第2話
▽
少し早く家を出すぎたかもしれない。
誰もいない通学路を歩きながら、晶は真っ青な空を見上げた。
ついに今日から高校二年生。晶の転校初日だ。
スマホで『桜中央学園』と検索し、アクセスマップを開く。
どうやら道は合っているらしい。
急な転校だったこともあり、手続きはほとんどネットで済ませたため、実際に学校を見るのは今日が初めてだ。
「さすがに緊張するかも……」
桜舞う坂道を上がれば、そこには歴史を感じさせる校舎があった。
晶は引き続きスマホで学校案内のページをタップする。
晶が今日から通うことになった私立桜中央学園高等学校は、自由な校風と生徒の自主性を重んじる近代的なスタンスらしい。
その歴史は浅くはなく創立七十周年を迎えるところだという。
指定の制服や鞄は無く、生徒たちは思い思いの格好で通学しているとのこと。
引っ越しやら何やらでドタバタしていた晶にとっては、新しい制服の手配をしなくて済んだのはありがたかった。
白いシャツに転校前の制服のスカートを合わせ、春用のカーディガンを羽織れば済む。
坂を上り切り、大きな校門に辿り着いた晶はピタリと足を止めた。
閉ざされた校門に寄りかかるように、一人の男性が立っていたからだ。
漆黒のバイクをすぐ横に停め、何かを待つようにじっと動かない。
困ったことに、校門をくぐるには彼の眼前を通るしかない。
もしかしたら教師だろうか。
こちらの気配に気が付いた男性が振り向いた時、晶は一瞬でその考えを改めた。
――なんだか、あやしい。
若い男だ。グレーのライダーズジャケットに赤茶色の髪、おまけにカラーサングラスを頭上に乗せており、明らかに教師ではないことが窺える。
晶は見なかったふりをして門をくぐろうとしたが、その男は素通りしようとする晶に声をかけた。
「まだ校門は開いてないよ」
「あ……そうなんですか?」
街を歩いていたら目立つであろう長身に、すらりとした手足。
にこりと人好きのする笑顔を浮かべた男は、晶に一歩近寄り話を続ける。
「今日はどこの部活も朝練ナシ。開門は始業式の三十分前。先生に言われなかった?」
「あ、いえ。あの……ここの先生ですか?」
「僕? いいや違うよ。そうだ、少しこの学園の話を聞いてもいいかな」
「え?」
開門時間を把握しているのに教師ではないと言うその男は、困惑する晶に一枚の名刺を手渡した。
「僕はオカルト系フリージャーナリストの
「オ、オカルト系フリージャーナリスト?」
日常で聞きなれない単語に晶は眉を寄せ、さらに距離を詰めてこようとする目の前の男――若菜から一歩身を引いた。
「まあまあそんなに警戒しないで。ホラ、この学園って結構噂になってるじゃない?」
「噂?」
「そう、幽霊が出るって噂」
ざわっと枝葉が鳴り、晶の背後に生ぬるい風が吹き付けた。
桜の花弁が落ち続ける中、若菜は内緒話をするように晶の耳元に口を寄せる。
「聞いたことくらいあるでしょ? ここは昔からいわく付きの土地で、時々、幽霊が出て学生が呪われる……って」
「いや。知りませんけど」
馬鹿げた話の内容に、相手にする必要はないと判断した晶は来た道を戻ろうと踵を返した。
そんな晶の様子に若菜は慌てて晶の袖を引く。
「えー。本当に知らない?」
「私、今日この学校に転校してきたんです。校門が開く時間だって知らないのに、そんな変な噂なんて知りません」
転校初日からあやしい人に出会ってしまうなんて、幸先が悪い。晶がため息を吐こうとしたその時だった。
「君、今なんて?」
「え?」
「なんて言ったんだい?」
低いトーンで急に投げられた問いかけに、晶は対応できずに聞き返す。先程とは打って変わって、若菜の笑顔は消えている。
「噂なんて知りません……?」
「その前」
「ええと、今日この学校に転校して」
「て ん こ う せ い ?」
低い声で畳み掛けるように問いかけてくる若菜に恐怖を覚えた晶は、後ずさりながらこくこくと頷く。
しばらくの沈黙の間、若菜は微動だにせず静かに晶を見つめていた。
あやしいどころじゃない。逃げよう。
晶は慌てて地面を蹴ろうとするが、突然手首を強い力で掴まれ、思考と動きを止められてしまう。
「ちょっ」
「いやーそうかそうか、転校生だったとは。知らなくてもおかしくないよね。ところで君の名前はなんていうのかな」
無理やり握手をされ、両手を上下にぶんぶんと振られる。急に明るい声と笑顔になった若菜を見て晶は更なる気味悪さを感じた。
「放してください」
「名前教えて?」
手を握りながらどんどん近づいて来る若菜に対し、顔を引き攣らせる晶。
いっそのこと突き飛ばして逃げてしまおうと晶が身構えたその時だった。
みしり、と空気がひしゃげる音がした。
この場所だけ重力が変化したかのような、重い空気が満ちる。晶と若菜が同時にそれに気付いた、瞬間。
『ぎゃ あ゛あ゛あ゛ーーーー!!』
空気を切り裂くような音が響き渡った。
悲鳴なんてものではない。断末魔だ。
およそ人間の声帯から出るとは思えない叫び声が、晶の脳を酷く揺さぶる。
「な、なに!?」
そのおぞましさに両手で自分の体を抱く晶。
対照的に、若菜の行動は早かった。声のした方向を確認し、晶の手を引きバイクに跨がる。
「転校生ちゃん後ろ乗って」
「へ?」
「早く」
無理矢理ヘルメットを被せられた晶が目を白黒させながらバイクの後ろに腰かけると、若菜はバイクを急発進させた。
「きゃあ!?」
「腰捕まってて!」
施錠された校門から逸れた、ほんの僅かな横道を通ってバイクは学園内に侵入した。
もちろん若菜は不法侵入だが、晶はそれを咎めるどころではない。
振り落とされないように目の前の背中に必死に捕まっていると、ふと視界に開けた場所が入る。
「この辺りのはずだ」
バイクがゆるゆると停まる。異様な叫び声がした方角にあったのは、だだっ広い校庭だった。
晶はバイクから降りて下の方を見る。坂の勾配を利用して作られた校庭は、校舎が並ぶ地面から数段低くなっていた。
つまり校庭を見下ろしている晶達には、校庭の中央にあるモノがよく見える。
晶は見てしまった。
広い校庭一面に、巨大な絵が描かれているのを。
「え」
そしてその中央に、人間の腕が生えているのを。
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