第52話

 ▽


 理事室に緊急招集された歴研の面々はソファに寝かされている晶の姿に絶句した。


「本当に和屋が……?」


 顔を引き攣らせながら斗真が呟く。


「すぐ逃げられちまったが、確かに凪って奴だったぜ」


「もう【猿】に取り憑かれてるならすぐに対応しないとまずいんじゃないの」


「ああ、それと張られた結界は怨み屋のものと見て間違いない。和屋凪を使ったのも意図的だろう。本野さんが反撃できないようにしたんだ」


「凪……強かった。力も動きもめちゃくちゃで」


 ずっと黙ったままだった晶が呟く。


 友人への攻撃を躊躇していたとはいえ、あの晶が女子一人を倒せなかった。


 その事実が凪の異常性を増長させる。


「どうする。本野を置いて【猿】の捕獲に向かうか」


「私ならもう大丈夫」


 むくりとソファから起き上がった晶。


 顔の傷は既に癒えていたが、痛々しい表情を浮かべている。


「でもお前和屋と戦えるのか?」


 気遣うような斗真の言葉に、晶はこくりと一つ頷く。


「うん。実は私も凪に手を出すなんて出来ないと思ってた。でもさっき、凪を元に戻すためなら戦えるって分かったの。だから大丈夫」


「そう、か……」


 晶の答えを聞いた斗真は少し戸惑った後、パチンと自身の頬を両手で叩いた。


「本野がやるってんなら、俺が尻込みなんてしてられないよな!」


「斗真くん無理してない?」


「いやいや、一緒に戦わせてくれよ。何のために呪器の訓練したんだって話だ」


 そう言って斗真は指先にか細い炎を灯す。


 以前は出来なかった細かいコントロールをものにしたようだ。


 その炎は隣にいる辰海がバチンと指を弾くと白い霧に飲み込まれて掻き消えた。


「俺はそもそも相手が女子だからって手加減するつもりはないけどね」


「【猿】を止めるのはいいけどよ、その後は前と同じく呪器で封印するのか? 最後の一体だろ」


「そうだな……邪霊を封印するにしても祓うにしても、一度呪器で動きを止めなければ」


 涼の疑問に星野が答える。それを聞いていた晶は静かに口を開いた。


「私に考えがある。でも、私一人じゃできない。だからみんなに協力してほしい」


 その場の視線が晶に集まる。


 晶は凪に噛みつかれた手首をさすりながら話を続けた。


「まず星野先生は怨み屋を捕まえてください。どんな邪魔をされるか分からないので、最優先で。みんなは凪――【猿】の動きを止めることに集中してほしい」


「それはいいけど……考えって?」


 晶はその場の全員に目を配り、意を決して言った。


「邪霊を成仏させる、唯一の方法だよ」


 ▽


 まだ夕方だというのに外が暗い。


 理事室の大きな窓から、重い雲がかかり始めた空が覗く。


 邪霊特有の冷たい霊気が校内に充満しているのを、晶は肌で感じ取っていた。


 体勢を整えた晶達は【猿】を追うことにした。


 星野が高麗に連絡を取ったがいつ来れるか分からない。


 星野を先頭に生徒四人が固まる形で辺りを警戒する。


 まず星野の煙で【猿】の気配を辿ろうとしたが、そうするまでもなく明確な目印が現れた。


「うげ……」


 それを見て思わず斗真が声を漏らす。


 晶と凪が戦闘になった廊下から、道なりにうじゃうじゃと霊杭が生えていたからだ。


 青白い腕が一斉に手招きをするように揺らめいている。


「こっちに来いって言ってるの?」


「しかしすげー量だな。他の霊感のある生徒が見たら卒倒するぞ」


「校舎の緊急工事と言って部活動は中止にさせた。俺達以外もう誰も残っていないさ」


 一行が霊杭が示す道を進むと、今は使われていない廃焼却炉に辿り着く。


 霊杭は一斉に閉ざされた炉の中を指差してから煙のようにかき消えた。


「どうやらこの中らしいな」


 星野が焼却炉の扉を開けると、暗がりの中に下へと長く続く隠し階段が現れる。


「地下への階段……」


「もはや驚かねーよ」


「俺が先行する」


 そう言ったのは透視能力を持つ辰海だった。


 辰海は少しの間階段の奥を見つめた後、スタスタと下っていってしまう。


 階段の先は他の地下通路と同じく狭い坂道になっていた。


 違うのはLEDライトがないことくらいだ。


 坂道を進むにつれて息の詰まるような重い気配が晶を襲う。


 ぶるりと身を震わせた晶を見て、斗真が自分のジャージの上着を晶の肩にかけた。


「ん」


「えっ汚れちゃうからいいよ」


「いいから着とけって」


 凪との戦闘で晶のシャツは襟から胸元までが裂け、インナーも血で染まってしまっていた。


 晶は少し考えた後、斗真のジャージに腕を通す。


「ありがとう斗真くん」


「おー」


「斗真ー俺も寒い」


「お前は乾布摩擦でもしてろ!」


「うるさいぞお前達!」


星野おめーの声が一番でけえよ……」


 暗い通路を進むと、やはりと言うべきか大きな石扉が現れ、その先は封印の場に繋がっていた。


 中央の白い柱にもたれかかる人影を見て、晶は思わず身構える。


「若菜……」


「やあ晶ちゃん。今度は呼ばなくても来てくれると思ったよ」


 人好きのする笑顔に気さくな態度。


 しかしその裏にはいつだって晶に対する異様な執着が見え隠れする。


「少し話をしようか」


 晶達は若菜を中心にそれぞれ半円状に距離を取った。


 若菜のすぐ隣には俯いた凪が控えている。


 星野は若菜を殺してでも捕らえるつもりだ。


 しかし今そのような激しい攻撃したら当然凪も無事では済まない。


 星野は内心舌打ちした。


「おい……そんな、和屋の体が!」


 斗真の悲痛な叫びが封印の間に響く。


 それを見た晶は言葉を失った。


 凪の体には、夥しい量の呪符が縫い付けられていた。

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