第44話

 あの温厚な斗真がめちゃくちゃに怒っている。


 口を開かずとも感じる怒気に身を竦ませていると、晶の背にふと重みがかかった。


「晶さん。ここは一旦斗真に任せて退こう」


「辰海くん……動けるの?」


 見ると顔面蒼白の辰海が背中合わせに座り込んでいる。


 明らかに無事ではないがなんとか動けるようだ。


「俺は平気。でも【鯨】はダメだ、相当なダメージをくらったらしい。しばらくは能力は使えないと思う。あの銃弾、かなりヤバいかも」


「そんな」


「だったら尚更、人間の盾がいた方が」晶のそんな呟きに辰海は盛大なため息をついた。


「ねえ馬鹿なの? いや馬鹿だねほんと間違いなく馬鹿。劣勢もいいところなんだ、つべこべ言わずに退くんだよ。大体さっき涼を庇ったのだって、そんなことされて喜ぶヤツいると思ってるの? 俺も斗真も涼も理事長も星野も誰もそんなこと……ってなんで星野あいつがここに?」


 口を挟む暇もなく垂れ流される文句の後に、もっともな疑問が投げかけられる。


 そう、星野は斗真を追跡しこの地下遺跡に辿り着いていた。


 星野は斗真を背に庇っていたが、その斗真が異常な霊力を放ち始める。


 辺りにはポツポツと小さな火の玉が浮き、若菜を牽制するように動く。


 掬うような動作の後、斗真を中心に幾重もの炎の輪が虚空から湧き上がった。


「覚悟はできてるんだろうな?」


「おー怖い怖い。でもまあこちらとしては更にもう一体お目見えとあらば好都合なんだよね」


「させると思っているのか? 犯罪者め」


 緊張が走る。三者ともそれぞれの動きを牽制するように、強烈な視線を交わす。


『う、あ……』


 その時ぽつりと、張り詰めた空気を裂いたのは弱々しい【蜥蜴】の声だった。


 横たわったままの涼の体には折れた破魔矢が刺さったままで、何かから逃れるように手足を動かしている。


『殺して』


 掠れた声が確かにそう発した。涼の目からゆらゆらと黒煙が上がる。


 【蜥蜴】は黒い涙を流しながら、瞬き一つせず天を仰いでいた。


『殺して、殺して殺して殺して殺して殺して殺し殺殺殺ころころころころしししし』


「ダメだ」


 【蜥蜴】の悲痛な叫びに星野が応答する。


 その一言で【蜥蜴】はぴたりと口を閉じた。


 若菜はそのやりとりにふんと鼻を鳴らす。


「ご立派なことで。邪霊よりも生徒の命が優先かい?」


「俺は教師だ。当たり前だろう」


「なーにが教師だ。潜入してるだけのくせに。善良な教師を装って生徒を裏切ってるだけだよあんたは」


 若菜はそのまま慣れた手つきでガチリと銃をリロードする。


 涼の体に破魔矢が突き刺さったままの状態は若菜にとって良くないことだった。


 このままでは依り代の死とともに【蜥蜴】が祓われてしまう。


 それぞれが思考を巡らせる中、まず動いたのは斗真だった。


 バチンと空中で火花を散らせ、その場にいる者に一瞬の目くらましをかける。


 その隙に斗真は白鷺の体を石室から引きずり出した。


「それ超ファインプレーだよ……!」


 それを見た辰海がすぐさま晶に肩を貸して立ち上がる。


「逃げるよ」


「でも涼くんが!」


「今の俺らに何ができるっての」


 パッと駆け出す二人を横目に、星野が懐から数枚の御札を取り出して【蜥蜴】に向けて放った。


 【蜥蜴】を囲むように四方に飛ばされた御札が見えない空間を作り出す。


「そんな簡易結界じゃあ邪霊は封じられないよ」


「お前を生徒に近づけさせないためだ」


「はいはい生徒生徒。立派なセンセイだ。でもダメだね」


 そう言うやいなや若菜は迷わず【蜥蜴】に向かって発砲した。


 弾丸は星野の結界にめり込んで一部を崩壊させる。


「いいのかな? さっさと破魔矢を引っこ抜かないと、あの子あのままだと死んじゃうよ。センセイ? まあどれを優先させようがどれかは取らせてもらうけど。こっちは【蜥蜴】でも【鯨】でも【蜂鳥】でも……もちろん晶ちゃんでもいいんだから。将棋と一緒さ。何かを捨てて何かを守らないと」


「この状況で何故自分が優位に立っていると思えるのか理解できないな」


「ああ、少なくとも劣勢ではない」


 若菜は歪に口元を吊り上げて、銃を持たない方の指をパチンと鳴らした。


「えっ!?」


 その瞬間、逃げる晶の体ががくりと傾く。


 晶の手が突然鉛のように重くなり、地面につくとそのまま離れなくなった。


「な、なにこれ!」


「晶さん!?」


 辰海が引いてもビクともしない。


 まるで重石が乗ったかのような自らの手に晶は目を白黒させることしか出来ない。


 そのまま若菜が透明な紐を引くような動作をすると、それにつられて晶の手がズルズルと引き寄せられる。


 まるで見えない鎖で繋がれているように。


「や、やだ」


「前会った時に、晶ちゃんには特別な呪いをかけてまーす。僕、用心深いから。これで大切な生徒が二人も……」


 その時、バチンッと若菜の台詞を遮るように、晶と若菜のちょうど真ん中の位置に青白い雷電が起こる。


「ひえっ」


 見えない鎖に稲妻が走り、ぶつりと千切れる。


 雷光の先では険しい顔をした高麗が片手の狙いを若菜に定めていた。


「遅い」


「悪かったよ。これでも急いで呪器を用意してたんだ」


「……まあ、手駒の数では負けてるか」


「観念しろハーリット」


 簡易結界に包まれた【蜥蜴】。辰海とともに退避した晶。


 若菜の目の前には一分の隙も見せない星野と高麗。


 若菜はしばらく動きを止めたまま状況を再考し、大きくため息をついた。


「はあー。……仕方がないね。本っっっ当にムカつくけど退散することにしよう!」


「逃すと思うか?」


 星野が若菜に向かって捕縛用の煙を吐くよりも早く、若菜は扉へ横飛びする。


 そして石室の入り口を塞ぐ斗真に向けて引き金を引いた。


 斗真は炎を操り銃弾を弾き返そうとするが、それは若菜の予想どおりの行動だった。


 炎に包まれた銃弾から、黒い煙が勢いよく噴き出す。


 そして瞬く間に辺りを闇で覆い隠してしまった。


「しまった! 煙幕弾だ!」


 星野の煙をも吹き飛ばしながら広がる黒煙の奥から、若菜の高笑いがこだまする。


「櫻場の邪霊よ! 大いなる呪縛霊よ! 次は必ず獲る――。また来るね、晶ちゃん♪ 僕の言ったこと考えておいて」


 煙を吸ってゲホゲホとむせ返る晶の頭にポンと手を乗せてから、若菜は姿を消した。


「待て!」


 視界の悪い中、星野が若菜の後を追いかける音だけが石室に響く。


 ようやく煙が晴れると、そこには青白い顔で横たわる白鷺と応急措置をする高麗、肩で息をする斗真。


 ボロボロになった晶と辰海。


 そして胸に矢が残ったままの涼の姿が残されていた。

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