第50話
▽
凪が学校を三日連続で休んでいる。
体調不良らしいが、本人と連絡が取れない。
晶は誰もいない隣の席を見て、軽くため息を吐いた。
二人でカフェで話してから凪と会えていない。まだ話の途中だったというのに。
晶は沈んだ面持ちを隠さず、教壇に立ち授業を行う星野に視線をやる。
星野は歴研の臨時顧問として晶達の活動を統率する一方で怨み屋の調査も続けている。
凪のことを聞きたかったが、げっそりとした顔であちこち奔走する星野を見ると遠慮してしまっていた。
「和屋って風邪でもひいたのか?」
授業後、斗真に尋ねられた晶は首を振る。
「分からないんだ。返事来ないし……」
晶は自分が凪の連絡を無視していた時のことを思い出す。
凪もこんな気持ちだったのだと改めて思い知った。
胸のモヤモヤが晴れない、心配と不安が常に付き纏う。
こんな思いをさせていたのだと深く反省する。
放課後、理事室に集まってからも晶はしょんぼりとしたまま話半分に聞いていた。
「こら。聞いてんの晶さん」
「いたっ」
ピシッと辰海に眉間を小突かれてようやく思考が現実に戻ってくる始末。
「涼の怪我が治ったから晶さんと一緒に霊杭探しするって話になってるけど、いいよね?」
「あ、うん」
「俺達は呪器の特訓に行ってくるから。気をつけてな」
「ついでに理事長の様子も見てくるよ」
「うん……うん。いってらっしゃい」
斗真と辰海を見送った後、理事室には晶と涼が残る。
活力のない晶を見て涼は大袈裟に肩を怒らせて言った。
「おい本野、ウジウジするなよ!」
「わわっ声でか」
「さっさと霊杭とかいうの見つけるぞ! それで邪霊探しは終いだ」
「う、うん!」
涼は破魔弓と矢筒を背負い直し、放課後の校舎をズンズン進んで行く。
涼は思うところがあるらしく【蜥蜴】の力を使おうとしない。
何かあれば破魔弓で身を守るつもりだ。
霊感の強い涼はガムランボールに頼らず霊杭の気配を探れるが、霊杭の出現までは予想出来ない。
つまりはこれまでどおり、霊杭が出ていないかどうか足で探す他ない。
「そういや親父に邪霊を成仏させる方法を聞いてみたけどよ。前例がねえことしか分からなかった」
「そっか。多分、前例がないのは試した人がいなかったからだよね」
「試す余裕があればいいけどな」
二人は手分けして人がまばらな校舎を練り歩く。
じっとりと湿気を含んだ風が窓から流れてくる。
気が付けばもう季節は初夏。
転校してからの日々の濃度が高すぎて、季節感が狂ってしまっていた。
校庭を走る生徒達の声が、誰もいない廊下にこだまする。
晶がふと視線を感じたのはその時だった。
一階の廊下を歩く晶は何の気なしに窓の外を見る。
窓の外から晶を見る大きな目を見つけたのは、本当に偶然だった。
「えっ……凪!?」
廊下の窓の外に立っていたのは間違いなく凪だった。
窓ぎりぎりに立ち、まっすぐに晶に顔を向けている。
逆光で表情が隠れているが、友人を間違えることはない。
晶は小走りで凪に駆け寄った。
「どうしたのこんなところで? 体調はどう? 連絡したの……に」
近くで凪の様子を見た晶はふと口を噤む。
その顔色は悪く、着ている服も皺だらけだ。
いつもは丁寧に梳かされた髪も、強風に吹かれた後のように乱れている。
よほど具合が悪いのだと晶は思った。
では何故ここに? 表情も固く、呼びかけにも応えない。
晶はそんな友人をどうするか思考しようとした、その瞬間。
『晶ちゃんのお友達?』
「え?」
ひたすら黙っていた凪が、突然声を発した。
しかしそれは凪の声帯から出たとは思えない、ざらついた声だった。
凪は口角を無理矢理上げた歪な微笑みを浮かべ、その目で晶を捉えながら、ゆっくりと口を動かす。
「わたァシ、あ、あ、あ、『晶ちゃんのお友達?』」
「な、凪? どうし、」
「わ、わ、わ、あ、あ、あ、晶ちゃん。お友達? 晶ちゃん。お友達? 晶ちゃん、晶ちゃん、晶ちゃん、お友達? お友達? お友達?」
「凪!!」
晶は凪の尋常じゃない様子にゾッとし、窓越しにがしりと凪の肩を掴んだ。
その間も凪は壊れたおもちゃのように同じ言葉を繰り返す。
初めて言葉を話すかのように口を色々な方向に捻じ曲げながら、正しい発音を探りながら喋り続ける。
晶は愕然とした。覗き込んだ凪の瞳が、何も見ていなかったからだ。
晶、晶と言いながら晶を見ていない。
ただ虚空を見つめて、プログラムされたかのように同じ言葉を繰り返す。
「晶ちゃんのお友達? 晶ちゃんのお友達? 晶ちゃんのお友達? 晶ちゃんのお友達? 晶ちゃんのお友達? 晶ちゃんのお友達? 晶ちゃんのお友達? 晶ちゃんのお友達? 晶ちゃんのお友達? 晶ちゃんのお友達? 晶ちゃんのお友達? 晶ちゃんのお友達?」
「凪! もうやめて!」
晶は片手で凪の口を塞いだ。
凪は何かの影響を受けている。
そう判断した晶はもう一方の手でスマホを操り歴研メンバーを招集しようとした。
しかしそれを妨害したのは虚な目をした凪だった。
途端、晶の手首に鋭い痛みが走る。
「いっ」
晶は目の前で起こっていることが信じられなかった。目を見開いて、唇を戦慄かせる。
そこには、無表情で晶の手首を食む凪がいた。
ブチブチと肌に犬歯を突き立て、肉を食すかのように舌で触り、血を啜ろうとしている。
「ひっ!?」
晶は反射的に凪の下顎を掴み、引き剥がそうとする。
「凪! やめて、凪!」
どれだけ力を加えても凪は晶に喰らい付いたまま離れない。
それどころか、窓枠に手をかけ足をかけ、晶にしなだれかかるように校舎内に体を滑り込ませてきた。
どさっと鈍い音を立てて凪の体が廊下に落ちる。
全身脱力しているのに、顎の力だけは緩まない。
髪を振り乱し、眼球をぐるんと上に向け、涎を垂らしながら手首に噛み付く凪を見て、晶は理解してしまった。
これは凪じゃない。
凪の姿をした何かだ。
ミシリと噛まれた手首が悲鳴を上げた瞬間、晶は噛まれた手首に体重を乗せて凪の体を床に叩きつけた。
ドンッと鈍い音とともに凪の顎の力が緩む。
「がはっ」
「落ち着け。これは凪じゃない!」
ガチンガチンと歯を噛み合わせながら、凪は拘束から逃れようと大きく体を捩っている。
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