第26話

「ちょっと失礼しますよ~」


 診察室から姿を現した白衣姿の高麗が、辰海に向けて話し始める。


「神崎くん。親御さんが迎えに来るって」


「親にはなんて説明したんですか?」


「過労による意識混濁。倒れた時に打撲と裂傷。首の掻きむしった跡は過呼吸のせいって言ってあるよ」


「ありがとうございます」


「私は親御さんと少し話をさせてもらうよ。学園内で大事な息子さんに怪我をさせてしまったからね……」


「じゃあ今日のところは帰ろっか。神崎くんお大事にね」


 そそくさと帰り支度を始める晶に辰海はおもむろに向き直った。


「辰海でいいから。よろしく晶さん」


「ア゛ッ!?」


「う、うん? 辰海くん。また学校で」


 斗真の奇声に驚きながらも別れの挨拶をし部屋を出る。


 途中、思い出したように晶は高麗に耳打ちをした。


「高麗先生。この邪視除け、効いたみたいです。ありがとうございました」


 鞄につけたハムサのチャームを目で示すと、高麗は怪訝そうな表情を浮かべる。


「効いたって……それはよかったけど。また透視されたの?」


「多分、されそうになりました」


「それは困ったね。また色々対策を考えておくよ」


 高麗は腕を組み、心配そうに眉を下げる。晶はぺこりと一礼して斗真とともに医院を後にした。


「辰海はああ言ってたけど、俺は何もできなかった」


 口数の減った帰り路で、斗真は覇気なく呟く。珍しいその様子に晶は瞠目した。


「そんなことないよ。斗真くんが居なかったらと思うとぞっとする」


「俺じゃあない。なあ本野、お前が必要としているのは俺じゃなくて【蜂鳥】の力だろ」


 肩を落としながらそう問いかける斗真に、晶はすぐに言葉を出すことができなかった。


 もしかしたら斗真は、晶が散々悩まされている無力感に苛まれているのかもしれない。


 その仮説に行き着き、晶は急いでぶんぶんと首を振る。


「そんなことない! 私には斗真くんが必要だよ。斗真くんだけじゃない。もちろん理事長や……」


『白鷺から離れたほうがいい』


 ふと星野の言葉が浮かび、晶は一瞬言葉に詰まる。それを誤魔化すようにぱっと斗真を見上げた。


「みんなに支えられてる。とても恵まれてると思ってるよ」


「【蜘蛛】が中にいるのに?」


「うん」


「そっか……。お前には敵わねーな」


 斗真が顔を上げて微笑むのを見て、晶はほっと胸を撫で下ろす。


 いつも明るい斗真に支えられているだけではいけない。大切な仲間なのだから、支えあわなければ。


 晶は首の包帯をそっと撫でて、学園の方向を見やった。


 茜色の空を切り抜くようにそびえ立つ校舎は、中にいる時よりも冷たく排他的で、思わず足を止める。


 小さく見える窓の一つ一つから視線を感じるような、嫌な気配に晶は早足で斗真の腕を引いた。


「どうした?」


「何でもない。早く帰ろう。斗真くん今日は自転車じゃなくてバスなんだね」


「こんなグロッキー状態でチャリは無理だって」


「確かに」


 不安は伝播する。晶は冷える背筋を無視して学園に背を向けた。


 ▽


 若葉の季節が終わりに近づくと、清涼だった風がやや湿り気を含み始める。


 中間試験を終えたばかりの桜中央学園ではささやかな祭りの雰囲気が漂い、生徒達はみな口をそろえてある単語を放ち始めていた。


「ねえ晶ちゃんは体育祭の種目もう決めた?」


「え」


 しかしそれは、疲弊している晶達歴史研究部にとってはとても楽しめるものではなかった。


「体育祭……? この時期に?」


 晶は信じられないといった表情で目の前の凪に向き直る。


 その反応に首を傾げた凪は何でもない様子で話を続けた。


「うん、うちの学校は六月にやるんだよ。一学期の中間試験と期末試験の間に。まあ準備期間短いし、全校スポーツ大会みたいなものだけど」


「それって全員参加?」


「もちろん!」


「マジか」


 晶は額に手を当てながら放課後の教室に立ち尽くす。


 ゴミ出し当番の凪を手伝っている途中に知ってしまった学校行事。


 それは、体育祭。


 転校前の学校では秋に開催されていたため、予想もしていなかった。


 普通の学校生活を送っていたら楽しかっただろうそれは、心の余裕をゴリゴリと削っていく。


 晶は恐る恐る自分のやるべき事を指折り数えてみた。


 もちろん学生としての本分、勉強の時間は抜いて考える。


 まず、先週退院した辰海を交えてのブリーフィング。これはこれから行う予定だ。


 霊杭探しも続けるとして、その合間で星野に怨み屋の詳細を聞く必要もある。


 さらに若菜がいつまた現れるか分からない。その対策も高麗に相談しに行く。


 そして、英語の追試。


 そらみたことかと白い目で見てくる星野が想像に容易い。


 よりにもよって英語だけ中間試験で赤点を取ってしまったのだ。


 晶は背中を丸めて頭を抱えた。


 学園に残る幽霊はあと二体。行き詰まっている場合ではないがとにかく時間がなかった。


「あー無理。時間が全然足りない」


「そんなに体育祭いや?」


「そういうわけじゃないんだけどね」


「じゃあ自分の種目さっさと終わらせて後はサボっちゃおうよ!」


「そだね……もうそうしよ。ありがとう」


 投げやりな様子の晶に凪は困ったように微笑みかける。


 その穏やかな視線に気づいた晶は肩をすくめた。


「愚痴っちゃってごめん」


「ううん、違うんだ。晶ちゃん、今度どこかに出かけない? 気分転換に」


「え? うん。行きたい。どこに行く?」


「どこでもいいの。晶ちゃんと一緒なら」


 突然の凪の誘いに晶はやや驚きつつも素直に了承した。


 凪は誘った側にも関わらず本当に希望の場所はないようで、絶えず微笑んでいる。


「そう? じゃあ考えておくね。それであの……追試、終わってからでもいい?」


「当たり前だよ! 頑張ろうね!」


 友人と出かける約束。それは晶の望む『普通』の学生生活のワンシーンだ。自然と心が弾む。


 帰路につく凪を見送って晶は上機嫌で廊下を駆けた。

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