第55話

 そしてその輝きを、【蜘蛛】の目を通して晶も見ていた。


『う、う、動きづらいぃ』


 高麗の助言に従い【蜘蛛】に成ったはいいものの、晶は困り果てていた。


 晶は【蜘蛛】の体を必死に操ろうとするが、いかんせん人間の体と勝手が違いすぎる。


 皆が大変な思いをして戦っているのだ。ここで言い出しっぺの晶が失敗するわけにはいかない。


 晶は人間ではなくなってしまった凪に赤い目玉を向ける。


 大切な友人、巻き込んでしまった親友。


『今楽にしてあげるから』


 涼の破魔矢が【猿】の片目を射抜いた瞬間、【蜘蛛】の腹から大量の糸が放出された。


 粘着質な糸が【猿】に絡みつき、徐々に動きを奪ってゆく。


「いいぞ!」


 辰海の声が足元から響くのに気付き、晶はさらに気合を入れて【猿】を捕縛する。


 晶はこの時を待っていた。同じ場所に五体の邪霊が揃うこの時を。


 晶は細く糸を伸ばし、斗真、辰海、そして涼の体に繋げた。


「なんだ……? 糸が」


「晶さんがやってるのか?」


 そして【猿】が完全に動けなくなったのを確認し、晶は意識の深くへと潜り込んだ。


 それは晶が【蜘蛛】に成っている今だからできることだった。


 深く、深く。眠りに落ちるような感覚のその先に、彼ら・・・はいた。


 【蜘蛛】の深層心理に潜り込んだ晶が目にしたのは、草原に建つ小さな学舎だった。


 お世辞にも綺麗とは言えない平屋建ての中から、子供達が慌てた様子で飛び出してくる。


 痩せた体に寸足らずな着物を纏った子供達。酷く貧しいことが見てとれる。


 しかしその表情には幸せが浮かんでいた。


『先生だ! 外から新しい先生が来た!』


『うわあー随分久しぶり!』


『先生ー! 早く来てよー!』


 子供達が笑顔で晶に向かって手招きをする。


 晶もそれが自然なことであるように、誘われるがまま学舎へと足を踏み入れた。


『今日は何の勉強をするの?』


『前回は文字の書き取りだったよ』


『運動しようよ! その方が楽しい!』


 ああ、やっぱり。と晶は思った。


 星野の言うとおりだった。彼らは純粋な子供だったのだ。


 賊に襲われて、酷い目に遭って、それでもこの櫻場の地を守ろうとしている、幼い子供達だったのだ。


『先生疲れちゃった?』


『じゃあここにずっと居れば?』


『そうだ、僕達と一緒になろうよ。今ちょうど全員揃ってるんだ! 前に無理矢理五つに引き離されちゃったけれど……今は一緒だよ!』


 晶はこれで全員だという子供達一人一人を見て、安心させるように微笑んだ。


「今日は皆に大事な話をしに来たの」


 晶は子供達を座らせて、自分は粗野な教壇に立った。


 純真無垢な目が晶に注がれる。


 晶は心を決めて、子供達に話し始めた。


「あなた達はもうここを守らなくていいの」


 晶の言葉に子供達がキョトンとする。


 高麗の言った邪霊を成仏させる唯一の方法。


 それは『邪霊との対話』だった。


 もちろん通常の状態では不可能。


 しかし晶が【蜘蛛】に成った瞬間だけは、邪霊の意識と晶の意識が繋がる。


 晶は邪霊の魂に語りかける。もう成仏してもいいのだと。


『だめだよ。危ない奴が襲って来るんだよ』


「ううん。もう来ないの」


『敵が来たら外がこんなになっちゃうんだよ』


 一人の子供が外を指差す。


 先程まで草原だった景色が焼け野が原へと姿を変えていた。


「もう大丈夫。こんなことにはならないの」


『なんで? なんでなんでなんで? 大丈夫だって言い切れるの?』


「時代が変わったの。もう賊はいない。むしろあなた達が狙われてしまっている。それに櫻場にはたくさんの霊能力者がいる。あなた達の代わりに大切な場所を守ってくれるよ」


 子供達はお互いの顔を見合わせて、不思議そうに晶のことを見上げた。


『じゃあ……じゃあ家族のところに行ってもいいの?』


「うん、いいんだよ」


『僕達お空に行ってもいいの? 本当に大丈夫なの?』


「うん、後のことは私と仲間達に任せて」


『わあーーー!』


 ドタバタと学舎の外に駆け出して行く子供達。


 晶もそれに続いて外に出る。


 まっさらな櫻場の大地が目下に広がっていた。


「これが、あなた達の見ていた風景なんだね」


 子供達は最後の遊びにと鬼ごっこを始めた。


 晶もそれに加わって、鬼役を引き受ける。


「やばい、子供足速すぎ……えい!」


『わあっ捕まったあー! じゃあ先生、さようなら!』


 晶に触れられた子供が徐々に光の粒子へと変わっていく。


 そして空に吸い込まれるように昇っていった。


 現実では、突如辰海に異変が起こる。


 辰海の体の中から光の粒子が空へと昇ってゆく。


 それと同時に、体の中で蠢いていた邪霊の気配が掻き消えた。


 辰海はビクリと体を跳ねさせる。


「これは……?」


 晶はやっとの思いでもう一人を捕まえた。


 するとその子供は同じように光へと姿を変えた後、矢の如く空へと放たれていく。


 その頃、涼の体が突然発光し始め、一筋の光の矢が空へと放たれていった。


 邪霊の気配がまた一つ消える。


「おおっ?」


「まさか……!?」


 若菜の表情が苦々しいものに変わる。


 それを見逃すことなく星野の短刀が若菜の肩を抉った。


「ぐっ」


「うちの生徒は意思が固くてね。困ったことにやると言ったら全然聞かないんだ。でもまさか、本当に邪霊を成仏させるとは」


「成仏……!? 馬鹿な、馬鹿な!! 邪霊がいなければなんの意味もない! やめさせろーッ!」


 若菜は激しく憤り、【猿】への命令を続ける。


 しかし糸で頭の先から足元まで巻かれた肉塊は身じろぎ一つできない。


 ぜえぜえと肩で息をする晶がようやくすばしっこい女の子を捕まえる。


 楽しげな笑い声を残して、パチパチッと弾ける閃光とともにその姿が消えた。


「子供の体力舐めてた……! 早くしないと」


 封印の場に火花が弾け、斗真の体から邪霊の気配が消え去る。


 斗真は手をグーパーして、恐る恐る、呪器である蹄鉄の指輪を外した。


「――! 【蜂鳥】が消えてる!」


「【鯨】ももういないみたい」


「こっちもだ! あいつやりやがった!」


 三人は嬉しさを表した後、はっとして拘束された【猿】を見上げる。


 もしも今【猿】が暴れ出したら止める手段がない。


「本野……! 頼む」

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