第2話 タイムスリップ?

 頬に何かがあたっている。そして当然のように知っている土のにおいと共に、何やらきな臭い、嫌なにおいも漂って来ていた。


「ん……? え、部屋じゃない!?」


 武士たけしは意識を覚醒させると、自室のベッドの上でないことに驚いた。手が掴んでいるのは、乾いた土。うつ伏せだった体を起き上がらせると、頬や髪にも砂が付着していた。

 それらを丁寧に振り落とし、武士たけしはようやく周囲に目をやる。

 しかし武士たけしがゆっくりと見る前に、隣で倒れていたバサラが勢い良く起き上がった。軽く砂埃がたつが、バサラは気にしない。

 状況を頭が拒否しているのか硬直しているバサラを一旦放置し、武士たけしはふむと考え込んだ。


「ここは……森? いや、人の声も聞こえる」

「んぁ、武士たけし? 朝でもないのに何で武士たけしがオレの部屋に……って、違う!?」

「よかった、バサラも一緒だな。正気に戻ったし」

「それはオレも安心したけど……ってそうじゃない! なんだって、オレたちは外で寝転がってたんだ!?」


 一人で寝起きから元気の良いバサラに、武士たけしは反対に心が落ち着く。バサラという友人が一緒だということだけで、武士たけしは少し冷静になれた。

 ギャーギャー騒ぐバサラを放置し、武士たけしは改めて周囲を観察する。


(見知らぬ森だな。生い茂っていて、鳥の声もする。だけど、この胸騒ぎはなんだろう?)

「なあ、気付いてるか? なんか、生臭いというか、変なにおいしないか?」

「バサラも気付いた? 声もするよね」

「ああ」


 ようやく落ち着いたらしいバサラに小声で問われ、武士たけしは頷く。

 いつの間にか鳥たちの声はしなくなり、鼻を突くにおいがしつこく存在を主張した。風が吹き、こちらへ来いと誘う。

 武士たけしとバサラは頷き合い、逸る気持ちを抑えつつ歩き出す。


「あれは……えっ」


 体感で三十分程歩いた頃だろうか、徐々に喧騒が大きく響き始め、においも濃くなっていく。

 武士たけしは歩きながら、何度も立ち止まって回れ右をして逃げ出したくなる自分に気付く。何故なら、近付く程においの正体がわかってしまったから。それでも歩き続けたのは、先を行くバサラの結んだ髪を見失いたくなかったからだ。

