第34話

「さっきのドッジボールはどういうつもりだ?」


「どう、とは」


「あんなどうでもいいことに【蜘蛛】を使うんじゃない」


 星野の言いぐさに晶はむっと眉根を寄せる。


「使ってません。というか先生はどこまで知ってるんですか」


「無意識なのか? 厄介だな……。君と西條と神崎が邪霊憑きになったのは見れば分かる」


「高麗先生の同期の霊能力者だって聞きました」


「もう十年も前の話だ」


 保健室に着くと高麗が訝しげな顔で二人を迎え入れた。


 高麗が晶の鼻を診ている間、星野が手際よく氷嚢を用意する。


「何事?」


 目線は星野に送ったまま、高麗が晶に耳打ちした。


「話があるって……」


「お前達二人にだよ。高麗、お前も聞け」


「なんだよもー」


 星野は椅子に座っている二人に鋭い眼光を飛ばして口を開く。


「結論から言う。邪霊の封印をやめろ」


「へ?」と晶の口から疑問符が零れた。高麗が手に顎を乗せて星野を見る。


「それじゃあ本野さんが分からないだろ」


「じゃあ最初からだ。お前達はどうして邪霊を封印しようとしている?」


「邪霊を体の中から追い出すために」と晶はおずおずと答える。


「それは誰が言ったんだ?」


 晶は記憶を掘り起こす。


 転校初日、怒涛のように説明を受けた中で、確かに言われた言葉。


「ええと、」


『この学園の邪霊を再び封印するんだ』


『そうすれば君は邪霊から解放される』


「白鷺理事長が……」


 ぽつりと言う晶の言葉を拾った星野はギロリと高麗を睨みつけた。


 高麗はわざとらしく口にチャックを決め込んでいる。


「封印なんてしなくても君達の中の邪霊を追い出すことは今すぐにでもできる」


「え゛!?」


「やめてよ星野ー。それじゃあ僕らがまるで生徒達を騙していたみたいじゃない」


「みたいじゃなくてそうだろうが」


 へらへらとした高麗の抗議を星野が一蹴する。


 晶は真っ白になった頭をなんとか回転させた。


「まっ待って、封印しなくていいなら、じゃあ、どうやって邪霊を追い出すんですか」


「俺も高麗も霊を祓うことができる。呪画の状態の邪霊は高度に身を隠す術を持っているから中々見つけられなかったが、人間に取り憑いている状態なら話は別だ。今すぐ祓ってやろうか」


 霊を祓う。つまり除霊。


 確かに封印と言われるよりしっくりくる言葉だ。


「ほ、ほんとうに……!?」


「出しゃばるなよ星野。お前の仕事はハーリットの捕縛だろ。邪霊に関しては僕の仕事だ」


「ひぇ」


「お前が生徒に選択肢を与えないからだ」


 いつも柔和な高麗の口から喧嘩腰の台詞が飛び出す。


 晶は内心ビクビクしながら二人の間に火花が散るのを見た。


「あの、じゃあどうして理事長は封印封印言ってるんですか」


「白鷺にとって都合がいいからだ」


「おい」


「事実だろう。邪霊の力は強力だ。世の中にはその力を利用しようとする者達が少なからず存在する。つまり邪霊には一定の価値があるんだ」


 怨み屋のことだと晶は直感した。


 邪霊を悪用しようとする人達。若菜の顔が晶の脳裏に浮かぶ。


「何故この地の邪霊はここにずっと封印されていたと思う?」


「え……祓えなかったから五つに分けて封印したんじゃ?」


「違う。邪霊はこの地を統括する白鷺家のいわゆる切り札。強大な邪霊を支配下に置くことが、白鷺家の既得権益になっているんだ。外の世界への牽制。地位確立のための見世物。そんなことのためだけに、【監視者】達は祓える邪霊をこの地に縛り続けている。それがこの学園の封印の正体だ」


 晶は言葉を失った。胸の奥が騒つく。


 白鷺と高麗は最初から嘘をついていた――?


