9.沙織ちゃん、三歳
夏が来て沙織ちゃんのお誕生日が近くなった。
沙織ちゃんは七月生まれである。
沙織ちゃんはお誕生日にして欲しいことがあった。
「ねぇねと、おうたとだんつ、ちる!」
「私と一緒に歌って踊りたいの?」
「おきょうちつ、いく!」
沙織ちゃんは三歳になるので歌とダンスの教室に入りたいと自己主張したという。
その件に関して、香織ちゃんは悩んでいた。
「歌とダンスの教室は二歳から入れるけど、その場合は保護者が付きっきりでいないといけないのよね。ママはお仕事があるから、毎回付きっきりではいられないわ」
沙織ちゃんのやる気はあるのに、香織ちゃんと香織ちゃんのママはそれを叶えてあげることができない。
香織ちゃんは私に相談してきた。
私は一生懸命考えたが、こういうことは守護獣さんに聞いた方がいいというのは分かっていた。
歌とダンスの教室の休憩時間に、私は持って来ていたタロットクロスをお昼ご飯を食べるテーブルに敷いて、香織ちゃんと千草ちゃんの前でタロットカードを混ぜる。
周囲の子たちもタロットカードを出している私に興味津々で視線が集まっているのは感じていた。
香織ちゃんは塾とピアノの教室と歌とダンスの教室の普通の練習の他に、個人練習もしているから、自由な時間があまりない。
私も周囲に他のひとがいるところでタロットカードを広げるのは不本意だったが、香織ちゃんのためならば仕方がない。
スリーカードという三枚カードを使うスプレッドで占っていく。
一枚目は、カップの五の正位置。
意味は、喪失。
失った悲しみに動けずにいることを示す。
二枚目は、ワンドの三の正位置。
意味は、模索。
新しいことに挑戦する機会をうかがっている状態を示す。
三枚目は、ペンタクルの五の逆位置。
意味は、困難。
逆位置になると、差し伸べられた救いの手で救われるという意味になる。
『香織ちゃんも香織ちゃんのお母さんも酷いお父さんの仕打ちに喪失感を感じていたはず。ずっと苦しかったわ。それは沙織ちゃんも同じ。でも沙織ちゃんもイヤイヤ期に入って自我を持つようになって、新しいことに挑戦したいの。香織ちゃん、助けてくれるひとがいるはず。お母さんによく聞いてみて』
香織ちゃんの兎さんの言葉を香織ちゃんに伝えると、香織ちゃんは心当たりがあったようだ。
「去年の夏休みに、私、暁ちゃんのパパの実家に行かせてもらったでしょう? そのとき、ママが言ってたのよ。『うちの実家に帰れる日が来るのかしら』って」
香織ちゃんのママも実家のことを考えていて、実家に帰れる日が来るのを夢見ているようだった。
「この、救いの手を差し伸べてくれるひとって、もしかすると、香織ちゃんのお祖父ちゃんとお祖母ちゃんかもしれないわ」
「うん、私、ママに言ってみる」
香織ちゃんは香織ちゃんのママに話をしてみたようだった。
香織ちゃんのママは躊躇っていたが、携帯電話を手に取り、どこかに電話をしている。
電話は繋がって、香織ちゃんのママは相手と話していた。
通話が終わって香織ちゃんのママが香織ちゃんに言う。
「香織ちゃん、今年の夏休みは、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんの家に行くわよ」
「え!? 本当!?」
「私がずっと助けを求めて来なかったから何もできなかったってお祖父ちゃんもお祖母ちゃんも後悔してた。私も早く助けを求めればよかったわ。実家は歌とダンスの教室から近いから、沙織ちゃんを見ててもらうのを頼めそうよ」
香織ちゃんのママが明るく話すのを、私は微笑みながら聞いていた。
沙織ちゃんはその日、歌とダンスの教室に体験入学をして、そのまま入学する手続きまでしてしまった。
沙織ちゃんはまだ小さいので週に一回の練習だが、その練習のときにはできれば香織ちゃんのママが同行するし、できなければ香織ちゃんのお祖父ちゃんかお祖母ちゃんが同行してくれると約束してくれたようだ。
「さおたん、おうたとだんつ、ちるのよ」
胸を張って沙織ちゃんは柔軟体操をして、歌の練習にも加わっていた。
