第12話

 ゴリ、ゴリ、と体内で蠢くのに連動して、斗真の口から小さい炎が漏れる。


「斗真くん――!!」


 斗真の体に入った、つまり、取り憑かれた。


 混乱する晶の脳裏に自然発火の文字が浮かぶ。


 焼け焦げたシャツを纏った斗真がゆらりと起き上がった。


 ポタポタと口から血を垂れ流しながら、強烈な光を宿した瞳が晶を捉える。


 その怒りなのか恨みなのか、とにかく強い負の感情に晶は呼吸が止まるのが分かった。



『……じゃま  を  するな』


 ひゅーひゅーという息漏れに混じって『彼』の声が届いた瞬間、再び周囲を爆風が襲う。


 晶は理解した。彼が斗真ではない何者・・かであることを。


 晶とは違い、斗真は完全に【蜂鳥】に人格を乗っ取られていた。


『――――――ッッ!!』


 唸るような叫びとともに再び炎が巻き上がり、晶の退路を塞ぐ。


 炎は斗真の背中――背骨に沿って激しく噴射し始め、斗真の背を容赦なく焼いていく。


 ドン!! と晶の足元を炎の弾が掠めた。辛うじて避けた晶は熱風を吸って大きくむせ返る。


「ごほっごほっ! このままじゃ……」


 このままでは斗真の体がもたない。


 密室で燃焼を続けられてしまったら晶もいずれは酸欠で倒れてしまう。


 ――やるしかない。


 晶は両手を顔の前で構え、斗真との間合いを測った。


【蜂鳥】の炎は斗真の背中から羽を伸ばすように左右に噴き出している。


 晶に炎は効かない。問題は熱風。晶はもう何度も吹き飛ばされた。


 ゆらりと炎の羽が後ろに引く。晶は本能的に横に跳んだ。


 次の瞬間、晶のいた場所に爆風が放たれる。


 石室の壁に沿いながら、晶は襲いくる熱風を避け続け、攻撃のタイミングを見計らう。


 チャンスは恐らく一度きり。


 炎の羽が再び揺らめくのを見て、晶は思い切り壁を蹴って【蜂鳥】に向かって突っ込んだ。


 羽が熱風を放つモーション中、斗真本体はガラ空きになる。


「ここ!」


『ぐっ!?』


 晶は低い体勢から斗真の顔面を蹴り込んだ。


【蜂鳥】は体を引いて回避するが、晶の足先が顎を掠める。


 顎は人間の急所の中でも頭に近い。ぐらりと斗真の脳が揺れ、その場に膝をついた。


【蜂鳥】は斗真の体で無理矢理立ち上がろうとするが叶わない。


 動けない【蜂鳥】を見た晶は、そのまま斗真の体の背後に回り込み――


 炎が噴き出す背中に思い切り飛び付いた。


『があああああああ!!』


「これ、以上……斗真くんの体は焼かせない!!」


 ぶわりと晶の服が燃え上がる。燃えない晶の体が斗真の背中の炎を押し潰して消していく。


 しかしマウントをとっているとはいえ、男女の力の差は明白だった。徐々に斗真が晶を押し返す。


 ダメだ、体勢を返される――!


 晶が覚悟したその時だった。


 ぞろりと、晶の背後の影から巨大な八ツ脚がその姿を現した。


 晶は気付いていない。


 黒い霧状の【蜘蛛】の脚が、質量を伴い、斗真の体を地面に縫い付けた。


『何故! 何故! 何故! 何故邪魔をする!! お前が! お前が! 何故! 何故!何故!!』


「お願いっ大人しく……して!」


 地面に転がりのたうち回る斗真の体に晶が必死に覆いかぶさる。


 炎は晶の体に蓋をされ、ぶすぶすと燻るまでに小さくなっていた。


「本野さん!!」


 その時、石室の扉の一部が外側から破られ、土まみれになった高麗が上半身だけ姿を現した。


 分厚い扉に阻まれ、体の半分しか室内に入れないようだ。


 互いに黒焦げになりながら揉み合う晶と斗真を見て、高麗は瞬時に晶の優位を判断する。


「本野さんこれを!!」


 キンッという音を立てて、高麗が何かを宙へ弾いた。小さな炎の光を受けて輝くそれは、ひとつの指輪リングだった。


「それが邪霊を閉じ込める呪器だ!」


 指輪を視認すると、【蜂鳥】は急激に覇気を萎ませた。


 晶は思い切り手を伸ばし、指輪を受け止め――そのまま斗真の指に嵌めた。


『ゔああああああああああああああ!!!』


 指輪を中心に【蜂鳥】の気配がどんどん薄れていく。


 転がり、のた打ち回る斗真の体を晶は必死に抑えつけた。


「お願い、斗真くんを返して! お願い!」


『うらぎりもの! うらぎりものうらぎりもの!! 守らなければいけないのに! 守らなければいけないのに! あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ーーー!!』


 絶叫の後、斗真はぷつりと意識を失った。

 

 ボロボロの体と正気のない肌が地面に沈む。


 晶ははあはあと肩で息をしながら、斗真の頬をぺちぺちと叩いた。


「斗真くん、お願い。戻ってきて……」


 もしもこのまま目を覚まさなかったら。


 晶は斗真に縋り付く。


「……本野、」


「! 斗真くん!」


 ゆっくりと目を開けたのは、【蜂鳥】ではなく斗真だった。


 晶は涙を堪えることもせずに斗真を抱きしめる。


「なんだよ。お前、結構大胆だな」


「馬鹿………!」


 斗真は晶に抱きしめられたまま、左手を自分の目の前にかざす。


 その薬指には、蹄鉄ていてつの形が施された指輪が光っていた。


 ▽


 それから先のことを、晶はよく覚えていない。


 ただ斗真と高麗の三人で、必死に地上に出たことだけは確かだ。


 全身ボロボロで服も焼け焦げていたものの、晶の体には多少の擦り傷しか残らなかった。


 問題は斗真の火傷。邪霊由来の炎で炙られた傷は通常の火傷ではない。


 高麗いわく普通の処置では治らないとのことだった。


 それに加えて晶も斗真も地上に這い出たその場で力尽きてしまったため、二人は急きょ白鷺邸で治療を受けることになった。


 斗真は一晩中高麗の霊的治療を受けている。


 晶はその間、ちょうど次の日が休日だったこともあり、白鷺邸に滞在することにした。


 桜中央学園が見下ろせる小高い丘の上に建つ白鷺邸は、歴史を感じさせる豪邸だ。


 今は白鷺が一人で暮らしているらしい。


 晶はぼんやりと広い庭を眺めながら、自分の肩をそっと撫でる。


【蜂鳥】の熱風を受けて壁に叩きつけられた時、晶はまともに受け身を取れず肩を強打したはずだった。


 その後も斗真の足が脇腹にヒットしたりと、攻撃を受けたその時はものすごく痛かった。


 それなのに今はもうなんともない。


 特に肩は晶の経験上、打撲では済まないと思っていた。


 治りが異様に早い気がする。


 それは晶側の問題なのか【蜂鳥】側の問題なのか、晶には判断がつかなかった。


 そんなことだから晶は自分の体のことよりも斗真の体を案じていた。


【蜂鳥】に体を乗っ取られた斗真は、最終的には自分を取り戻していたように見えた。


 しかし、それでも何の影響もないとは思えない。


 そもそも【蜂鳥】はあの後どうなったのか。晶の胸中は不安でいっぱいだった。

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