第10話

 慌てて教室に置いてあるジャージの上だけ引っ掴んで斗真の後を追う。


「待って斗真くん! 本当に大丈夫だから」


 晶がちょいちょいと斗真の腕を引くが、斗真は真面目な顔でブツブツと独り言を零している。


「なんなんだ……佐倉先生のことといい、なんか分かんねーけど最近すげー嫌な感じ・・・・がする。他にも色々……。本当につい最近からなんだ。この学校なんかおかしい」


「斗真くん……?」


「白鷺はダメだ。心配だから一緒に行く」


 晶は斗真の言葉の意味を計りかねた。


 斗真が何に対してそんなに危惧しているのか、何故白鷺を警戒しているのか、分からないまま晶は斗真の後を追った。


 日は暮れかけている。


 倉庫裏に突然現れた斗真を見た白鷺の反応は、概ね晶と同じだった。


「おや?」と目を大きく見開き驚く白鷺と、ついさっき合流した高麗もまた眉を寄せる。


 斗真にとっても高麗の存在は予想外だったらしく、晶をちらりと見遣った。


「君は――星野先生のクラスの子だね?」


「西條っす。本野が探し物してるっつーから手伝いに来ました」


「斗真くん、斗真くんってば」


「別に問題ないですよね? 白鷺理事長」


 斗真はじっと睨み付けるように白鷺を見上げる。


 その背後で両手を合わせる晶を見て白鷺はため息を吐いた。


「もちろん問題はないよ。人手は多い方が――」


 その時だった。


 ドンッと大きな衝撃が足元から響き、同時に辺りをぶわりと熱風が包む。


「な、なに!?」


 晶が目を白黒させて周りを見回すと、信じ難い光景が目に入ってきた。


 先程見つけた穴から、炎が轟々と噴き出している。


 橙色の火花と黒い煤が舞い上がり、出口を狭められたホースのように激しく炎を吐き出していた。


「な、」


「なんだよこれ……!?」


「下がって!」


 呆然とする晶と斗真を庇うように高麗が前に出る。


 音を立てて穴を侵食していく炎を固まったまま見つめていると、一際大きい炎の塊が地面からから噴き出した。


「きゃあ!」


「一体どうしたんだ!? この熱風は一体」


「見りゃ分かるだろ! 火が出てるんだよ」


「火? 私には何も見えないが……」


「はあ?」


 激しい噴煙から頭を守る晶と斗真だが、白鷺だけはその場に突っ立っていた。


 炎が見えていないと言う白鷺は困惑の表情を浮かべている。


 高麗が煤の付着した眼鏡を外し、厳しい顔付きで叫んだ。


霊障れいしょうだ! 恐らく邪霊がいる。一旦退きましょう!」


 その時、高麗の背中越しに何か動くものが出てきたのを見て、晶は「ひっ」と声を上げた。


 ずるり、と衣擦れの音が響く。


 ソレは炎に包まれながら腕を伸ばし、穴の外へとゆっくりと這いずり出てくる。


 晶はその姿を見て、ソレが人間であることを確信し、全身を硬直させる。


「あ」


 全身が黒く焼け焦げ、炎に巻かれている。


 元は着物であっただろう布は大部分が焼失し、かろうじてその体に引っかかっている。


 その人影は呼吸ができないのか、胸を大きく上下させながら――黒く焼け焦げた腕と足をゆっくりと、しかし滅茶苦茶に動かし、どちゃっと歪な音を立てて穴から抜け出した。


 その人影は地に伏しながら、炎を纏ってその姿を変化させる。


 炎は羽根のように揺らめき、人影は黒い眼窩を持つ生物にった。


『ぎゃ あ゛あ゛あ゛あああぁぁーーーー!!』


 途端、耳をつんざくような絶叫と、倉庫を吹き飛ばすほどの爆風が晶達を襲う。


「くそぉ! なんなんだよ――これ!?」


