第6話

 ▽


 雲の隙間から光の筋が走り、しばらくするとまた隠れる。


 晶は所々どんよりとした雲が覆う、晴れきらない空を眺めた。


 強い風は桜の花を乗せながら窓を叩き、まるで今年の花が終わることを告げるようだ。


 午後の授業は生ぬるい空気を孕み穏やかに過ぎていく。


 転校から一週間経ち、晶はようやく望んでいた平穏につま先を引っかけたくらいには落ち着きを取り戻していた。


 晶の体内に邪霊が居る。


 その事実を突き付けられたときは明るい学校生活を諦めかけた。今でもその事実を思い出すと気分が悪くなってくる。


 それでも晶が少しの安らぎを取り戻せたのは、邪霊がなんの気配も発さないことと、晶が学校に慣れる時間を作るため、この一週間は白鷺達が接触してこなかったからだ。


 それと、もうひとつ。


「晶ちゃん、ゴミ出し当番でしょ。一緒に行こう」


なぎさ。うん、ありがとう」


 隣の席の和屋わや凪は、転校間もない晶の世話をよく焼いてくれる。色白で丸っこい瞳を持つ凪は、微笑むと目尻が垂れるのが可愛らしかった。


 よく似合うロングスカートを軽く押さえながら、凪は教室のゴミを手際よくまとめていく。


 凪と仲良くなれたことは晶にとって幸運だった。


 凪はよくある女子同士の馴れ合いやグループのようなものに興味がないようで、さっぱりとした性格が晶とよく合った。


 凪と一緒に居ると、普通の学校生活を送ることができる。晶は心の中でほろりと涙を流した。


「おーい」


「あ、斗真とうまだ」


 もう一人、晶の心を支えてくれる存在があった。


 茶髪と白いパーカー、そして首から下げたゴツいヘッドホンが目立つ男子生徒――西條さいじょう斗真だ。


 何を隠そう彼はあの日倒れた晶を保健室まで運び込んでくれた恩人で、その後も何かと気にかけてくれている。


「斗真くん」


「本野、体調は? もう平気なのか」


「うん、もう大丈夫。迷惑かけて本当にごめんね」


「いや、いいんだけど……ってなんだよ和屋ニヤニヤして」


「べつにー?」


「なんだそれ」


 晶は凪と斗真に感謝の気持ちでいっぱいだった。


 優しい凪と誰にでも友好的な斗真のおかげで、晶が一から作り上げなければならなかったクラスでの人間関係はするすると構築されたのだ。転校に伴う不安が一つでも減るのは今の晶にとって重要なことだった。


 何故ならばそれ以上にどうしようもないものを背負ってしまったから。


 邪霊を再び封印する。


 頷く他に選択肢がなかった。晶はそれに協力しないとずっと体内に邪霊を飼うことになる。それだけは絶対に避けたい。


 これからどうするかを話し合うため、晶は今日の放課後理事室に呼び出されていた。


 凪が「そうだ」と手を合わせ、晶の横に寄る。


「これから三人で駅前行かない? 私バーガーの無料券あるんだ」


「俺はいいけど……」


「あ、ごめん。この後先生に呼ばれてて」


「えー残念」


「ごめんね、また今度」


「今日は二人で行ってきて」と言い残し、晶は理事室へと向かった。


「二人で行ってきて、だって。なーんだ脈なしじゃん」


「だからそういうのはいいって言ってるだろ……!」


「晶ちゃんかーわいいよね。表情筋死んでるけど感情が行動に逐一表れてて。名前呼び捨てでいいよって言ったらパアーって背中にお花が見えたもん。クーデレ系? 一緒にホラー映画とか観て反応観察したいー!」


「お前……嫌われたくなかったら本人に言うなよそれ」


 ▽


「体調はどうかな?」


「普通、です」


 理事室の中央にある円卓に座らされ、晶は戸惑いながら周囲を見渡した。


 奇妙な石像や絵画が飾られた広い部屋。壁の一面が一枚窓になっていて、そこから校庭が見下ろせる。円卓の中央には立体投影装置があり、【蜘蛛】の絵が宙に映し出されていた。


 コトンと音を立てて、芳純な香りとともに湯気立つカップが目の前に置かれる。


「まあコーヒーでも」


「ありがとうございます」


 晶はコーヒーには詳しくなかったが、このコーヒーは特別落ち着く香りだと思った。一口飲むと強張っていた体がじわじわと解けていくように緩む。


「美味しい」


「だろう。特製魔除けブレンドコーヒーだよ」


「ごほっ」


 晶がむせていると、部屋の外からバタバタと足音が迫り、バタンと理事室の扉が開かれた。


「遅くなりました! 色々データを弄っていたらうっかり時間を忘れていまして。あ、本野さん体は大丈夫? 一週間経ったけど友達できた? この部屋は理事長の趣味部屋みたいなものだからインテリアが気持ち悪いとか言わないであげてね。とりあえず呪画の様子診ようか。はいあーん」


「あー」


「高麗先生、その一息で話す癖どうにかならないかね」


 高麗は晶の内診を終えるとノートパソコンを円卓中央のモニターに繋いだ。


「とりあえず報告を。本野さんの舌上ぜつじょう呪画ですが、今のところ休眠状態と見て間違いなさそうです」


「やはり【蜘蛛】は晶くんの中で眠っているか」


「僕の能力ちからで呪画を切除することは可能ですが、その場合本野さんの舌ごといってしまうので……」


「え゛」


「ああ、高麗先生はこの学園の保健医であり、白鷺家で雇っている霊能力者でもあるんだ。彼なら呪われた部分を切除できる」


「ひえ」


 電気メスを持った高麗の姿を思い出し、晶は真顔で震えながら縮こまる。


「まあ生徒に対してその方法を取ることはないよ。とにかくこれからどうすれば君の体から【蜘蛛】を追い払えるか考えよう。君に知っておいてほしいことも多くある。では高麗先生」


「任せてください。この一週間で色々データを揃えてきましたよ。さあ本野さん専用の追加授業を始めましょうか」


 にっこりと圧のある笑みを浮かべる白鷺と高麗に怯えながら、晶は無言で頷くしかなかった。


 パッと中央のモニターの画像が切り替わり、五つの絵が映し出される。


 それらはナスカの地上絵を思わせる、いずれもシンプルな点と線で描かれた生物だ。


「これがこの学園に棲みつく邪霊です。【蜘蛛】を先頭に、【蜂鳥】【鯨】【蜥蜴】【猿】。いずれも呪画の状態でこの学園周辺に潜んでいると思われます」


「え、これ……全部ですか?」


 晶の問いに高麗が頷く。


「そう。この地の邪霊はもともと一つだったものを五つに分割して封じたものだからね。呪画は全部で五つ、存在する」


 子供の落書きのようなそれらは、どれもぽっかりと空いた眼窩がんかを持っている。深淵を覗き込むような感覚に晶は身震いした。

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