第39話

「う、なんでっ……こんな」


「ここまでしないと結界を破って校内を動き回れないんだよ。よっぽど僕のことを警戒しているんだねー。まあ不審者だから仕方がないか」


「どうしてそこまでするの」


「どうして、か。それが仕事だから――と言うのは建前で、本当は全部君のせいだよ」


「私のせい?」


 若菜は晶に向き直り、両手を広げて語り始める。


「情報では堅く閉ざされていたはずの『蜂鳥の間』と『鯨の間』は空っぽ。目覚めた邪霊を晶ちゃんが封印し直したんだろう? すごいねえ。私、何も知りません。みたいな雰囲気出しといて、結局のところ『転校生』は『転校生』だったって事だ」


「何、言ってるの……?」


「まあ聞きなよ。今回、晶ちゃんは大人しくしていてくれればそれでいいんだ。君に――『転校生』に邪魔されるのは避けたくてね。晶ちゃん、君には僕に協力してほしいんだ」


 若菜の言葉に晶は顔を歪める。


「ここに封印されていた邪霊を組織に持ち帰ること。それが僕達に与えられた仕事だった。けれど、一度失敗した。君と出会ったあの日……僕は校門前で佐倉ひなこからの連絡を待っていたんだ」


「佐倉ひなこ……!?」


 学園で姿を消した教師の名が、何故若菜の口から出てくるのか。


 晶の疑問に答えるように若菜は続けた。


「佐倉ひなこはハーリットの一員だった」


 若菜は口元だけで笑いながら、絶句する晶を見つめた。


 佐倉は若菜の仲間だった。


 つまり白鷺達が佐倉を疑っていたのは正しかったのだ。


「学園に潜入し、邪霊の封印を解いた佐倉はそのまま邪霊を回収して組織に戻るはずだった。けれど、一向に戻ってこない。連絡しても音信不通。だから僕が現場に向かわされたんだ。そうしたら学園の邪霊はあちこちに飛び散っているし、佐倉は姿を現さないし……。途方に暮れていたところに君が現れた」


 若菜は晶をスッと指差し、悦に浸った声で晶の名を呼ぶ。


「晶ちゃん! 『転校生』の君に邪霊を喰わせれば、他の邪霊達も君につられて姿を現す! 邪霊は勝手に生徒に取り憑いてくれる。五つ揃ったらまとめて回収すればいい。【蜘蛛】【蜂鳥】【鯨】……そして【蜥蜴】【猿】。君には五体の邪霊を宿す五人の学生を、僕に捧げてほしいんだ」


「捧げるって……私達をどうするつもり?」


「殺しはしないよ。邪霊の力を僕のために使ってくれれば。君達は僕のものになって、僕のために邪霊を使役するんだ。一緒に邪霊の力で一大ビジネスを築こう。僕はハーリットを抜けて独立する。君と一緒に怨み屋のマーケットを占拠するんだ」


 それを聞いた晶は、米神に血管を浮かせ、ヒクリと口の端を引き攣らせながら若菜に言い放った。


「ビジネス? 馬ッ鹿じゃないの? そんなのお断りよ。分かったらさっさと理事長を返して」


 取り付く島もない晶の言葉に、若菜は大袈裟に肩を下げて見せる。


「晶ちゃん。これまで現れなかった霊感を持つ『転校生』。僕と君なら怨み屋の覇権を取れる。これはお願いじゃない。――交渉だ」


 冷たい空気が晶の耳朶を撫でる。


 ごうごうと石室に鳴り響く嫌な風は、中央にいる若菜を軸に渦巻いていた。


 そして、そのすぐ側には白鷺の体が横たわっている。


「晶ちゃん。君が僕を拒んでも僕のやることは変わらない。白鷺家の持つ邪霊の奪取。そのためには君以外の誰がどうなっても構わない。君の態度次第でこのおっさんがどうなるか……分かるね?」


