第19話

「お二人さん一緒にお昼食べるほど仲良いんだね」


 大きな眼鏡をかけていても、その整った顔立ちは隠せないようだ。


 神崎辰海は晶と斗真の背後の窓から身を乗り出して口元だけ笑って見せている。


「おい辰海、いつから居たんだよ」


「理事室でコーヒーをってところ辺りかな。……ねえ、あの後大丈夫だった?」


 そう言って辰海は晶の顔をぐいっと覗き込む。


 晶はいきなり話題を振られ、はっと口を開く。


 あの後、とは星野との一件の事だ。


 偶然その場に現れてしまった彼は大きな誤解をしているかもしれない。


 晶は弁明のため頭を回転させた。


「大丈夫だったよ。えっと、神崎くん。変なところを見せてごめんね。私、四月に転校してきた――」


「転校生の本野さんでしょ。星野先生とどういう関係?」 


「はあ!? なんだよそれ」


 やはりいらぬ誤解を生んでしまったようだ。


 晶は内心冷や汗をかきながら、辰海に食い掛かる斗真をなんとか宥める。


「違う違う! 小テストで居眠りしてたのを叱られてただけ。神崎くんが見たのは、星野先生とちょっとした言い争いになっちゃって……」


 徐々に尻すぼみになりながらも苦しい言い訳をする晶に、斗真は怪訝そうな視線を送る。


「言い争い? 本野と星野先生が?」


「う、うん」


「へー」


 なんの感情も含まれない相槌は辰海のもの。


 晶はちらりと彼を見るが、今の話を全く信じていません、といった表情が目に入り、心の中でがくりと肩を落とす。


「じゃあ斗真と付き合ってるんだ?」


「なっなんでそうなるんだよ! ちげーよ!!」


「まだ付き合ってないって感じ? あ、余計なこと言っちゃったかな」


「や め ろ!!」


 どうやら辰海は斗真を突いて煽るのが得意らしい。


 晶には自分をネタにして斗真を苛めているようにしか見えない。


 星野とのやりとりを見られている手前、次は何を言われるか分からない晶はこの場から逃げ出したくなるが、そんな晶の気持ちも知らず、辰海の追求は続く。


「だって夜待ち合わせするんでしょ。デートじゃないの?」


「ちっがう! お前盗み聞きするなよ!」


「たまたま聞こえてきたんだよ。ところで理事室に勝手に入れるなんて、随分特別扱いされてるんだね」


 辰海の追求が痛い所を突き、晶と斗真は一瞬ぎくりと動きを止めた。


 確かに理事室でコーヒーを淹れてから探索へ行くという話をしていた。しかしこんな時のために部活動という言い訳がある。


「部活だよ部活! な、本野」


「そう、私達歴史研究部なの。顧問が理事長だから、理事室に行くことが多いんだ」


「歴史研究部……?」


 凪に話した時と同じような反応を見せる辰海に、揃って顔を引きつらせる二人。


「部活って言っても、ただのメンドクセー雑用で、何も特別なんかじゃないぜ。雑誌とかテレビとか出てるお前の方が十分特別だよ」


 斗真の言葉に辰海は一瞬瞳を曇らせる。


 晶はその微細な変化に目を凝らすが、瞬きの間に辰海は笑顔に戻っていた。


「特別? そんなことない。俺はただの凡人だよ」


 そう言って辰海は飽きたように窓から乗り出していた体を引っ込め、軽く手を上げ去って行った。


 去り際に見せた彼は笑っていなかったように見えて、晶はやはり先ほどの変化は見間違いではなかったことに気が付く。


 辰海は『特別』という言葉を嫌っているのではないか。


 晶は斗真をちらりと見る。


 すると斗真も同じことを考えているような表情をしていた。


「去年はそうでもなかったんだけど、最近あいつツンツンしてるというか……イライラしてるというか」


「そう……なんだ」


 神崎辰海。彼はあの時、星野とのやりとりをわざと止めに入ってくれたのではないか。


