暁に高く翔べ

秋月真鳥

中学一年生

1.千草ちゃんと私

 疲れた。

 今日もダンスと歌のお稽古で帰りが遅くなってしまった。

 勉強の塾に、バレエを中心としたダンスと声楽を中心とした歌のお稽古、ピアノの教室、それに入学すれば中学校と、私の日常は忙しい。

 晩ご飯を食べている時間と、シャワーを浴びているときと、お布団に入って眠っているときが一番幸せだ。


 今日の晩ご飯は筍ご飯と鰆の西京漬けと山盛りのキャベツの千切り。

 生野菜は嫌いだと言ってあるので、キャベツの千切りは湯通しして塩昆布で和えてあった。


「食べ過ぎないのよ。体型維持も大事な自己管理ですからね」


 ママはそう言うけれど、私は中学一年生。正確には中学一年生になる前の春休み。

 食べ盛りの育ち盛りである。

 どうしてもご飯をお代わりしてしまう。

 口うるさく言うママも、私が勝手にご飯をお茶碗に入れると渋い顔をして黙ってしまう。


「この時間にお菓子を食べるよりはいいのかしら。千草ちぐさちゃんはどうなのか聞いてみないと」


 電話しているのは、私の親友の狛野こまの千草ちゃんの家。千草ちゃんのママと私のママは親友なのだ。


 私、高羽たかはねあきらは、中学一年の女の子だ。男の子みたいな名前だとよく言われるけれど、この名前には理由があった。

 その理由は後で話すとして、まずは千草ちゃんとの関係だ。


 私のママと千草ちゃんのママは、幼馴染で同じ小学校、中学校、高校に通っていた。その二人が、高校になってからハマったのが、地元の歌劇団だった。

 男役も女性がやる女性だけの歌劇団で、創立百年を超える伝統あるそこに、私のママと千草ちゃんのママは入りたいと思った。

 しかし、そこには十八歳までに付属の学校に入学しなければいけないという決まりがあったのだ。


 歌劇団を知ったとき、私のママはもう誕生日を迎えていて十八歳だった。千草ちゃんのママも受験をするには遅すぎた。

 歌劇団の付属学校は東京大学よりも狭き門で、歌とダンスを小さい頃から練習した女子生徒が合格する場所だったのだ。

 そこに入れなかった私のママと千草ちゃんのママは、約束をした。


「自分たちに娘が生まれたら、あの歌劇団に入れるように小さい頃から習い事をさせよう」

「歌劇団のトップスターに必ずならせよう」


 おかげで私は物心ついたときから歌とダンスの教室に通っているし、千草ちゃんも同じだった。

 千草ちゃんと私は運命的にも同じ年に生まれた。

 千草ちゃんの方が早生まれで三月の終わりのお誕生日なので、本当にギリギリなのだが、私たちは同じ学年に生まれた。


 千草ちゃんと私は幼稚園に入る前から、歌とダンスの教室で一緒に歌って踊っていて、劇場に入れる三歳になってからは歌劇団の公演にも何度も行っている。私のママと千草ちゃんのママが協力してファンクラブでチケットを取っていたのだ。

