第49話

 ▽


 病室に着いた晶には祈ることしかできなかった。


 大方の処置を終えた白鷺は多数のチューブに繋がれて生気なくベッドに横たわっている。


 白鷺は霊感を持たないが、晶達の理解者であり協力者だ。


 邪霊に対する意見は違えど、命の危機に晒されることなど誰も望んでいない。


 一目だけ見てすぐに病室を出た。もとより長居は出来ないことになっている。


 廊下で晶を待っていた高麗は見るからにげっそりとしていた。


「大丈夫ですか?」


「できる処置はやってもらったから、後は待つだけだね」


「高麗先生のことです」


「はは、僕は大丈夫。これでもプロなんだ。不甲斐ないけど」


「先生と色々話し合いたくて」


「学園の方は一旦星野先生に任せてあるから、」


「高麗先生がいいに決まってます!」


 むっと唇を引き結んで高麗を見上げる晶。


 ここ数日高麗が学校に居ないというだけで晶の胸は不安で一杯だった。


 今までずっとどこかで高麗の存在に支えられていたのだ。


 高麗は一瞬目を瞠った後、晶をエレベーターホールのソファに座るよう促した。


「邪霊を成仏させるって話だけどね」


 高麗が切り出した話題に晶は思わず身を乗り出す。


「色々考えてみたんだ。君が『転校生』であることも鑑みて、不可能ではないと思っている。でも僕は手助けできない。僕は白鷺家に雇われた【監視者】……邪霊を封印する立場にある。だから――」


 眼鏡の奥の瞳が晶を捉える。


 晶は高麗の目の中にどこかの空が映っているような気がしたが、今は言及しなかった。


「君がやるんだ」


 晴れていた空に暗雲がかかる。


 次第に重い雨粒がコンクリートを叩く音が響いてきた。晶は高麗の話を聞きながら、自分が試されているような、あるいは縋りつかれているような不思議な心持ちになっていた。


 話を終えてからソファに沈み込み、この世の全てに疲れたような顔をする高麗を見て、晶はようやく高麗の本当の姿を見た気がした。


 ▽


「さあ、始めようか」


 薄暗い封印の場に、若菜の不敵な声がこだました。


 その足元には地面から生えた青白い腕がひしめいている。


 若菜はその腕を踏み潰しながら、その場に横たわる生徒――凪に近づいた。


 凪はカフェで若菜に捕まった後、若菜の呼び出した霊達に弄ばれ、霊力のほとんどを奪われてしまっていた。


 凪は大量の白い腕に絡みつかれ、虚ろな目を天井に向けている。


 そんな凪の髪を乱暴に引っ掴み、若菜は満面の笑みを見せて言った。


「晶ちゃんの友達で霊感があるなんて、本当にいい餌見つけちゃったな」


「う……あ……」


 若菜は機嫌よく鼻歌を歌いつつ、しつこく自身に絡む青白い腕を無理矢理引き剥がす。


「お前の事は本当に嫌いだったけど、感謝するよ。邪霊まで導いてくれて」


 若菜はそう言ってぐしゃりと白い腕を握り潰した。


 霧散していく腕を一瞥し、続いて封印の場に開いた大穴を覗き込む。


「コソコソ逃げ回っていたようだけれどようやく見つけた――【猿】の邪霊!」


 若菜の呼びかけに呼応するように、暗い大穴の中にドロリとした二つの眼窩が浮き上がる。


 それはシンプルな点と線で描かれた獣――残る最後の邪霊、【猿】の呪画だった。


 ずるりと大きな気配が動くと同時に、大量の霊杭が波のように引いていく。


「ここに生贄を用意した。さあ【猿】よ、人の器に入りその力を示せ!」


 若菜は揚々と叫ぶと、凪の体に特殊な文字の書かれた札を落とす。


 すると凪の体はふわりと浮き上がり、そのまま大穴の直上に移動した。


 ぐったりと四肢を放る凪。その真下で、邪悪な黒い霧がぶくぶくと噴出する。


 そして次の瞬間、槍のような形に変化した霧が凪の上体を貫いた。


「きゃああ゛あ゛ぁぁぁぁぁぁぁ――ッ!!」


 その強い衝撃に凪の体が弓なりに反る。


 顎を上げて悲鳴を上げる凪の口に、見計らったように黒い霧が侵入し始めた。


「うあ゛! んぐっ! いやあ゛ああああアアアアア!!」


 体を硬直させ目を剥いて叫び続ける凪を見つめながら、若菜は満足げな笑みを浮かべていた。


 霧が全て凪の体に収まると、若菜はすぐに浮いたままの凪の体に何枚もの札を埋め込んでいく。


『ア、ウ、ウゥ』


「ふー、これでしばらくは僕の言うことを聞いてくれるかな。いいか、まずは晶ちゃんだ。必ず僕の元に連れて来い。君は晶ちゃんのお友達なんだからできるだろう」


『ア、ア? 晶ちゃ、おと、も、だぁち』


 凪に取り憑いた【猿】は焦点の合わない目で落ち着きなく辺りを見渡す。


 喉の奥から搾り出すようなノイズ混じりの声は、凪の声とは似ても似つかぬものへと変質していた。


『ア、アハ、イヒヒ……』


「これで【猿】の儀式は完了した」


 若菜はそう呟き、封印の間の天井を仰ぎ見て笑った。


「逃がさないよ、晶ちゃん」

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