発声練習で音を外して大きな声で歌ってしまうのもご愛敬。
可愛い新人さんに歌とダンスの教室の生徒さんたちは、温かいまなざしを向けてくれていた。
「卯崎さんの妹も歌劇団の付属学校を目指すの?」
以前に黒い影を祓った年上の生徒さんが聞いてくる。この年上の生徒さんは、歌劇団の付属学校への進学は諦めたが、歌とダンスの教室は趣味として続けている。
「さおたん、おぶたいで、ねぇねとちるの」
「沙織ちゃん、私と舞台に立ちたいの!?」
「ねぇねとちる!」
沙織ちゃんの願いは香織ちゃんと舞台に立つことのようだ。
そのために練習を頑張っているとなると応援したくなる。
香織ちゃんは沙織ちゃんと十二歳年が離れているので、ギリギリ同じ舞台に立てるかどうかといったところだろう。
沙織ちゃんに舞台を譲って退団していけるのならば、私と千草ちゃんと香織ちゃんも幸せなのではないだろうか。
沙織ちゃんを時々連れて来るお祖父ちゃんとお祖母ちゃんは、穏やかな大人しいいいひとたちだった。
「あの子が酷い男と結婚したのは分かっていたけれど、どうやって助ければいいのか分からなかったのよ」
「どう声をかけていいのか分からないまま、こんなに時間が経ってしまった」
「時間は経ってしまったけれど、助けを求めてくれたこと、とても嬉しいの」
「夏休みにはぜひうちにおいで」
香織ちゃんはお祖父ちゃんとお祖母ちゃんから声をかけられて嬉しそうにしていた。
「絶対に行くわ。夏休みも勉強しなければいけないし、休めるのは一週間もないだろうけど」
「そんな厳しい道に香織ちゃんは進むんだね」
「沙織ちゃんも香織ちゃんの後を追い駆けたいみたいだね」
「応援しないといけないわ」
香織ちゃんのお祖父ちゃんもお祖母ちゃんも、香織ちゃんと沙織ちゃんを応援してくれる。
沙織ちゃんはピアノの教室にも通えるようになっていた。
「ねぇね、ぴあの、じょーじゅ。さおたんも、ちる」
「沙織ちゃんくらいの年から私も続けてたもの。沙織ちゃんも私みたいになれるわ」
「ねぇねみたい、なる!」
沙織ちゃんはピアノの教室も歌とダンスの教室も、楽しんで通っている。
『魔の三歳』という言葉に怯えていたが、沙織ちゃんは自己主張ははっきりしているが、それほどイヤイヤでもないようである。
「暁ちゃん、聞いて。沙織ちゃんのお誕生日にはお祖父ちゃんとお祖母ちゃんも来てくれることになったのよ」
香織ちゃんが嬉しそうに報告してくれる。
沙織ちゃんのお誕生日には、私と旭くんも招待されていた。
香織ちゃんの家は私と千草ちゃんの家のようにマンションではなく、一軒家なので、庭がある。
綺麗な花壇のある庭のある香織ちゃんの家に行くのは、旭くんも楽しみにしていた。
旭くんと私とママで香織ちゃんの家に行くと、千草ちゃんと千歳くんと千草ちゃんのママも来ていた。
沙織ちゃんが旭くんの手を引いて庭を案内する。
「こえ、おはな」
「おはな、かーいー」
「こえ、ママのだいじだいじ」
「だいじだいじ」
花壇を見せてくれたり、テラスの椅子に招いてくれたりする沙織ちゃんに、旭くんは大人しくついて行っている。
私もついて行って、千草ちゃんも千歳くんを抱っこしてついて行っている。
「千歳くんが重くなってきたせいか、私、腕が太くなってきた気がするわ」
「私も沙織ちゃんを抱っこするから腕が太い気がする」
「私も旭くんを抱っこするから腕は太いと思うわ」
千草ちゃんの言葉に香織ちゃんと私も同じだと言うと、千草ちゃんは真顔になる。
「男役は腕が太くてもいいけど、娘役が筋肉もりもりじゃ格好がつかないわ」
千草ちゃんの表情に、千草ちゃんのママが苦笑していた。
「気になるほどの太さじゃないわよ。その体型だと普通よ」
「本当? ママ、私筋肉ムキムキじゃない?」
「全然」
歌劇団の付属学校の入試では体型も見られるので千草ちゃんは必死だった。
「全然ムキムキじゃないよ」
「千草ちゃんは華奢で可愛いよ」
私と香織ちゃんも言うと、千草ちゃんはやっと納得したようだった。
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