第24話

 今日は幸運なことに英語の授業がない。


 朝のホームルームで星野の視線が痛かったことを思い出し、晶はため息を吐く。


 これで授業中まであの目で見られたらと思うと耐えられなかっただろう。


 帰りのホームルームでは顔を伏せてなんとか視線を避け、チャイムと同時に晶はさっさと帰り支度を始める。


 今日の部活動は中止になった。昨日の今日で全員疲労困憊していることと、辰海が白鷺系列の病院に入院したからだ。


 白鷺から辰海の様子を聞くと、どうやら意識は戻っているらしい。


 今はまだ病院に居るとのことなので、それならばと学校が終わってすぐに見舞いに行くことになったのだ。


「晶ちゃん今日の帰り――」


「ごめんっ病院行く!」


 包帯だらけで勢い良く教室を後にする晶の姿を、置いてけぼりをくらった凪は呆然と見送るしかなかった。


 斗真は日直の仕事があるので別々に向かうことにする。


 教室で待っているように言われたが、少しでも早く辰海の状態をその目で確認したいが故に「先に行ってる」とだけメールで告げた。


 早く普通の学校生活を手に入れなければ。


 凪と斗真に心の中で謝りながら、晶は早足で校舎を後にするのだった。


 雲の隙間から陽が差し、帰り路につく生徒たちの足元に影を作り出していた。


 校門付近には絶えず人影があり、晶が急ぐ姿は少なからず視線を集める。


 そんな中、まっすぐに病院に向かう晶の足が予期せず止まった。


 早馬のように校門を駆け抜けた勢いは空気が抜けた風船のように失われ、どんよりとした空気を纏い始める。


 その原因となった人物は晶を見つけるとぱっと破顔し近づいてきた。


「やあ晶ちゃん。中間テストお疲れ様」


 校門の前に立ち、芸能人風の目立つサングラスを外して胡散臭い笑顔を覗かせたのは、自称オカルト系フリージャーナリストの若菜だった。


 晶はその姿を認識すると無言でその前を通り過ぎる。


 そんな晶の態度に若菜は慌てて立ち塞がるように両手を広げた。


「待って待って何もしないから。って今までも別に何もしてないんだけどね?」


「さようなら」


「辛辣!! って……あれ。晶ちゃん、今日はなんだか変だね」


「あなたにだけは言われたくないんですけど!?」


 思わず振返って若菜に食ってかかると、若菜は自身の目をしきりに擦ったりぱちぱちと瞬きを繰り返していた。


「なんか晶ちゃんが見えづらい……えーやだやだ」


「知りませんよそんなこと。話しかけないでください。見回りの先生を呼びますよ」


「今、普通の人には見えないようにしてるから大丈夫。それよりかわいい晶ちゃんがぼやけて見えるのは嫌だなあ」


 普通の人には見えない。晶がその言葉の意味を理解する前に、若菜の手がふと眼前に伸ばされる。


 びくりと跳ねる晶の肩に軽く触れ、そのまま肩にかけている鞄に若菜の指がかかった。


「これか」


 不意に低くなる声に晶は身を固くする。若菜の指の先には、金属製のチャームがあった。


 晶は「あっ」と心の中で叫ぶ。そのチャームは昨日白鷺邸で高麗にもらったものだ。


 そう、昨日の晩。「これあげるよ」と高麗に突然渡された、一枚の金属の板を切り抜いた小さなチャーム。


「これは……なんですか?」


「ハムサ。悪い視線から身を守ってくれるんだ」


 まるで通せんぼをしているかのような手のひらの形をしたチャームに、晶は首を傾げた。


「邪視除けってやつだよ」


 高麗はそう言って、少し疲れたような笑顔を浮かべていた。


 晶は一拍遅れて触れられた鞄ごと身をよじり、若菜の手から距離をとる。


「さ、触らないで」


 ほんの一瞬のことに心臓が騒つき始める。今、確実にハムサを外されそうになった。


 邪視除けのお守りを外そうとしたということは、見ようとしていたということか。


 晶の疑念に満ちた視線を受け、若菜は少し考え込んだ後、諦めたようにサングラスをかけ直した。


「まあ、今はいいか。ねえ晶ちゃん、また怪我をしてるね。お兄さんは心配だよ。会う度に傷ついてる君は何か大変な事に巻き込まれているんじゃないかってね」


「さようなら」


「ああもうっ待てって!」


「きゃっ」


 腕をがしっと掴まれて短い悲鳴をあげる晶を引き寄せると、若菜は含みを持たせるようにその耳元で囁いた。


「佐倉ひなこについて、情報交換しないか?」


「はあ?」


「こっちもあれから色々調べてね。晶ちゃんの知りたい事もきっと教えてあげられると思うんだ」


「なっ……意味が分かりません! 私、佐倉先生のこと知りたいなんて思ってないし」


「本当に?」


 若菜に掴まれている腕はいくら力を入れてもびくともしない。


 晶は見下ろしてくる視線から必死に目を逸らして抵抗の意を示すが、若菜は構わず続けた。


「気になるでしょ? 『転校生』なんだから」


「――っ! あなたは一体、」


「そこまでだ」


 突如響いた第三者の声に、場の空気が一瞬凍りつく。


 声のする方を見ると、ジリジリと煙草の煙を燻らせながら星野が夕陽を背に静かに立っていた。


 逆光でその表情は伺えないが、警戒がとって見える。


「星野先生!」


 晶は声の主に縋るように近づこうとするが、険しい顔をした若菜に腕を引かれた。


「おかしいなあ。僕たちは今見えないはずなんだけど」


「普通の人間ならそうかもな。ご丁寧に結界まで張ってうちの生徒に何の用だ」


「おいおい、随分と怖い先生がいたもんだ。さしずめ特殊派遣員ってところか?」


「そういうお前は『ハーリット』だな。今すぐその手を離せ」


 身も凍るような一触即発のやりとりに挟まれた晶は逃げ出したい気持ちを抑えて二人の会話を聞く。


 結界、特殊派遣員、ハーリット。


 聞き慣れない単語の羅列に目を白黒させていると、腕を掴む力がふと緩まった。


「ふん……まあいいさ。晶ちゃん、今度二人きりでゆっくり話そうね」


「ひえっ!?」


 星野を睨みつけていた若菜は晶の腕を残念そうに離すと、そのまま縋るように晶の手の甲に唇を落とす。


 思わず飛び跳ね後ずさった晶が一瞬目を離した隙に、若菜の姿は消えていた。


「な、なんなのあの人!」


「厄介なのに目をつけられたな。予想通りといえば予想通りだが……」


「先生、あの人が例の不審者なんです! 校門の前で待ちぶせされてて」


 晶は星野の側に寄ってわたわたと身振り手振りで事情を説明する。


 星野は一を聞いて十を知ったように頷いた。


「特殊な結界を張っていた。あの男はハーリットの一員と見て間違いないだろう」


「ハーリット?」


「歴史考古学的研究集団(Historical - Archaeological Research Intelligence Team)。通称『H-ARITハーリット』……表向きは遺跡や遺物の調査発掘を目的とした組織。しかしその実態は呪物の回収、それを使った荒稼ぎを目的とした専門集団で、うらみ屋まがいの事をしている連中だ」


「う、怨み屋ですか?」


 思いもしなかった言葉に首を傾げる晶に構わず星野は続けた。

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