第36話 反撃開始

「つい、た」


 空の白みが落ち着いた頃、武士たけしたちの姿は木織田の陣の前にあった。血や泥で汚れた少年たちを見て、見張り役の武士は怪訝な顔をする。しかし彼らが見知った者だとわかると、急いで陣営の中へと駆け入った。

 本陣奥で光明と共に戦の策を巡らせていた信功は、駆け込んで来た武士に怪訝な顔を見せる。


「お館様、お館様!」

「どうかしたのか。大声を出さずとも聞こえ……」

「か、和姫様たちがお戻りでございます!」

「何だと!」


 その大音声は陣全体に響き、傍にいた光明は耳を塞ぐ。声が落ち着いた後、光明は興奮冷めやらぬ主を制して三人をここへ呼ぶよう促した。

 それから数分後、武士たけしたち三人が信功の前に姿を見せる。武士たけしとバサラは信功たちの顔を見ると、ほっと胸を撫で下ろした。


「お館様、光明さん」

「ただいま戻りました!」

「父上!」

「和!」


 泥だらけの娘を目の前にして、子煩悩な信功が大人しくしているわけがない。ガシャガシャと鎧を鳴らして駆け寄ると、娘の顔を確かめて抱き寄せる。「うぐっ」と和姫が苦しげに呻くが、父は意に介さない。ぎゅうぎゅうと抱き締める。


「和、和。気付かずにいて悪かった、怖かったろう」

「だ、大丈夫です、父上。か、必ず、武士たけしとバサラが来てくれると、信じていましたから」

「……そう、だな。お前の言う通り、二人はわしのもとへもすぐに馳せ参じてくれた。そして今、お前をこの腕に戻してくれた」


 信功は赤くなった目元を籠手こてを備えた手で拭うと、娘を離す。そして、無言で見守っていた武士たけしとバサラに頭を下げた。

 突然主たる信功に頭を下げられ、慌てたのは武士たけしとバサラの方だ。


「あ、顔を上げて下さい!」

「そうですよ、信功様!」

「いや、下げさせてくれ。本当に、かたじけない。娘を取り戻してくれた恩、忘れはせんぞ」

「いえ、本当に……」


 ほとほと困ってしまった武士たけしは、近くに控えていた光明に視線で助けを求める。しかし光明は、わずかに目元を緩ませただけだった。


「本当に心配しておられたんだ。これくらいのこと、当然だろう」

「ですが、おれたちは五郎太さんたちの助けがなければ戻って来ることは出来ませんでした。ですから、お互い様です」

「……だ、そうですよ。お館様」

「それこそ、わしの出来ることしかやっておらん。いつでも兵を動かせるよう、備えておく必要があったでな。最少人数を差し向けることしか出来なんだ」

「充分過ぎる程です。お蔭様で、オレたちは戻って来られたんですから。もう顔上げて下さい、信功様!」


 渋面を作る信功に、バサラが呆れつつも感謝を伝える。そうすることでようやく顔を上げた信功は、咳払いをして表情を改めた。


「――コホン。よく戻って来た、三人共。戦のことはわしらに任せ、少し休みなさい。砦の奥に小屋があるから、そこで飯を貰うと良い」

「ありがとうございます。和姫、先に行っていて」

「わかりましたわ」


 頷き歩いて行く和姫を見送り、武士たけしとバサラはその場に残る。そして、何人もの報告を受け指示を飛ばす信功の後ろに控えた。

 漏れ聞こえて来るのは、戦況についてのもの。怪我人の数、味方の状況、敵の数、規模、その他、様々な情報が集まって来る。

 武士たけしは近くでメモを取っていた光明に近付き、そっと尋ねた。


「光明さん、今戦はどうなっているのですか?」

「お前たちは……。奥で休めと言っただろう」

「申し訳ないです。ただ、どうしても気になって」


 叱責され、武士たけしは小さくなってしまう。しかし光明は微苦笑を浮かべ、「ついて来い」と手招いた。白い幕の張られた陣営の中からは、戦場を見渡すことは出来ない。しかし奥の高台からであれば可能だ。

 武士たけしと、彼が離れるのに気付いたバサラが光明の後を追う。そして辿り着いた高台からは、今までに見たことのない光景が見えた。


「嘘、だろっ。向こうが逃げてく!?」

「まだ、始まって数時間じゃ……」


 二人が目にしたのは、勢いづく木織田軍に追われて逃げようとする武富士軍の様相だった。遠くから見てもわかるほど、戦意に差がある。木織田軍からは雄々しい叫び声が聞こえるが、武富士側からはそんな声はしない。

 武富士は総崩れだ。しかし、歴戦の猛者であるはずが何故。武士たけしとバサラは困惑し、顔を見合わせることしか出来ない。

 そんな二人に答えをくれたのは、戦況をつぶさに見てきた光明だった。


「驚いたか、二人共」

「驚く、なんてものじゃないですよ」

「はい。でも、どうしてですか? 武佐志国の武富士と言えば、虎に例えられる猛者ではないのですか?」

「不思議に思うのも仕方ない。私としても、喜ばしい想定外だったからな」

「喜ばしい想定外、ですか。どうして……」

「ああ。武富士は、勝手に崩れてくれた。戦が始まった当初から士気も低く、こちらの勢いが強いと見るや、戦を捨てて逃げ出す者もいたと聞く。……何故か、わかるか?」


 光明に問い返され武士たけしとバサラは答えに窮した。先程まで逃げ出すのに必死だった二人には、戦況など気にする余裕などなかったのだ。

 正直に「わかりません」と首を横に振る少年たちに、光明は目を細めた。


「何故かなど、答えるのは容易い。お前たちが、向こうの城で内部を引っ掻き回してくれたお蔭だ」

「オレたちの?」

「どういうことですか?」

「まだわからないか? お前たちが姫様を救うためにどう立ち回ったのかは知らんが、城で犯した部下たちの失態に対する玄定の怒りは半端なものではなかったらしい。それに怯えた者たちが、情けなくも離脱しているのだよ」

「武富士の殿様、怒り狂ってんのか」


 肩を竦め、バサラが呟く。


「それもこれも、身から出た錆ってんだろ。和姫の件がなくたって、そんな武将はいつか愛想付かされるもんだ」

「珍しいな、バサラ。お前がそんなこと言うなんて」

「たまにはな」


 クスッと照れ笑いするバサラを珍しげに眺めた武士たけしだが、風に乗って来たむせ返るような血のにおいに顔をしかめる。戦場を見渡せば、立っているのは木織田の武士ばかりだ。


「さて」


 ぱちん、と光明が懐から取り出した扇子を閉じた。その扇子で指し示すのは、黒い煙のたつ城の下――武富士の本陣である。


「反撃といこうか」


 光明の言葉に合わせたかのように、戦場では第二幕が始まりつつあった。


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