「間違いない、【蜂鳥】だ!! こんなになんの予兆もないなんて……理事長、捕縛用の呪器がありません! 退避しましょう!」


 白鷺以外の三人が耳を塞いでいると、突如、螺旋を描く炎が晶達に向かって伸びる。


 強烈な熱風はまっすぐに斗真の足を攫い、その体を地面に叩きつけた。


「ぐあっ!」


「斗真くんっ」


 炎が斗真の体に巻き付き、地面の穴へと引き摺り込もうとする。


 晶は斗真の足を掴んで抗うが、炎の力に敵わず斗真と一緒に引き摺られてしまう。


 その間も【蜂鳥】は強力な熱風を発し続け、白鷺と高麗の動きを封じていた。


「くっ……体が動かない! 晶くん! 西條くん!」


「理事長下がってください! 本野さん、【蜘蛛】を持つ君はその炎に焼かれることはない! 手を離さないで!」


「でもっもう限界……!!」


「ダメだ本野、手を離せ! お前まで……」


 斗真は喋ったすぐ後に頭から穴へ飲み込まれ、晶もまた抵抗虚しく穴へと引き摺り込まれてしまった。


 二人の姿が地上から消えると同時に【蜂鳥】もその姿を消す。


「しまった、二人とも……!」


「直ちに呪器を持ってきます! 理事長は安全な場所に……!?」


 その時ざわりと高麗の頸を霊気が撫でた。


 穴の中心から青白い腕がにゅるりと天に向かって伸びてゆく。


 骨のない生ゴムのような腕がぐるぐるとねじれ合い、親指同士を絡め合わせ、ぱっと花が咲くように掌を広げた。


「霊杭……今さら……!」


 高麗はギリッと奥歯を噛み締め、白衣を翻した。


 白鷺と晶がガムランボールの反応が強い場所を見つけたと連絡が入ってから十分も経たずに生徒が二人も邪霊に捕まってしまった。


 一体何がトリガーだったというのか。


 高麗はふと突然現れた斗真の存在を思い出した。


 何故【蜂鳥】はまっすぐ斗真を狙ったのか。


 晶が狙われなかったのは【蜂鳥】の兄弟分にあたる【蜘蛛】を宿しているからだとしても、【蜂鳥】からして真っ先に潰しておくべきは霊能力者である高麗であったはず。


 高麗はそこまで考えてあることに気付く。


 斗真には【蜂鳥】が見えていた。


 白鷺のように霊感のない人間にはあの炎や邪霊の姿は見えない。


 ということは斗真には必然的に霊感が備わっていると考えられる。

 そして晶。


 本人は気付いていない様子だが、霊杭と【蜘蛛】を視認していることから確実に霊感がある。


「まさか、邪霊の狙いは霊感のある生徒・・なのか……!?」


 であれば今の状況は最悪。


 高麗は全速力で呪器の保管場所へと駆け抜けた。


 ▽


「うわあーーーー!!」


 穴に引っ張り込まれた晶と斗真はそのまま奥へ奥へと引き摺られていく。


「斗真く、きゃあ!!」


 なだらかに見えた坂は途中から急勾配になり、二人はほとんど転げ落ちる形で坂から引き摺り落とされた。


 その衝撃で晶は斗真の足を離してしまう。


「うっ斗真くん……!」


「本野逃げろ!!」


 炎に巻かれたままあっと言う間に暗闇に消えてしまった斗真。


 晶は背中を強く打ち付け、その場に伏せたまま虚しく手を伸ばすことしかできなかった。


 アレが邪霊ならば斗真が取り憑かれてしまう。


【蜂鳥】は取り憑いた人間に【燃やす力】を与える。


 制御できなければ斗真は死ぬ。


「追わなきゃ、」


 ふらふらと立ち上がる晶は、土の匂いが充満する薄暗い空間に顔を顰めた。


 防空壕にしては随分奥に空間が続いている。暗い上に土埃が舞って視界が悪い。

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