「あるいは怨み屋連中への取引材料かもしれないな……?」


「僕らがハーリットと手を組んでいるとでも?」


 ジロリと高麗が星野を睨み上げる。


 その目は至極鬱陶しそうで、晶はこれが高麗の霊能力者としての本来の姿なのかもしれないと思った。


「五つのS級邪霊だ。さぞかし高値で売れるだろうな」


「まさか」と高麗は鼻で笑う。


「僕は雇われ霊能力者だからね。白鷺家の事情なんて興味がない。まあ理事長が封印に固執しているのは間違いないけれど。邪霊封印が僕の仕事だと思ったら大間違いだよ」


「何?」


「本野さん、君も惑わされちゃダメだ。僕も星野も確かに霊を祓うことはできる。だが相手はとても強い邪霊だ。百パーセント成功するとは言い切れない。もしも失敗した時、器である君達に何があるか分からないんだ。祓う選択肢を隠していたのは君たちの身の安全のため。分かってくれるね」


「あ、」


 高麗は晶の両肩に手を置き、真剣な表情で語り続ける。


「その点、封印となれば前例がある。邪霊は元々封印されていたものだ。昔の【監視者】達の残した術式も丸々残ってる。どちらが生徒の危険を減らせるか、天秤にかけなくても明白だ。今のまま邪霊探しを続けよう。白鷺家の思惑なんて君が気にすることじゃあない。当初の目的である『邪霊を体から追い出す』ためには『封印』が一番の安全策だ」


「封印したらまた同じことが繰り返されるだけだ! 邪霊を狙う組織に暴かれ、犠牲と共に再封印……一体何度繰り返すんだ!? 本野さん、世界から核兵器が無くならないのと同じ理由だ。邪霊はその存在だけで圧倒的な力を持つ。白鷺家はそれを手放せなくなっているだけだ。輪廻を止めるためには封印が解けた今、『除霊』するしかない!」


 封印か、除霊か。


 晶は崖っぷちに追い込まれて二択を迫られている気分になった。


 今まで一つしかないと思っていた解決策が星野によって増やされた。


 ようやく分かった。星野はずっと邪霊の封印をよく思っていなかったのだ。


 晶の抱いていた違和感はそのせいだ。


「星野先生は以前……邪霊のことをいい幽霊だって言いましたよね。それってどういう意味ですか」


 俯いた晶が星野に問う。星野は逡巡した後、ゆっくりと口を開いた。


「この地の邪霊は、元々、賊に襲われた子供達の霊の集合体だ。悪いよそものからこの地を守ろうとして、自分達と同じ年頃の子供に取り憑いて暴走する。その行動理念は極めて純粋なもの。いい幽霊とはそう言う意味だ」


「だから生徒にしか取り憑かないんですね……」


【蜘蛛】が夢の中で晶に寄り添うのも、

【蜂鳥】が晶を裏切り者と呼んだのも、

【鯨】が「出ていけ」と言ったのも、


 邪霊がこの地の人間を守ろうとしているから。


「よく分かりました」


 晶はそう言ってすくりと立ち上がる。


「お二人の言いたいことは分かりました。でも実際に邪霊が憑いてるのは私達ですから、どうするかは私達が決めます」


 すっぱり言い切る晶を二人の大人がポカンと見つめる。


「私一人で戦ってるわけじゃないので」


 沈黙に包まれた保健室に、遠くから学生の声が響いてくる。


 晶は星野の手から氷嚢をひったくって踵を返した。


「君の存在は俺達からしたら奇跡みたいなものだ」


 星野が呟くように言った言葉に、晶は戸にかけた手を止める。


「呪器もなく邪霊をその身に宿しながら自我を保つことは通常あり得ない。この地の邪霊の特殊さと、君自身の特殊さが偶然合わさった奇跡だ」


「私自身の特殊さ……? 私には何も、」


「最初から言ってるでしょ。君には霊感があるって」


 高麗が晶の言葉を遮るように言う。晶はしばらく黙り、そのまま保健室を出た。

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