の向こうから昇ろうとしていた時、法螺貝ほらがいが鳴り響いた。


「えっ」

「開、戦?」

「父上っ」


 高らかと響く法螺貝は、木織田の陣営から聞こえた。同時に数え切れない程の武将たちが平野へと駆け出し、雄叫びを上げる。彼らを乗せた馬が土煙を上げて駆け、その後を足軽たちが追う。

 木織田の陣から飛び出したのに呼応するように、武富士側からも馬や人が飛び出して行く。しかし、その勢いは木織田に劣るように武士たけしたちには見えた。


「何か、違う?」

「わかんねぇけど、急ごう。信功様たちに和姫の無事を伝えないとな」

「――ああ」


 三人が懸命に森の中を進んでいた時、武富士の陣では早馬で届いた知らせに玄定が目を剥いていた。緊急の文をたずさえてきた男はガクガクと震えながら、地面に平伏するしかない。


「……これは、どういうことか?」

「あ……。し、城に二人の子どもが闖入し、人質の姫君をさらって行きましたっ」

「しかも、木織田の者たちもやって来て、城に攻め入られたと書いてあるが。これは、真か?」

「ま、真、にございます」

「――ふん」


 グシャリ、と玄定が文を握り潰す。その紙くずを後方に放り投げると、玄定は「はーっ」と長い息を吐いた。

 そして、膝の上に置いていた拳を握り締めて呻る。


「子どもに侵入を許し、姫を奪われ、城までも攻め入られ……。なんとしたことか。それ程弱く、意気地のない武将しかおらんのか、我が武佐志には!」

「ひいっ」


 突然叫んだ玄定の声の大きさと怒気に、文使いをした青年は思わず頭を抱えた。そんな彼が可哀そうになり、玄定の後ろに控え文を拾った鷹村が苦言を呈する。


「お館様、使いに怒りをぶつけても仕方ありますまい」

「黙っておれ、鷹村!」

「……」

「全く、どいつもこいつも」


 押し黙った鷹村にそれ以上意識を向けず、玄定は自ら本陣の外へ出て配下へと指示を飛ばした。


「朝日と共に出撃せよ! 木織田を滅ぼすのだ!」

「お……おおっ」


 玄定の剣幕に気圧され、武将たちは怯えながらも角立ち位置へと戻って行く。彼らの不安はその配下へと伝染し、士気の低下を招く。

 怒りに身を任せて唾を飛ばす玄定を後ろで眺めていた鷹村は、一人ふっと息を吐いていた。その表情には、憂いがにじむ。


(潮時、かもしれぬな)


 最早、玄定が自分の言葉に耳を貸すことはない。そう結論付けた鷹村は、朝焼けと共に武佐志の陣営から姿を消した。


 一方木織田の陣営では、武士たけしたちを待ち切れない信功が光明に呆れられていた。そわそわと落ち着かない主に、光明はため息を漏らす。


「全く、そんなに百面相されても仕方ないでしょう。必ず帰って来ると武士たけしたちは約束したのですから、落ち着いて下さい」

「わかっている! だが」

「だが、ではありませんよ」


 主の言い訳をばっさりと斬り捨て、光明は現場へと指示を送る。見た目には冷静な光明だったが、時折持っている筆を取り落としていた。

 その様子を見た信功は、小さく笑う。


「流石の光明も、唯一の弟子は心配か?」

「……まあ、少々は」

「素直ではないな」

「――こほん。ほら、私ばかりが指示をしてはどちらが主かわかりません」


 光明は咳払いをして、信功に指示権を返す。しかし耳たぶが赤くなっており、信功は内心微笑ましく思っていた。

 とはいえ、戦の火蓋を先に切ったのはこちらだ。朝焼けと共に開戦の狼煙を上げたのには理由がある。


「光明、あちらの城へ向かった者たちからの知らせは?」

「はい。無事、城に入ったとの知らせがあります。今見えている火の手は、こちらが放ったものかと」

「ということは、バサラたち三人が脱したということだな」

「三人を逃がしてから火を放て、と指示してありましたから。五郎太たちがそれを違えるはずがありますまい」


 武士たちが和姫救出に向かった後、信功と光明は五郎太を呼んで話し合いの場を持った。主な話題は、三人への援軍をどうするか。

 真っ先に声を上げたのは、娘の安否を案ずる信功だ。


「まず、前提として三人を救う一手を打ちたいのだ」

「二人で入り込んだとして、姫様と共に改めて城を脱するのは難しくなっているでしょうね。どれだけうまく入り込んだとしても、帰る頃には侵入は気付かれましょう。彼らを手助けする手は確実に必要です」

「その通りだ。そこで五郎太に頼みたい」

「俺に、でございますか?」


 命令を受け、五郎太は目を瞬かせる。


「俺としてもバサラたちの手助けはしたく思います。ただ、その策は?」

「小隊を率いて夜の内に城の見える位置まで近付き、合図を待ってもらいたい。城には、私の指示を受けた忍が入り込んでいる。彼に狼煙を上げさせよう」

「成程、流石は光明殿」


 お任せあれ。五郎太はトンッと胸を叩くと、配下たちに指示を伝えるためにその場を辞した。

 五郎太たちが木織田の陣を出たのは、それから一刻、約三十分程後のことだ。

 彼らが無事城への攻撃を行なったことを知った信功たちは、作戦通り、朝焼けと共に武士たちを動かすことになった。事前に指示を受けていた武将たちは、信功の指示を受けるとすぐに動き出す。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る