第5話


「その飲み込んだ何かというのは?」


「蜘蛛みたいな形をした重い空気と言うか、黒い霧のようなものだったんですけど、よく分からなくて……。ま、まさか毒とかじゃないですよね」


「体の方はうちの系列の病院でちゃんと診てもらおう。そして【蜘蛛】の絵は間違いなく呪画。地面に花のように生えた腕というのは――」


「恐らく、霊杭れいこうですね」


「霊杭……? あの、さっきから呪画とか難しい言葉が出てくるんですけど、なんのことですか?」


 晶の問いに白鷺が「ふむ」とひとつ息を吐く。


「理事長、こうなってしまってはもう」


「もとより隠す必要もない、か。よし、転校早々悪いが少し話に付き合ってもらうよ」


「は、い」


 居住まいを改め、晶は白鷺に向き直った。


「古い言い伝えだ」


♢♦︎♢


 昔々、あるところに小さな学舎まなびやがありました。


 幼い子供達が教養を身につけるための学舎には、いつも明るい楽しそうな声が響いていました。


 ところがある日、学舎はぞくの襲撃に遭い……教師と生徒が大勢犠牲になってしまいました。


 いつからか、学舎周辺に怨霊が出るようになりました。


 その怨霊は、その地に賊が入る度、子供に取り憑き、恨みを晴らすように賊を呪い殺すようになりました。


 そのことが噂となり、その地に賊は現れなくなりました。


 こうしてその土地は、呪われた土地と呼ばれるようになりました――。


♢♦︎♢


「はあ」


 急に怪談を始めた白鷺に、晶は気のない相槌を打つ。


「そんな土地にこの学園が建っているわけだ」


「まさか」


『ここは昔からいわく付きの土地で……』


 晶の脳裏に若菜の言葉が過ぎった。


 話の方向が薄々と分かってきた晶は、ぎゅっと眉根を寄せ白鷺の言葉を待つ。


「そこで『転校生』の本野晶くん。君は幽霊を信じるか」


「幽霊って……」


 若菜がそんなことを言っていたから、薄々覚悟はしていた。しかし改めて単語を出されると身構えてしまう。


 昨日までの晶だったら、馬鹿馬鹿しいと一蹴していただろう。


「この学校に幽霊がいるんですか」


「ああ、いる」


「そんなこと――」


 晶は否定できなかった。地面に埋まる青白い腕を思い出したからだ。アレはどう考えても科学で説明できない。


 手元に目線を落とし、白鷺の言葉を待つ。


「幽霊と言っても君が想像するものではないと思う。邪霊――言わば怨念のかたまり。それらがこの地に長らく棲みついているんだ。でもこれまでは眠っていた。ちゃんと封印されていたんだよ」


「じゃ、邪霊? 封印?」


 晶の疑問に高麗が答える。


「この学園の地下に、巨大な封印が施されているんだ。それで邪霊を眠らせていた。それを知っているのは、邪霊の【監視者】だけ。理事長と僕もその一人だ」


「ええと、監視って……その邪霊が起きないように見張ってたってことですか?」


「そう。白鷺家は代々この地の邪霊を管理する立場にある。だけど先日突然、邪霊の封印が何者かによって解かれてしまったんだ」


 晶は既に話についていけなくなっていたが、何かとんでもないものの封印が解けたということは理解できた。


「じゃあ私が見た地面に埋まった腕は、その邪霊だった……ということですか?」


「いや、違う」とキッパリと言い放つ白鷺に、晶は目を丸くする。


「邪霊は恐らく、君が飲み込んだという黒い霧の方だ」


「え……えっ!?」


 白鷺の言葉の意味を理解し、晶は喉を抑えて真っ青になった。治っていた吐き気が復活する。


 ありえない。そもそも邪霊というものが非現実的だ。そう思いたいのに、自分の身に起こった出来事への否定材料が足りない。


 晶はその目で見たモノも、飲み込んだ何かの喉越しも思い出せてしまう。そしてそれらは全て霊の仕業だと言われれば心のどこかで納得できてしまった。


「ひとつずつ説明しよう。まず今、君の口の中にある呪画。これは元々、邪霊を封印していた術の一部なんだ」


 白鷺が言うにはこうだ。


 昔の【監視者】達は、この地に棲む邪霊を安全に管理するため、邪霊をいくつかに分けて特殊な絵に封印することを思いついた。


蜘蛛くも

蜂鳥はちどり

くじら

蜥蜴とかげ

さる


 この五つの生物を模した絵に、邪霊をちぎって封印した。


「しかし封印が解かれ、邪霊は絵に入ったまま解き放たれた。君が見た【蜘蛛】の絵はそのひとつだ」


「え、じゃあこの絵が今私の舌にあるってことは……?」


 晶の質問に白鷺と高麗はちらりと顔を見合わせる。


 そして慎重に言葉を選び、答えた。


「落ち着いて聞いてほしい。今、【蜘蛛】の絵に封じられている邪霊は、君の中にいる」


 晶は気を失いそうになった。


「恐らく、【蜘蛛】は封印が解かれてから、ずっと校庭に潜んでいたのだと思う。そして何故かは分からないが、校庭に現れた君に取り憑こうとした」


「取り憑……!?」


「ただそれは失敗に終わった。君の中に侵入したはいいものの、君の体を奪えなかったんだ。【蜘蛛】の邪霊は君の中で眠っている。君の中に封印されたと言ってもいい」


「な、なん、なんで。ゔ……気持ち悪い」


 ショックから抜け出せない晶はおえおええずきながらベッドに沈んでしまった。高麗がいたたまれない表情でエチケット袋を手渡す。


「次に霊杭とは――」


「理事長、理事長。今日はもう」


「あ……」


 高麗が指差す先には、ずーんと沈んだオーラを放ちながらシーツを被って丸くなる晶の姿。


「もう無理……前の学校に帰る……」


「まあまあそう言わずに。前の学校に戻っても【蜘蛛】がいなくなるわけでもないんだし」


「こうなったのはそもそも私達【監視者】の落ち度だ。必ず君の中から【蜘蛛】を追い出すと約束するよ。だから君にも協力してほしい」


 白鷺の言葉に、晶はシーツから青ざめた顔を出して「なにに?」と問う。


「この学園の邪霊を再び封印するんだ」


「そうすれば君は邪霊から解放される」と白鷺は続けた。


 もう何も分からない。晶の脳の許容範囲を超えていた。


 ただ分かったのは、この学園には恐ろしい邪霊がいること。


 そしてそのひとつが晶の中にいるということだけだった。


「邪霊を、追い出せるのなら」


「うん。よろしい」


 その後すぐに病院に連れて行かれた晶だったが、結論から言うと、体にはなんの異常も見られなかった。


 それどころかどの医師も晶の舌に刻まれた呪画を視認することができなかったのだ。


 孫が倒れたと連絡を受けて駆けつけた晶の祖母も同じく【蜘蛛】が見えていなかった。


「霊感がない人には見えないんだ」という高麗の言葉に渋々頷き、晶は無理矢理納得した。


 その頃学校では、晶はストレスによる体調不良で倒れたということになり、オカルト系フリージャーナリストを語る不審者が学内に現れたと注意喚起がなされていた。


 こうして転校初日は最悪の一日として晶の人生に刻まれて終わったのであった。

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