 晶はその事に薄々気がついてはいたが、斗真の前でその話を続けるのは躊躇われた。


 いずれにせよ星野との誤解を解くために、彼とは一度話をしなければならない。


 晶は辰海の後ろ姿を目で追い、果たして自分から話しかける勇気があるかどうかの自問自答を始めることになった。


 ▽


 それから数日後、晶は決心した。


 斗真との霊杭探しも上手くいかず、星野の目に怯えながら学校生活を送る中、晶のストレスは溜まりに溜まっていた。


 できるところから解決していかなければ自分が壊れると判断した晶は、まず悩みの種の一つであった辰海と接触することにした。


 辰海は晶と星野のことを誤解して揶揄ってくる。まずはそれをなんとかしたい。


 辰海は顔が良くスタイルも良いので、異性にとても人気があるであろうことは晶にも予想ができる。


 予想はできているが、晶は辰海と話さなければならない。


 しかし、放課後のまだ生徒で溢れる隣のクラスに突撃し、「神崎辰海くんいますか」と言い放つ勇気がない。


 好奇の目で見られることはもちろん、彼のファンに目をつけられることは平穏な学生生活を望む晶にとって避けるべき事であることは間違いなかった。


 頭の片隅で良くないとは思いつつ、晶は放課後荷物をまとめ教室を出た辰海の後をこっそりと尾行することにした。

 

 辰海がひとりになったタイミングで、話しかける。


 晶にはこれしかなかった。


 辰海の誤解をとき、すぐに斗真と霊杭探しをしなければ。


 ここ数日何も見つかっていない。


 白鷺の言葉どおり試験期間中は学業を優先したが、邪霊探しが切迫しているのは変わらないのだ。


 なるべく早く行動するために、うじうじと考えている暇は無かった。


「あれ?」


 辰海は校舎を出た後、何故か校門に向かわず方向を変えた。


 一定の距離を保ちながら晶もその背中を追い、ふと気付く。


 このまま行くと倉庫しか無いはずだ。


 晶は焦りの表情を浮かべる。


 倉庫は霊杭探しや邪霊封印のための道具やPCなどで埋まっていて、万が一誰かに見られたらあまりの怪しさに騒ぎになってしまうかもしれない。


 白鷺が倉庫に鍵かけていることを祈るしかない。


 晶は白鷺の呑気な笑顔を思い浮かべながら歩を進める。


 辰海が何故倉庫に向かっているのか、晶はそこまで考えていなかった。


 辰海を追って倉庫まで辿り着いた晶は、ほんの一瞬の間にその姿を見失ってしまった。


 まさか、倉庫の扉が開いていて中に入ってしまったのでは。


 悪い予感に慌てて倉庫の扉を確認しようと飛び出したその時だった。


「はい、捕まえた」


「あ……?」


 突然背後に現れた辰海にその腕を掴まれた。


「反応うっす。さっきからバレバレなんだけど。話があるならそう言えば?」


「あー、うん。ごめんなさい」


 つまり、晶のお粗末な尾行にとっくに気がついていた辰海はここまで晶を誘導し、そして一瞬身を隠して焦る晶の背後に回ったのだ。


 バレバレと言われ羞恥から俯く晶だが、開き直るように顔を上げる。


「この間の、先生とのことで話したいことがあって」


「そうかなと思って、ここに来たんだけど。斗真との待ち合わせに使ってるなら人来ないんでしょ」


 辰海の言葉に昼間の会話を思い出す。


 確かに倉庫裏で待ってる、と斗真が言っていた。


 それを覚えていて敢えてここに来たのかと晶は感心する反面その冷静な思考に少しの恐ろしさを感じた。


「……裏に来て」


「そんな顔しないでよ」


「怖い先輩に呼び出されてる気分」などと軽口を叩く辰海に対し、手に負えないかもしれないといった様子で背中を丸め鈍い足取りで倉庫裏に移動する晶だった。

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