 家ではDVDを見せられて、歌とダンスの教室では見た公演の歌を歌って踊る。

 それで私と千草ちゃんが歌劇団にはまらないわけがなかった。


 私と千草ちゃんも今ではすっかりと歌劇団の大ファンで、歌劇団の付属の学校に進学できるように日夜頑張っている。


「千草ちゃんは食が細いから、体重が落ちないか心配って、言ってたわ。暁ちゃん、体重は減っていないでしょうね?」

「減ってないよ」


 身長も伸びる時期だから少しずつ増えてはいるのだが、それを言うとママが気にしそうなので口にしないでおく。

 シャワーを浴びて髪を乾かして、私は自分の部屋に入った。

 私の足元をついてくる小さな犬の存在を、ママは気付いていない。


 私と千草ちゃんだけの秘密なのだが、私には人間ではないものが見えた。

 私には小さな可愛いもふもふの子犬がついているし、千草ちゃんにはママといった美術館で見た若冲じゃくちゅうの絵のような鶏がくっ付いている。


 他にも誰の後ろにもくっ付いている動物のことを、私が話せたのはお祖母ちゃんにだけだった。

 お祖母ちゃんは私の話を馬鹿にしないで聞いてくれる。

 お祖母ちゃんに話すと、お祖母ちゃんは薄い色の目を見開いた。


 うちの家系は色素が薄く、髪の色も目の色も薄茶色だ。千草ちゃんの家はみんな真っ黒なので、少し憧れる。


「暁ちゃんも見えるんだね。私も若い頃は見えていたよ」

「いまはみえなくなっちゃったの?」

「必要なくなったんだろうね」


 言って、お祖母ちゃんは私にタロットカードの入ったポーチとお揃いの布で作られたタロットクロスというタロットカードを使うときに下に敷く布をくれた。


「あたしは、これで守護獣と話をしていたんだよ」

「しゅごじゅう?」

「ひとを守ってくれる獣だから、あたしはそう呼んでた」


 タロットカードには英語の説明書がついていたけれど、それは全然使われていないようで、新品のようだった。

 小さかった私は本屋さんでタロットカードの本を買って、タロットの勉強を始めた。

 お祖母ちゃんの譲ってくれたタロットカードは、長年使われていたため多少傷はあったけれど、剥がれたりはしておらず、さらさらとして手触りがよかった。


 タロットクロスを机に広げてタロットカードを混ぜていく。

 タロットカードの本には、左回転で混ぜると浄化の力が働いて、最初は左回転で混ぜて、占うことが決まってからパワーを込めるために右回転で混ぜるのだと書いてあった。


 タロットカードを混ぜていると色んな思考が頭の中に入って来る。


『あなたのことはなんて呼べばいい?』


 タロットカードに聞かれた気がして、一枚捲ってみると、恋人のカードが出た。

 意味は、心地よさだが、それよりも私はタロットカードの絵に引き寄せられる。

 タロットカードには寄り添い合う狼のつがいが描かれていたのだ。


「いぬさん、あなたがはなしかけているの?」


 膝の上に乗って寛いでいる子犬に話しかけられているような気がして声をかけると、子犬が鼻先で私の鼻にキスをする。


「だいすきってことなのかしら?」


 首を傾げた私はタロットカード初心者すぎてそれ以上のことは分からなかった。


「わたしは、あきらよ。ママがつけてくれたの」


 歌劇団のトップスターになったときにそのままの名前で使えるように、ママは私に暁という男性のような名前を付けた。

 ママの中では私は男役になることが決まっているのだ。


 歌とダンスの教室でも、千草ちゃんと組んで、千草ちゃんが娘役で、私が男役で歌って踊っていた。一応どっちもできないといけないので、娘役をやることも多かったが、私は男役をやりたいという気持ちに目覚めていた。


 あの歌劇団で舞台に立って、千草ちゃんと一緒にトップスターになって、歌って踊りたい。


 その気持ちは中学に入学することになってますます強くなった。

 残り三年で私は歌劇団の付属の学校に入れるようにならなければいけない。

 三年間というのは長いようで短い期間だ。


 まだオムツを着けていた時期から歌とダンスの教室に通って、成績も優秀でなければいけないので、小学校に入ってからは塾に通い始めた私。

 幼稚園のときから超過密スケジュールで、小学校に入ってからは更に大変なスケジュールになって、体力がもたないこともあるけれど、一番の問題は友達だった。


 私は友達の家に行ったことがない。

 例外は千草ちゃんだ。

 千草ちゃんの家にだけはママも行っていいと言うし、新しいDVDやBlu-rayが出るとみんなで鑑賞会もした。


 部活もできない私にとっては、千草ちゃんだけが唯一の親友だった。


「暁ちゃん、行きましょう」


 千草ちゃんが声をかけて来る。

 千草ちゃんと私は同じマンションの隣りの棟に住んでいるのだ。


 わざわざインターフォンを押して私の家まで来てくれた千草ちゃんに、私は急いで制服を着て鞄を持つ。


 桜は散ってしまったけれど、今日は私たちの中学の入学式。


「千草ちゃん、三年間よろしくね」

「その先もずっとよ」


 千草ちゃんに言われて、私は微笑んで千草ちゃんと手を繋いだ。

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