第17話
「あの人妙に私のこと『転校生』って呼ぶんですよね……。珍しいから、目を付けられているんでしょうか」
若菜はしきりにその言葉を使っていた。
恐らく若菜は『転校生』である晶に興味があるのだ。
そしてその言葉の意味は、もっと深いところにあるように思えて、晶は眉を寄せた。
星野は動揺を見せる晶を見て呟く。
「……そういえば歴史研究部を創ったんだったか」
「あ、はい」
「じゃあ一つ、教えよう。この土地は古くから『よそもの』に冷たいんだ」
「よそもの?」
「そう。実は昔からこの辺りには幽霊が出るって噂がある」
晶は一瞬息を止め、「はあ」となんでもないように相槌を打つ。
「その幽霊は、『悪いよそもの』から地元の人間を守るいい幽霊なんだと。でも『善良なよそもの』は管轄外らしく、幽霊はなんの干渉もしないそうだ。俺も地元の人間じゃないからよそもの。本野さんも転校生だからよそもの。善良であれば幽霊は悪さをしない。お互い、善良でありたいものだな」
「そうですね……?」
晶は星野の口から語られた幽霊の話に違和感を抱いた。
白鷺から聞いた話とどこかが違う。
邪霊がいい幽霊に置き換わっているし、幽霊が人間を守っていることになっている。
星野はじっと晶の目を見て続ける。
「だからこの地では『転校生』は特別な意味を持つ」
突然、晶の視界が急激に狭くなった。
何故か星野の瞳から目を逸らせない。
全身から力が抜け、ぐらりと椅子から落ちそうになるのを星野が支える。
「『転校生』すなわち『よそもの』の生徒。この地の霊の干渉を受けない唯一の生徒」
視覚がブレる。聴覚にエコーがかかる。おかしい。おかしい。
晶の肩に星野が触れた。
晶の危惧したとおり、やはり高麗と同じ触れ方で、晶の中の気配を探ってくる。
晶の背筋が凍った。まさか星野も若菜と同じような人間なのか。
「――
「やめ、」
「これ以上関わらないのが身のためだ。もっと危険な目にあう前に、白鷺から離れたほうがいい」
星野は椅子に座りながら前のめりになって晶に言う。
それは生徒を心配する教師の言葉ではなく、どこか懇願のような、焦りのようなものが感じられた。
「本野さん」
不意に星野の両手が晶の顔を挟んだ。
晶はまだ星野の暗い目から一ミリも視線を逸らすことができない。
「口の中、見せてごらん」
「や」
「やじゃない」
晶は目も口も閉じて必死に抵抗するが、親指を口の端に引っかけられ、無理矢理開かれる。
「ゔーーー!」
「こら、いい加減に……」
晶が身をよじってその手から逃れようとした時、ガタンと教室の扉が開く音がした。
「あれ、教室間違えちゃった」
「神崎……!」
勢いよく晶から手を離した星野は、扉を開けたまま立ち尽くしている男子生徒の名を呼ぶ。
呆然としながら星野の背中越しにその姿を確認した晶は、その生徒のスタイルの良さに目を瞬かせた。
よく見ると大きな眼鏡で隠れた顔の作りも整っている。
正に美形といっていいその生徒は、星野と晶を交互に見て合点がいったように頷いた。
「忘れ物とりに来たんだけど……そういう感じ?」
「おいやめろ」
星野は神崎と呼ばれた生徒に駆け寄り息巻き弁明をし始める。
晶はその隙に荷物をまとめ、教室から走り去った。
「あっ! 本野さん」
「先生、生徒に手出すのは良くないんじゃないの」
「だから違う!」
その生徒、神崎辰海は星野の焦り様に少しだけ口元を緩める。
雑誌の撮影を終えて帰ろうとしたが、学校に愛用しているイヤホンを置いてきた事に気づいた辰海はこうして放課後の教室に戻ってきた。
自分の席にある目的のものを回収しようやく帰ろうとした時、隣の教室の様子が
辰海は時々、壁の向こうが見えることがあった。
見ようと思って見ているのではないが、目に入ってしまうのだから仕方がない。
やけに近い距離感の男女。しかも片方は教師。
辰海の野次馬精神は皆無に等しかったが、見えた内容が内容だけに隣の教室の前まで足をのばした。
「あの星野先生がねえ」
ごく真面目な教師としか言えない星野が女子生徒に迫っていると思うと、人は見かけによらないということを辰海はしみじみ思った。
――ゔーーー!
その内女子の苦しそうな声まで聞こえてくるものだから、逡巡の後、辰海はその教室の扉を開けた。
辰海は基本的に冷めている。
しかし、刺激的な物事に対してはその限りでは無かった。
退屈な日常にはもう飽き飽きなのだ。
誤解を解こうとする星野を尻目に、辰海は走り去っていった晶の後姿を興味深そうに見送った。
▽
「星野先生に口の中を見られそうになった?」
「はい、それと邪霊のことも知っている風で」
「ふむ……深入りはしてこないとは思うが。念の為高麗先生にも伝えておこう」
「そういえば高麗先生はどこに?」
「彼は
「うわあ、怪しい」
星野から逃げた晶はまっすぐに理事室に向かった。
今日は良く逃げる日だと心の中で涙を流しながら勝手知ったる理事室に足を踏み入れると既に斗真と白鷺が話を進めていた。
晶が星野の話のついでと言わんばかりにピンクゴールドの定期入れを差し出すと、白鷺は目の玉が転がり落ちてしまうのではないかと思う程開眼した。
「佐倉先生の
「はい。地下に落ちていたんです」
佐倉ひなこ。
そう印字されたICカードを三人ともしばらく無言になって見つめる。口火を切ったのは斗真だった。
「ということは、やっぱ佐倉先生はあの場所に行ったのか」
「それか、別の人が落としたとか?」
「その人は何で佐倉先生のものを持ってるんだよ」
「そうだよね。やっぱり佐倉先生があの場に行って、封印を解いたのかな」
「ま、まあ落ち着くんだ二人とも」
自身も落ち着いてるようには見えない白鷺が、憶測を交わし始める晶と斗真をやんわりと止める。
「地下のどこで見つけたんだい」
「五叉路の途中です」
「ふむ」と白鷺は一口コーヒーを啜る。
「私達が案じているのは、相手が複数犯だった場合なんだ」
「それって佐倉先生の共犯者ってこと?」
斗真が身を乗り出す。
少なくとも地下空間と佐倉の間に何かしらの関わりがあることが判明した今、第三者の存在が浮上する。
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