三、鯨の儀式

第15話

 ――月曜日。


 晶は桜中央病院で診察を受けてから登校していた。


 結果、やはり体に異常は見られず、怪我もすっかり治っていた。


 晶は病院でもらった飴玉を口の中で転がしながら、スカートのポケットに手をやる。


「まずったなー」


 あの日【蜂鳥】に焼かれてしまったスカートを処分しようとした時、ポケットの中から佐倉ひなこの定期入れを発見した。


 地下の封印の場に落ちていたそれの存在を晶はやっと思い出し、今日報告しようと持ってきたのだ。


 白鷺邸で報告し忘れていたのは、晶の頭がいっぱいいっぱいだったからだ。


 斗真が【蜂鳥】に取り憑かれた時はもうダメだと思った。


 心臓がギュッと握られるような恐怖。晶は目の前で友達を失うところだった。


 けれどこれからは斗真が一緒に邪霊を探してくれる。


 恐ろしい邪霊も、グロテスクな霊杭も、見つけてしまったってもう一人じゃない。


 晶にとってはそのことが心の支えになっていた。


 苺の飴玉の甘酸っぱい味が口内に広がり、子供の頃を思い出すような、不思議な気持ちになる。


 がりっとその飴玉を噛み砕いたのは、晶としては本意ではなかった。


 自分でも制御できずに、その顔を見ただけで顎に力が入ってしまったのだ。


「こんにちは、『転校生』の本野晶ちゃん」


「…………」


 その男ーーフリージャーナリストの若菜は、まるでこの道を通る事を知っていたかのように晶の前に現れた。


「無視しないで。ね?」


「何の用ですか?」


 晶は険しい表情で間合いを取り、若菜を警戒しながら答える。


 相変わらず人好きのする笑顔だが、どこか無機質なそれに晶はゾッとする。


「学校にいなかったから気になって。病院行ってたんだね。どうしたの?」


「なんで学校にいないって知ってるんですか」


「君に興味があるから」


「…………」


 やはり無視して逃げよう。


 そう決めて足を踏み出そうとした時、ふと若菜の視線が晶の目から外れる。


「それと、君の持っているそれに大変興味がある」


「それ……?」


 若菜は晶の腰あたりを指差している。


 晶は訝しげにその辺りを触ると、ポケットの中に硬い感触があった。


 晶ははっと目を見張る。


 そこには報告しようと思って持って来た、佐倉の定期入れが入っていたのだ。


「な、なんでポケットの中のもの、」


「いやー見えちゃうんだよね」


「――っ変態!!」


「ぐはっ」


 晶は顔を青ざめさせた後、思い切り裏拳で若菜を殴りつけた。


 予期せぬ攻撃に若菜の体がよろめくと、晶は続けてバンバンと若菜の顔面に鞄を叩きつける。


「最低! スカートの中が見えるなんて、ありえない! 見ないで!」


「いやっスカートの中が見えるわけではなく……ちょ、落ち着いて」


 晶は涙目で学園に向かって駆けて行く。


 残された若菜は何が何だか分からないような顔をした後に、悔しげに呟いた。


「だからちがうって……くそっ晶ちゃん! 僕は諦めないよ!」


 ▽


 学校生活は何の刺激もない。毎日同じことの繰り返しだ。


 神崎かんざき辰海たつみは顔を隠すためだけの眼鏡を取り、シャツの胸ポケットにしまい込んだ。


 今日は午後から大事な撮影が入っている。


 元々教師に早退を伝えてはいるが、他の生徒からよく思われていないことは分かっていた。


 ――芸能人気取りで自分が特別とでも思ってるんだろ。


 ――感じ悪いよね。


 辰海がそんなクラスメイトに対していい顔をすればそうは思われなかったのかもしれない。


 しかし彼はそうしなかった。要するに冷めていたのである。


 街角で声をかけられスナップモデルをしたことも、その後モデルの仕事が増えたことも、辰海にとっては単なる暇つぶしでしかなかった。


 少し有名な雑誌に載っただけで友達づらして寄ってくる奴等にも何の感情もわかない。


 辰海は冷めていた。


 校門を出るところで物凄い勢いで駆ける女子とすれ違っても、特に気にせず学園を後にしたのである。

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