 スーツの裾をはためかせた若菜が白鷺の体を足で小突いた。


「やめて!」


 晶は白鷺を囲む結界を必死に叩くが、それは石壁のようにびくともしない。


 それどころかその見えない壁はジリジリと移動し、晶の体を扉へと押しやっていった。


「くっ……!」


 部屋から押し出されないよう晶は足を踏ん張って耐える。


 その姿に若菜は「強情だな」と呟き、呆れたように地面に目をやった。


「別に君に乱暴するつもりはないのに。ごらん、この呪画もボロボロだ。遅かれ早かれここの邪霊は世に放たれる。そうなる前に回収するというのが何故分からない?」


 若菜の視線の先には、石室の床に逃げ込んだ【蜥蜴】が居た。


 千切れた尾を庇うように体を丸め、ブルブルと床の中で蠢いている。


 若菜は熱のない目で【蜥蜴】を見下ろして言った。


「晶ちゃんはこの絵がナニでできているか知っている?」


「何で……って?」


「血だよ。昔の【監視者】達は生贄から血を搾り取ってこの呪画を描き、邪霊を封印したんだ」


「きゃ!?」


 一陣の風と共に若菜が目にも留まらぬ速さで晶の背後をとる。


 反射的に肘鉄を繰り出した晶を完全に抑え、そのまま晶の顎に手を回し、無理やりに【蜥蜴】に向けて視線を落とさせた。


「うっ! 放、して……」


「晶ちゃん強いから。ちょっと本気出しちゃった」


 若菜の手から逃れようと暴れるが、抗うほどに気道が狭まってしまう。


「この封印の場に施された封印術は、『呪縛柱じゅばくちゅう』と呼ばれる柱を中心に五つの呪画を用いた特別製だ。邪霊を封印するためと言えば聞こえはいいが、元々は日本の生贄文化の中で練り上げられた、生贄を逃さないための邪悪な封印術だったんだよ」


 晶の顎を捕らえたまま、その耳元で内緒話をするように語り出す若菜。


 呪縛柱、生贄文化、邪悪な封印術。


 怨み屋の口から出る不穏な言葉に、晶は胸を騒つかせた。


「なに、どういうこと」


「これだけ巨大な絵を血液を使って五つも描いて、生贄が無事で済むはずがない。これを描いた術者はまさに生贄の命をもってしてこの地下に邪霊を縛り付けたのさ。分かるかい。この封印自体も強力な呪いなんだ」


「そしてそんな呪いを施した【監視者】達は、一体何の権限をもってここに邪霊を縛り付けているのだろうね?」


「ひっ」


 若菜は晶の耳に直接囁きかけ、その細い首に腕を回す。


「君は僕のこと邪霊を利用する汚い大人だと思うかもしれないけど……白鷺家だって昔から似たようなものじゃない。晶ちゃんこんなに大変なことさせられてるのに今タダ働きでしょ? だったら僕と組んで美味しい思いしようよ。ね。大事にするよ」


「や゛、う、やめ……!」


 緩やかに晶の首を締め付けながら、若菜は努めて優しい口調で晶の説得を続ける。


「はなして変態! あんたと組むわけない!」


「まだそんなこと言って――」


 若菜は最後まで言い切らず、この部屋唯一の出入り口である扉にふと目を向けた。

 

「来たな」


 そう言うや否や晶を片腕で抱えて忙しなく結界の内部に引っ込んだ。


「あっちょっと、触らないでよ!」


 あれだけ晶を拒んでいた見えない壁はあっけなく晶の体を飲み込み、再び慄然とその場に構えている。


 抱えられたままの状態で、晶はようやく壁に阻まれることなく白鷺に向けて声を上げた。


「理事長! 起きて理事長!」


「こらこら暴れないで。面倒なのが近づいて来ているから。こうなると君はこっち側にいた方が都合がいい」


 途端、石室に渦巻く空気が変わる。温度がどんどん下がり、凍りつくような冷気が波のように晶の足元を覆い始めた。

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