第56話
斗真の祈りが届いたかのように、邪霊の深層心理の中では晶の手が木の上に登っていた子供に届いた。
「木登りなんてズルじゃん!」
『えへへ。それじゃあね、先生』
木の上で大らかに笑った子供はそのまま逆光の中に吸い込まれるように居なくなった。
ズンッと重い地鳴りが響く。
【猿】の巨体がその膝を地面に着いた音だ。
寸分置かずに【猿】の体が縮んでいき、醜い肉の塊は元の凪の体に戻った。
糸に絡まり宙吊りになった凪を慌てて斗真が降ろす。
「和屋……! 後でちゃんと治してもらおうな。今本野が頑張ってるから!」
それを見た若菜の表情がついに追い詰められたものに変わる。
使役していた【猿】までも解放されてしまったのだ。
若菜の視線の先には、自身が邪神と評した【蜘蛛】が悠然と立っている。
「邪霊を……櫻場の邪霊を、成仏? そんな、そんなことが……。そうか、『転校生』。やはり特殊で特別な存在。それだけで価値がある――!」
呆然と【蜘蛛】を見上げ、意識を外に追いやったかのようにぶつぶつと呟く若菜を、星野がついに拘束した。
「観念しろハーリット!!」
最後の一人。風の吹く草原で、一番背の低い子供が逃げもせず晶を見つめていた。
晶は全てを理解し、その子に向かってゆっくりと歩を進める。
『晶』
その子供が晶の名を呼ぶ。
表情筋が死んでいるのが自分にそっくりで、晶は思わず笑ってしまった。
『もう帰るの?』
「うん」
『外には悲しいことや辛いことがたくさんあるよ』
「うん」
『僕と二人でここにいてもいいんだよ』
「ううん」
晶はその子供に視線を合わせるべく屈んで、その目をまっすぐ見て言った。
「私は生きるよ。何があっても。だから心配しないで」
そして、子供の頬にそっと手を添えた。
その小さな体が、末端から黒い霧になって空気に飲み込まれて行く。
『ありがとう、晶。善良な『よそもの』よ』
思えば転校してからずっと一緒だった。
辛い時も苦しい時も危ない時もいつもいつも。
恐れていた自分の一部が失くなる喪失感。
「今まで助けてくれてありがとう――【蜘蛛】」
現実の【蜘蛛】の体は途端に霧となって崩れ、その中から意識のない晶の姿が現れた。
自由落下する晶の体を丁度良く受け止めたのは、その場に駆け付けたばかりの高麗だった。
「よくやったね。お疲れ様」
櫻場の邪霊の気配は、もうどこにも残っていなかった。
「本野ー!」
駆け寄ってくる三人にすうすうと寝息を立てる晶を預け、高麗は拘束された若菜へと向き直る。
続けて天井の佐倉へと視線をやった。
「さて、こいつらのことは任せていいのかな。星野?」
「ああ。お前は和屋凪を――」
それは一瞬の出来事だった。
ゴキュッと嫌な音を立てて、若菜が関節を外して星野の拘束から抜け出したのは。
「あああああきいいいいいらあああああ!!」
若菜は狂った面持ちで晶へと突進する。
邪霊を喪失した今、若菜の標的は『転校生』である晶しかいなかった。
涼が一瞬の判断で最後の一本の矢を若菜に放つ。
それは見事に若菜のつま先を射抜いたが、若菜の突進は止まらなかった。
狂った面持ちで迫る若菜から、斗真と辰海が晶を背に庇おうとした。
その時、深く眠っていたはずの晶の目がカッと見開かれる。
ゆらりと立ち上がった晶は鋭い眼光を放ち、そのまま流れるような動作で斗真と辰海を押し退けた後――若菜の顔面に上段回し蹴りを叩き込んだ。
ゴキュッと骨が歪む音とともに若菜の体は何回か地面を弾み、そのまま動かなくなる。
晶は寝起きの不機嫌さも相まって鬼のような形相で若菜を見下ろし、静かに言い放った。
