第53話

 首、腕、足。


 至る所に太い糸が皮膚を貫通し、凪の綺麗な肌が見る影もなく赤黒く変色している。


 顔面にも視覚を奪うかのように呪符が縦に一枚縫い付けられていた。


 先程とは比較できない程酷い邪気が凪の体を覆い、もはや人間とは思えぬ何かへと変貌してしまっている。


『が……あ……』


「凪になにを、したの……?」


「ああ、紹介しよう」


 若菜は突然手にした鞭で凪の体を打った。


 その反動で地面に落ちた凪の体はコントロールを失い、痙攣しながら地に沈む。


「僕の下僕だよ」


「やめて!」


「やめても何も、最初から君以外の邪霊憑きは全員こうするつもりだったんだよ? だって器に意思なんていらない。記憶も自我もぜーんぶ消して、邪霊の力を発現させるためだけの武器にするんだ」


「下衆が……!」


 地面をのたうち回る凪だったモノを見て、晶は目に涙を溜めて怒りを露わにする。


「許さない……絶対に許さない!!」


「あはは。でもさあ、晶ちゃんが悪いんだよ? 晶ちゃんが僕の言うこと聞かないから、この子がこんなになっちゃった。【猿】の器は他の生徒でもよかったのに。晶ちゃんの友達だからこうなっちゃったんだ。あーあかわいそうに!」


 若菜が大袈裟に両手を広げて嘆いて見せると同時に、ぐちゃぐちゃに体勢を崩していた凪が超スピードで星野に飛びかかった。


『がアアアアアッ!!』


「ぐっ」


「星野先生!」


「さあ星野先生。大切な生徒を傷つけられるかな?」


 星野と凪が正面衝突するのを横目に、若菜は謳うように話続ける。


「ねえ晶ちゃん。あの日。僕らが初めて会った日。なんで都合よく【蜘蛛】が現れたと思う?」


「知るわけないでしょ!」


 晶の怒りに応えるように【蜘蛛】の脚が現れる。若菜はそれを見てにんまりと笑った。


「教えてあげる」


 晶は思考する。


 若菜の相手をする予定だった星野が真っ先に【猿】に狙われた。


 つまり当初の作戦は完全に若菜に読まれていたのだ。


 若菜は晶にしか興味がない。


 それならばと晶は斗真、辰海、涼それぞれに目線を送り、凪を抑えるよう訴える。


「蜘蛛、蜂鳥、蜥蜴、鯨、そして猿。ご存じのとおりどれも有名なナスカの地上絵だ」


「それが何? 社会の授業でも始める気?」


 我を失った【猿】の邪霊を三人がかりで止め、まず星野を自由にさせる。


 その間、晶が若菜の相手をして時間を稼ぐ。


 作戦を察した辰海がすぐに氷柱を発生させ、暴れる凪の足を捕らえた。


「少しくらいいいじゃない。じゃあ何故呪画が地上絵をモチーフにされているか考えたことはあるかい?」


「ない」


 氷で動きを封じられた凪の肩に、涼が放った破魔矢が掠める。


 咆哮する【猿】からようやく星野が解放された。


 尚も星野に喰らい付こうとする【猿】の眼前に火花が散り、斗真が凪の体を囲うように炎上網を敷く。


 ここまでは完璧なコンビネーション。


 星野は即座に空中に陣を描き、炎ごと【猿】を結界に閉じ込めた。


 若菜はすぐ近くで起こっている戦闘に何の興味も示さず、ただ懇懇と晶に語りかけている。


「地上絵は死者へのメッセージだとか、宇宙との交信だとか言われているね。つまり上空から見て初めて完成するものなんだ。どう言う意味か分かる?」


「――っ」


 晶は若菜の言葉の意味を理解し、恐る恐るその視線を上にずらしていく。


「【監視者】達は、保険として邪霊の封印を解く方法を残した。そしてそのヒントを呪画の形に込めたんだ。地上絵を模したのは――上から見ろということ! その答えがこれだ!」


 若菜は勢いよく天を指差した。


 その場に居る全員が上を見る。


 封印の場の天井を見上げた晶は目を見開いて呼吸を止めた。


「まさか……!」


 広い天井には大量の霊杭が蠢き、その隙間にスーツを着た女性――佐倉ひなこの死体がぶら下がっていた。


「佐倉、先生」


 斗真が青ざめた表情で死体を見上げる。


 佐倉の体は半袖から覗く両腕以外が腐敗していた。


「なっ……こんなの今までなかったはず」


 辰海の言葉に晶ははっとする。


 晶達は何度もこの封印の場に足を踏み入れてきた。天井に死体がぶら下がっていたら確実に気付く。


 辰海の疑問に若菜は当然のように言い放った。


「うん。結界で隠してたからね」


「何故そんなことを」


「見つけられて祓われたら困るから。だってこいつがいなかったら邪霊の居場所分からなかったでしょ?」


「どういうことだ……」と弓を構えたままの涼が呟く。


 星野は佐倉の死体を見て合点がいったように声を上げた。


「なるほどな。つまりこの学園に出ていた霊杭は全て――佐倉の腕だったということか」


「え!?」


 これまで散々見た青白い腕。それらが佐倉ひなこのものだった。


 晶は混乱する頭を抱える。


「ご名答。天井に邪霊の封印を解く仕掛けがあると気付いた佐倉は、封印解除後邪霊に殺された。そして死んだ自分を見つけてもらうために霊杭と化し、君を地下へと呼んでいたんだ。邪霊の影響を受けない唯一の霊能力者。『転校生』である晶ちゃん、君をね。これで分かったかい。何故あの日都合よく【蜘蛛】が現れたのか。無様に死んだ佐倉が【蜘蛛】と君を引き合わせたんだ!」


 その時、バキンッと話を遮る破裂音が辺りに響き渡った。


 音が鳴ったのは【猿】を閉じ込めた封印陣。


 バキン、バキンと連続で鳴る異音の先では、凪が無表情で封印陣の一部を噛み砕いていた。


 炎は既に全て凪の体に吸われ、【猿】の力に変換されている。


「そんなちんけな陣で櫻場の邪霊を封じられるとでも?」


「俺の相手は最初からお前だ。邪霊憑きの相手は邪霊憑きが適任」


 星野が若菜と対峙するのと同時に、晶は【猿】の邪霊に向かって足を蹴り出した。


 転校初日から、晶は佐倉によって邪霊と相対することが運命付けられていた。


 潜在的な霊感を持つ『転校生』として、戦うことを強いられた。


 それでもこれまで戦ってきたのは間違いなく晶の意思であった。


 仲間達と一緒に邪霊から解放されることを望んだのは嘘偽りない晶の本心だ。


 ならばもう、晶がすることは決まっていた。


 晶の背後から八ツ脚が生え、赤い八つ目が【猿】を睨みつける。


 【蜘蛛】は晶の言うことを聞く。晶の一部になっていた。


「これで終わらせる!」

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