第32話

「さて、本野さん。先ほども言ったけれど、君は大変なものに取り憑かれているようだ。私も息子も、そういうものは見えてしまう性質でね。そして君は、自分に降りかかっている災難に気が付いているね」


「あ、はい」


「はいってお前な」


 能天気な晶の返事に、涼は呆れたように口を挟む。


 覚は気にする様子もなく懐紙を取り出し、さらさらと筆ペンを走らせ始めた。


「君の背後にこんなものが見えるよ」


 覚が晶を見ながら描いたのは、八本の脚を持つ黒い影だった。


 涼がその絵を見て頷いている。


「分かってます」


「だーかーらなんでんな冷静なんだよ!」


「気配は眠っているけれど大きすぎる。これは白鷺家絡みかな」


 ぎくりと晶の肩が跳ねた。


 目の前の宮司は部外者のはずだ。


 なのに簡単に白鷺の名が出るのは何故なのか。


 晶は逡巡する。彼は星野や若菜のように学園を探っているのか、あるいは高麗のような白鷺の協力者なのか。


「そんなに警戒しなくてもいいさ。君に見せたいものがある。ついておいで」


 そう言って部屋を出る覚の背を追って晶と涼が並ぶ。


「白鷺って誰だ?」


「うちの学校の理事長だよ。ねえ、涼くんにはずっと見えてたんだね、私の【蜘蛛】。嫌だったでしょ。ごめんね」


「別に。慣れてるからいい。つーかお前は! もっと焦れよ! 普通取り憑かれてるとか言われたらもっとビビるだろ!」


 涼は語気を荒げるが、責められた本人は恐れるどころか「はは」と口だけで笑いながら応える。


「私ももう慣れちゃったから……」


「お前ヘンだよな」


「ヘン?」


「悪霊が憑いてるのにケロッとしてるし、俺に全然ビビらねーしむしろ脅して来ただろ!」


 涼は学校で晶に凄まれたことを根に持っているようだ。


「そうかな。そう……かも。ごめんね、そんなに怖かった?」


「はあ!? 怖くねーし」


 言われてみれば確かに転校直後から色々あり過ぎたせいで肝が座ったかもしれない。と晶は思った。


 元々武道をしているおかげかちょっとやそっとのことでは動じない性格ではある。


「俺が怖くねーのかよ」


「なんで?」


「不良だなんだ言われてるし」


「涼くん何かやらかしたの?」


「売られた喧嘩を買っただけだ!」


 晶はキョトンと涼を見上げる。


 涼にとってはその視線さえ何か意味深いものに思えてしまい、ススッと晶から目を逸らした。


「私さ、隔離措置中なんだよね」


「あ?」


 晶は足元を見つめながらぽつりぽつりと話し始める。


「親殴って病院送りにしちゃって。顎の粉砕骨折と脳震盪。だから転校してきたの。涼くんが不良なら私は超不良だ」


 は、と涼は声にならない息を漏らした。


 目の前の女子はどこにでもいそうな、少し表情筋が死んでいる女子だ。


 線も細くて背も涼の頭一つ以上低い。


 人は見た目によらないとは言うが、涼は晶が笑いながら人を殴る姿を想像して戦慄した。


 涼の中で晶がヘンな女子から得体の知れないヤバい女へと認識が変わる。


「な……何で親殴ったんだよ」


「母親を殴ったから」


「あー……そう。そういう感じかよ。一瞬お前がヤバい奴だと思っただろ」


「え、どういう意味?」


 涼はもう晶にギャーギャー怒鳴る気分になれなかった。


「涼くんのお父さん、素敵な人だね。羨ましい」


 そう言って晶が僅かに口角を上げるのを見てしまったから。


「ここ上櫻神社はとても古くからあるんだ。戦争で焼けてしまったが、再建してね。ずっと昔からこの地に存在している。あの学園のようにね」


 本殿の奥の小路を進むと、苔むした石畳が現れる。その先には、晶の見覚えのあるものが鎮座していた。


「これって、もしかして」


 石畳の上に不自然に乗っている岩。学園の校舎裏にある防空壕の穴も、同じような岩で塞がれている。


「これは櫻岩さくらいわと呼ばれている。桜中央学園にもこれと同じ岩があるんだ。邪なるものを塞ぐと言われていて……実は桜中央学園と上櫻神社は同じ流れを汲んでいるんだ。古くはここら一帯が櫻場さくらばと呼ばれていて、学園の立っている土地もこの土地も一続きになっていたんだよ」


 ぽかんと口を開けて呆ける晶に覚は目尻を下げて語る。


「その関係でうちは白鷺家とは昔から交流がある。なんならあの学園が建つ前からね」


「そう、だったんですか」


「俺も初耳だぞ」


 元々学園と同じだったという地に置かれた、櫻岩。


 よく見ると岩の周辺の苔が一部剥がれている。晶ははっとした表情で岩の近くに寄った。


 石畳と同じように苔むしているが、やはりところどころ削れている。まるで最近誰かが繰り返し動かしたように。


「これ動かしてもいいですか!?」


「え?」


 覚の返事を聞く前に、晶は両腕に力を込めて岩を押した。平たい形をしたそれは徐々にずれていく。


「おい転校生、一体何を――」


「やっぱり……」


 岩の下には人が一人通れる程の穴がぽっかりと開いていた。


 晶と涼は同時に中を覗き込み、緩やかな傾斜が続いていることを確認して顔を見合わせる。


 覚も驚いた様子で穴を観察し始めた。


 もしも学園の穴と同じなら、地下の封印の場に繋がっている可能性が高い。


 晶はほぼ確信しながら覚に問いかける。


「この穴、どこに繋がっていますか?」


「さあ、これは知らなかった。なんなんだろうねこの穴は」


「ご存じなかったんですか?」


「初めて知ったよ。先代も知らなかったんじゃないかな」


「相当奥まで続いてるぞこの穴。どこまで続いてるんだ?」


 晶は眉を寄せる。岩と石畳には最近動かしたと思われる跡があった。


 にもかかわらず覚や涼がこの穴の存在を知らないということは、誰か別の人物が岩をずらしたということになる。


「……涼くんのお父さん、またここに来てもいいですか。今度は多分、理事長も一緒に」


「それは構わないけど」


「なんで理事長?」


 首を傾げる親子を横目に、晶はスマホで穴を撮影する。


 それをすぐに白鷺に送り、二人に向かって勢いよく頭を下げた。


「それじゃあまた来ます! 失礼しました!」


 今から学園に戻っても白鷺は居ないかもしれない。


 それでもこの情報はすぐに共有した方がいい。


 そう判断し走り出した晶だったが、強い力で手を引かれたたらを踏む。


「待て転校生! まだ終わってねえ!」


 涼は急に駆け出した晶に驚きはしたが、すぐに追いつき足を止めさせた。


「ごめんお清めはまた今度にしてもらっていい? ちょっと急用が、」


 違う! と大きな声で言葉を遮られ、晶は瞠目する。


 涼はさも当然のように言葉を続けた。


「まだ終わってねーだろ、買い出し! 行くんじゃなかったのかよ」


 涼の口から出たのは、晶がすっかりと忘れていた係の仕事だった。


 買い出しと言って涼を連れ出したのは、紛れもなく晶自身だ。


 白鷺から返事はまだ来ない。


 晶は現時点での優先度を悩み抜いた末、がくりと肩を落として涼と共に近くのスーパーマーケットに行くのだった。


「おい転校生、よく見ろ! 箱買いした方が得なんだよ!」

「……ねえ、さては意外と真面目だったりする?」

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