「私達の勝ちだから。さっさと消えて」
こうして櫻場の邪霊は成仏を迎え、邪霊を狙う怨み屋は、『転校生』とその仲間達によって退治されたのであった。
▽
――一週間後。
理事室に集まった歴研のメンバーは、各々手にしたコップを高々と掲げて部長の晶の宣言を待っていた。
「えーと、それでは。邪霊成仏記念と理事長の快気祝いということで……乾杯!」
「乾杯!」
「かんぱーい!」
いの一番にグラスを空けたのは病み上がりの白鷺だ。
感極まった表情で歴研メンバーを見回して口を開く。
「晶くん、斗真くん、辰海くん、涼くん! ……皆のおかげで邪霊を狙う怨み屋を捕まえることができた。 本当にありがとう!」
「心配したぜ理事長! 元気になってよかった」
「ホント、絶対死んだと思った」
「一時危篤だったんじゃねーのか? まだ寝てろって」
「いやーすまなかったね。頭の傷は大したことはなかったんだが、その後感染症にかかってしまって。死の淵を彷徨ってしまったよ」
そうカラッと笑う白鷺に対し、晶は言い出し辛そうに口をもごもごさせていた。
「あのう、理事長。相談もなく勝手に邪霊を成仏させてすいませんでした。理事長は家の都合で邪霊を封印したかったんですよね。やっぱり立場が悪くなったりするんじゃ……」
「いや、いいんだ。もとより封印が解かれた時点で無理があった。文句を言う輩もいるかもしれないが……そこは当主の私がなんとかするさ。どんな結果であれ君達の無事には代えられない」
「無事じゃないのもいるけどね」
辰海の言葉に晶は消沈する。
無事じゃない、それは凪のことだった。
凪はあの後一命は取り留めたものの、若菜から受けた呪符の影響が強く、櫻場から離れた専門機関で治療を受けている。
「高麗先生の話によると、ちゃんと元どおりの体に治るそうだよ。暗い顔ばかりしていても仕方がないさ」
「そうだよな、もうすぐ夏休みだし。海でも行こうぜ海!」
「おお、いいじゃないか。うちのプライベートビーチに招待するよ」
「やったぜ。聞いたか本野!」
晶を元気付けるためにあえて明るく振る舞う斗真に、晶は更に身を縮こませ、申し訳なさそうに言った。
「あ……あのね。実は私また転校することになったんだ」
「え゛ッ!?」
突如放たれた衝撃的な言葉に、その場の全員が凍り付く。
「なにそれマジ?」
「私も初耳なんだが!?」
交互に詰め寄る辰海と白鷺に、晶は困った顔を向けて言った。
「すみません。高麗先生と星野先生には伝えたんですけど……親の離婚が決まったので、母と新しい家に住むことになったんです。隔離措置も元々
唖然とする一同を見回して、晶は自分にできる最高の笑顔を浮かべた。
「だからみんな心配しないで。凪のことは向こうで私が支えるから!」
「転校……そんな……」
「と、斗真くん。そんなにびっくりしなくても。落ち着いたら連絡するね」
石像のように固まってしまった斗真に、晶は苦笑いをする。
その横で辰海が呆れた表情で晶に話しかけた。
「嵐のようなってこのことだろうね。そっちで撮影があったら会おうよ」
「うん、もちろん。辰海くんの載ってる雑誌チェックするね」
一人離れて傍観していた涼が晶に寄り、こっそりと耳打ちする。
「親のこと、よかったな」
そうしみじみと言う涼に対し、晶は「ありがとう」とだけ言ってはにかんだ。
「それじゃあ前の学校に戻るのかい?」
白鷺の問いに晶は緩く首を振った。
「実は違う学校への推薦状をもらっていて。そこに通うつもりです」
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