第16話
「晶ちゃん大丈夫?」
げっそりとした顔で机に頰をつける晶に、凪が声をかける。
晶はか細い声で「うん」とだけ返事をするが、凪は眉を下げ晶の顔を覗き込む。
「どこか具合悪いんでしょ」
「ううん、大丈夫。本当に……」
若菜から逃げた晶は、真っ先に職員室に居る星野に縋り付いた。
「何があったんだ?」
「あの、この前の不審者がまた」
「なに? 今度はどうした」
「えっと」
奇妙な方法でスカートの中を見られたとは言い辛く、しかし他にどう言えば良いか思いつかなかった晶は躊躇いつつも口を開く。
「その、スカートを……」
言い淀む晶を見て察したのか、星野は晶の肩を叩き教室へ戻るように促し職員室の奥に消えていった。
晶が職員室を後にすると、奥から教師たちの騒めきが響いた。
こうしてぐったりとして教室に現れた晶を、凪がすぐにキャッチしたというわけだ。
「無理すんなよ、また倒れるぞ」
晶の前の席から斗真が声をかける。
斗真はまだ顔や首に絆創膏を貼っていたが、顔色は良いようで晶は少し安心した。
「うん。ありがとう」
「あんたその絆創膏どうしたの」
「あー、ちょっとな」
斗真がはぐらかすと凪はむっとした表情をして食いかかる。
「晶ちゃんも擦りむいてるし、二人で何か無茶したんじゃないの」
凪の核心を突く言葉に二人は一瞬黙って目を合わせる。
晶はすぐにまた机に伏せ、斗真はふぅ、と軽く息を吐いた。
「ちょっと部活で気合い入れすぎたんだよ」
「部活?」
「桜中央学園歴史研究部。略して
はあ? と凪は眉を顰め、斗真と晶を順に見つめる。
「歴研なんてあった?」
「今年度からできたんだよ」
そう。これは白鷺邸での報告の後、斗真が提案したことだった。
斗真いわく、白鷺と晶が共に行動しているのがとても怪しかった。そこに高麗と斗真まで入るともう目立ちすぎる。
だから対策を練ることにした。
つまり、四人が一緒に居てもおかしくない理由を作ったのだ。
桜中央学園歴史研究部の創設。
表向きは学校や周辺地域の歴史調査を目的とした健全な部活動である。
本来であれば部活動は生徒が五人居ないと認められないが、理事長権限により紙切れ一枚で即創部が決まった。
これで二人は部活動を行う生徒、白鷺と高麗は顧問と副顧問という組み合わせになり、怪しまれても言い訳することができる。
部室は理事室。部費は白鷺のポケットマネー。更にコーヒー飲み放題付き。
高待遇に見えるがその活動内容は邪霊の捜索と封印である。
「なんであんたが歴史研究……?」
凪は言いかけた言葉を途中で止め、机に伏せたままの晶をちらりと見遣り納得したように二、三度頷いた。
「ははーん、なるほどね。一緒の部活だったら放課後も一緒に居れるもんね」
「だからお前は……!」
「ねえ晶ちゃん私も歴研入りたいー」
「や、め、ろ!」
二人の漫才のような掛け合いにも慣れた様子で、晶は授業の準備を始める。
次は星野の授業のはずだ。今頃職員室では若菜のことで話し合いが行われているだろうか。これまでも教師の見回りがされていたのに、また負担をかけることになってしまうかもしれない。
若菜は何故自分にこだわるのか。晶には分からなかったが嫌な予感がしていた。
スカートのポケットに入れていた佐倉の定期入れが、若菜には見えていたと言う。あの時は羞恥と焦りでいっぱいいっぱいだったが、今考えるとおかしな話だ。
どちらにせよ今日の放課後白鷺に伝えなければならない。スカートの上から硬い定期入れに触れる。晶は疲れていた。
「ねえ見た? 今月号のmen's nonon!」
「見た! 辰海くん出てたよね。かっこよかった!」
クラスの女子たちの黄色い声も、今の晶には何も響かない。斗真と凪はいつのまにか言い合いを止めていた。