 何処となく、ふと見えたバサラの顔色も悪い。

 やがて二人は崖の端に辿り着き、その場所を見下ろした。


武士たけし、あれって……」

「ああ……これは」


 武士たけし同様に言葉を失い、バサラは指を差す。その人差し指が示す先を見詰め、武士たけしは唾を呑み込んだ。


「戦場、だ。しかも、戦国時代の戦場いくさばにそっくりだ」

「あれ、ひょっとしてドラマの撮影とかじゃないよな」

「違う、よ。だってほら……本当に人が死んでるんだから」


 固唾を呑むバサラに対して、武士たけしは極力冷静な声で話すことを心がけた。そうしなければ、混乱と恐怖で叫び出してしまいそうだったから。

 改めて、頭の中で現状を整理する。武士たけしたちが立っているのは、戦場が良く見渡せる崖の上。見下ろせば、人馬入り乱れる死戦場だ。

 矢が飛び、刀が打ち合う音が響き、断末魔がそれらを凌駕する。馬のいななきは、主人を失った悲鳴だろうか。

 武士たけしは自分の足が震え、立っていられなくなっていることに気付いた。自覚するとすぐに地面に座り込むが、目を背けたくなる光景から目を離せない。


「何だ、ここは」

「オレたち、タイムスリップしたのか?」


 武士たけしの隣で立ち尽くすバサラが漏らした疑問は、二人共通のものだった。

 二人が何もしないままでも、戦場では戦いが続く。まさか少年たちに見詰められているとは誰も思わず、男たちは互いに命を削り合う。


「おおおおおっ」

「死ねエッ!」

「おりゃあっ」


 怒号が飛び交い、血飛沫が舞う。

 その中を、襲い来る敵兵を斬り捨て進み続ける一騎があった。血の雨を自ら創造し、狂気とも思える笑い声を発する一人の男。

 彼が一方の大将なのか、兵たちがこぞって襲い掛かる。しかし、誰一人として彼に刃を届かせる者はいない。

 何十人もをたった一人で刀の錆とした壮年の男は、馬に乗ったまま戦場の真ん中で笑い声を響かせた。


「はーっはっは! さあさあ、我が首を狙う者はおらんのか!?」

「……貴方が斬り捨てていったから、誰も来てはくれませんよ」

「それは残念だ」


 男の隣に馬を寄せた生真面目そうな側近の男が突っ込みを入れると、彼は肩を竦める。

 男は自分を遠巻きにする敵兵に向かって、自分の兵を突撃させる指示を出そうと扇を取り出した。大きく息を吸い、「進め」と指示を出せば良い。

 しかし、彼の目の前で死を覚悟した一人の敵が弓に矢を張った。青い顔をして震えながらも、その矢は男の胸へと向かう。


「覚悟っ」

信功のぶかつ様!」

「むっ」


 側近が矢を折り落とそうと刀を構えるが、間に合わない。

 矢の勢いはすさまじく、『信功』と呼ばれた男は矢を馬に乗っていたが為に身軽に躱すことが出来なかった。

 万事休すか。誰もがそう思い、信功の兵たちが弔い合戦を覚悟した。その時――


「おらあっ!」

「バサラっ!?」


 二つの声が轟き、信功の前に何者かが舞い下りる。彼は何処かで圧し折った木の枝で矢を受けると、弓を持った兵に向かって跳びかかった。


「正々堂々戦えやぁ!」

「ひっ!? 何だこいつは!」


 突然現れた少年に恫喝され、兵は思わずその場を退いた。

 その好機を逃がす程、信功は甘くない。


「――今だ、やれ!」

 ――オオオッ


 信功の号令に呼応し、たくさんの兵士たちが敵陣へと攻め込む。そこから信功軍の勢いが増し、やがて大将の首を取ったというときの声が響くことになる。


「さて」


 部下たちを出撃させた後、信功は自分の命を救った正体不明の少年を見下ろした。少年は自分から逃げた兵を追うでもなく、ただそこに突っ立って戦いの行方を見詰めている。


「お前」

「っ、は、はい」

「何処の誰かは知らぬが、助かった。礼を言う」

「あ……いや、オレは」


 自分の突発的な行動が見知らぬ男の命を救ったという事実に驚き、少年――バサラは戸惑いを隠し切れない。しどろもどろになりつつ、頼れる幼馴染の姿を探した。

 そこで、やっとの思いで崖を下りた武士がバサラの目に入る。

 バサラはパッと顔を輝かせると、信功たちの前から逃げて武士たけしの後ろに隠れた。


武士たけしっ」

「ちょ、バサラ!」

「頼むよ、武士たけし。……このおっさんたち、何もんだ?」

「それは……」


 武士たけしにも、今の状況が把握出来ていない。しかしバサラの突発的な行動を止められなかった自分を恥じる暇を与えられず、武士たけしの首に冷たいものが触れた。

 その冷たい切っ先と同じかそれ以下の温度を持った視線が、武士たけしを射抜く。


あるじを救ってくれたことには礼を言いますが、お前たちの正体がわからない以上、好きにさせるわけにはいきません」

「――ッ」

「その奇怪な衣服といい、髪型といい、お前たちは何者です?」

「そ、それは……」


 答えに窮する武士たけしを救ったのは、バサラに救われた壮年の男だった。


「構わん、陣へ通せ」

「ですが、信功様!」

「……のぶかつさま?」


 織田信長の息子の一人の名ではないか。武士が思わず復唱すると、信功と呼ばれた男は「おう」と言って歯を見せた。


「我が名は、木織田きおだ信功。お前たち、ついて来い」


 そう言うと、信功は武士たけしとばさらの返答を待たずに踵を返した。

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