第51話
晶は両手で凪の肩を抑え、取り落としたスマホに視線をやった。
「みんなに連絡を、」
晶の意思を読み取ってか、【蜘蛛】の脚が影から伸びてスマホを引き寄せる。
その時、晶の体の下から弱々しい声が響いてきた。
「晶ちゃん、痛い……」
「凪!?」
凪の意識を感じさせる声に、晶は思わず抑える力を緩めた。
その瞬間、凪の体が一気に跳ね起き、逆に晶を組み敷いた。
「あ、ハアあアーあアっ。晶チャン、晶チャン捕まえ、捕まえったあーアハあっアーああっア」
「しまった――!」
凪は四肢を晶に絡み付かせ、歪に笑う。
人気のない廊下にはひたすら凪の笑い声が響いていた。
晶は豹変してしまった友人を見上げて、絶望の表情を浮かべる。
「ヒャハハハハハアハハハハ」
「お前は凪じゃない! 凪を返して!」
ブチンッと皮膚が千切れる音とともに、鋭い痛みが晶を襲う。
凪が晶の首元に噛みついていた。
そのまま暴れ始めたせいで白いシャツには血が滲み、ブチブチとボタンが弾けていく。
「くっ!」
そのまま揉み合う内に、二人は廊下の端まで転がった。
この場所だけ現実から隔離されたかのように空気が冷たい。
窓の外に見えるはずの学園の風景も、いつの間にか漆黒に塗り潰されていた。
晶の顔のすぐそばの壁から、ぬるりと白い腕が伸びる。
それは廊下の壁に沿って、花のように一斉に咲き始めた。
「霊……杭!」
晶の顔の輪郭をなぞるように青白い手が蠢く。
霊杭が現れたということは、近くに【猿】の邪霊が居る。
しかし晶はそれどころではなかった。
凪と両手を押し合っている状態で、晶はジリジリと押し負けていたのだ。
一体その細い腕のどこからそんな力が出ているのか。
目を見開きながら晶を捕らえようとする凪は、異常な力を得ているとしか思えない。
その時、【蜘蛛】の脚が凪を背後から掴んだ。
「ああああああ!!」
無理矢理晶から引き剥がされた凪は、唸り声を上げながら暴れる。
【蜘蛛】はそのままの勢いで凪の体を天井に叩きつけた。
「ぎゃう!」
「ハア、ハア。な、凪……」
【蜘蛛】の脚が消え、ぼとりと落下した凪の体から晶は距離を取る。
晶の体は凪と揉み合う内にひっかき傷や噛み跡だらけになっていた。
座り込んだまま後ずさる晶の目の前で、凪の目が開く。
そして重力を無視した異様な動きで起き上がる。
到底人間の動きではない。
「お、アー。お、アー。晶、ぢゃんのおどもだ、ぢ」
鼻血を垂れ流し、足を引き摺りながら、凪が晶に近づく。
晶は壁に手をつきながらなんとか立ち上がり、両手を構えた。
顔にできた引っかき傷から流れる血が目に入って、晶の視界を奪っていく。
力負けする相手に長期戦は不利だ。
友人の顔をした異形に向かって、晶は半歩踏み出す。
次に凪が飛びかかってくるのをいなし、晶は思いきり凪の肩を打つ。
晶は凪の動きを止めることを優先した。ごきゅっと関節が外れる音とともに凪の絶叫が響く。
晶の視界の端でぬるぬると壁に沿って揺れる霊杭は、凪を取り囲むように生えている。
それらは意志を持つかのように凪に向けて威嚇するように爪を立てていた。
晶の一撃に悶え苦しむ凪が、突如自身にまとわりつく白い腕を引っ掴んだ。
「ああああウウウウウ!!」
そしてそのまま白い腕に噛み付き、ぶちぶちと喰らい始めた。
晶は霊杭を食べる友人の姿に目を見開きながら距離を取る。
すると晶の目の前で奇妙なことが起こった。
ビチビチと魚のように跳ねる白い腕を喰らい尽くした凪の体が、瞬く間に自己修復し始めたのだ。
「回復した……!?」
晶はその回復速度を見て愕然とする。
異常な速さで怪我が治るのは晶と仲間達――邪霊憑きしか思い当たらなかった。
強化された身体能力で相手を翻弄し、鋭い爪と牙で仕留める。
晶は理解した。凪は既に【猿】の邪霊憑きに成っているのだと。
霊杭が凪の周りにだけ生えたのもそのせいだった。
一体何故、どうやって。晶は混乱する。
邪霊が出現していたら霊感の強い仲間達が気付いたはずだ。
ふと晶の脳裏に若菜の姿が浮かぶ。晶に無理矢理邪霊を飲ませた男。
もしも若菜が先に【猿】の居場所を特定し、凪にも同じ事をしていたら?
晶は舌打ちをして次の攻撃に備える。
涼の言ったとおり、成仏などと言っている場合ではない。
今は分が悪いのを承知の上で、刺し違えてでも呪器で封印するしか凪を救うことができない。
「そうか、私一人じゃ……無理なんだ」
その時、ガシャンッとガラスが割れる音とともに、窓の外から強い光が射し込んだ。
それは彗星のように漆黒に塗り潰された風景を割って、晶と凪の間の床に突き刺さった。
煌々と光を放つそれを中心に、異常な空気が晴れていく。
「ぐぅ!?」
凪はその光を嫌っているようだ。顔を顰めて薄暗い廊下の奥へと走り去ってしまった。晶は呆気に取られ、床に刺さったそれ――破魔矢に気付く。
「本野!」
「涼……くん」
割れた窓から涼の顔が覗く。
遠くからは窓ガラスが割れた音を聞いた生徒達の騒めく声が聞こえてきた。
涼はズタボロの晶を見てすぐさま廊下に降り立ち、晶を肩に担いでその場を離れた。
「嫌な気配がしたと思ったらこれだ! お前狙われたな。結界張られてたぞ」
「待って! 凪が」
「どう考えても罠だ! 今追っても怨み屋が待ってる! 一旦退くぞ」
「嫌だ、あれは凪じゃない。【猿】に取り憑かれてる! 追いかけて捕まえよう。二人ならきっと」
「ダーメーだ!」
涼の言うとおり、一時撤退が妥当な判断だということは晶も理解はしていた。
晶の目元に縦に入った三本の引っかき傷からは絶えず血が流れている。
これでは視界も確保できない。
晶は涼に担がれたまま、悔しげにぎゅっと拳を握りしめた。
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