「辰海最近すげー人気だな」
「辰海?」
晶が聞き返すと斗真が頷く。
「隣のクラスの神崎辰海。読モやってんだよ」
「顔はいいけどちょっと冷めてる感じ」
へー、と感情のこもらない相槌に、斗真と凪は目を合わせる。
「晶ちゃん表情筋表情筋」
「んー……」
晶は疲れていた。
▽
【蜘蛛】の脚がカチカチと音を立てる。
【蜂鳥】の炎で炙られた殻がパラパラと剥がれ落ち、新しい脚が生えた。
消えて、と願えば、【蜘蛛】はざらりと崩れるように一瞬でその姿を霧に変え、晶の足元の影に沈んでいく。
晶は思った。【蜘蛛】は晶の言うことを聞く。
では【蜂鳥】はどうだろう。
斗真の中で眠っているというが、実は【蜘蛛】と同じくこうして意識の中に――――――。
晶ははっと目を開けた。また夢を見ていた気がする。この感覚は家で眠っている時にはない。
目を開けた瞬間に、夢の内容がサラサラと形を失うように消えてしまう。
ぼんやりとする頭を回転させる。
器用なことに、背筋をまっすぐにして椅子に座りながら船を漕いでいたらしい。
そのまま目線を前に遣ると、教壇に立ちながら怪訝そうな顔をしている星野と目が合う。
やってしまった、授業中に思い切り居眠りを。
霞がかる視界が段々と晴れてきた時、星野が自身の腕時計を見て口を開いた。
「終了。では、筆記用具を置いて用紙を後ろから回収して」
ぽかんとする晶を星野は困ったように一瞥し、小テストを終了させた。
「本野、紙回して……って、大丈夫か?」
前の席に座る斗真が振り返り、呆けたままの晶に声をかける。
晶は慌てて自身のテスト用紙を伏せてと斗真に渡した。
用紙に名前を書いた後から記憶がない。晶は内心冷や汗をかいた。
いくら転校してきたばかりだと言っても、真っ白な答案用紙は言い訳が出来ない。
案の定、放課後に星野から呼び出しを受け、がくりと肩を落とす晶だった。
「倒れたり不審者騒ぎもあったのは分かるけどな」
「すみません」
放課後の教室は茜日に照らされている。
真顔で謝る晶に星野はため息を吐いた。
中間試験前の小テストだったとは言え、テスト時間にうたた寝をしてしまったことは晶にとっても予想外だった。
転校前も勉強はそれなりに真面目にやってきたのだ。
この学園に来てからも、前の学校とややずれのあるカリキュラムに頑張ってついてきていたつもりだった。
むむっと唇を引き結ぶ晶を、星野はじっと見る。
責めるような視線ではないが、どうにも居たたまれなくなり、晶は視線を窓の外に彷徨わせた。
ふと、星野の手が晶の肩に伸ばされる。
晶は一瞬虚をつかれたが、その手が触れる前に避け、手で庇うように肩を隠した。
そっちは晶が負傷した方の肩だ。
晶の反応は反射的なものだったが、その時晶の脳裏には、高麗が晶の肩に手を当てて何かを探っていた様子が過っていた。
触られたらまずいと晶は本能的に感じていた。
星野は晶のその様子に瞠目し、パッと伸ばした手を引っ込める。
「悪かった」
「いえ、」
ばつが悪い様子で頭に手をやる星野に、晶は大袈裟に身を引いてしまったことを少し後悔する。
「まあ、居眠りには気をつけるように」
「はい」
「それと、実はこっちが本題で」
本題という言葉に晶は首を傾げる。
居眠りのことはついでだったということだ。
晶は少し肩の力を抜くが、続けられた内容に再び体が強張る。
「例の不審者の件なんだが......他の生徒には見向きもせず本野さんを狙っているようなんだ。何か執着されるような心当たりは?」
執着。晶はその言葉を噛み砕き、記憶を辿る。
若菜は晶に興味があると言った。それは何故か。
晶の脳裏にひとつの可能性がよぎる。
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