19.入試に向けて

 冬休みの間も、ずっと歌とダンスの教室の練習は続いた。

 猛特訓と言っていいくらいの毎日の練習に、私は帰るとご飯を何とか食べて、シャワーを浴びて眠るくらいしかできなくなっていた。


 大晦日とお正月の三が日は歌とダンスの教室も休みになる。

 大晦日に私が疲れてソファで倒れ込んでいると、旭くんがソファのローテーブルの上におままごとの具材を並べていた。


「ねぇね、おべんと」

「ありがとう、旭くん」

「ねぇね、いってらったい」

「今日は行ってらっしゃいしないのよ」


 休みの日があまりに少ないので、旭くんは今日も私が歌とダンスの教室に行くと思ってしまっていた。

 否定すると、旭くんの表情が明るくなる。


「ねぇね、いる! あとぼ!」

「ちょっと疲れてるから、休ませて」

「あーたん、ねぇね、おりょーりちてくる」


 私のためにお料理をして持ってきてくれるという旭くんに、ソファに寝ころんだままで、私は旭くんの作ったおままごとの料理を受け取った。


「げんちなる」

「元気が出るお料理を作ってくれたのね」

「ねぇね、おなかちいた、げんちない」


 お腹が空いていると元気がないと旭くんに認識されている私。間違っているわけではないので否定はできない。

 おままごとのお料理を食べるふりをして返すと、旭くんがキラキラの目で見つめて来る。


「おかーり? おかーり?」

「お代わり、お願いします」

「あーい!」


 お代わりを作って持ってくる旭くんと私はソファで寝転がりながら遊んでいた。


 入試が終わって歌劇団の付属学校に入学したら、全寮制なので、旭くんとは離れてしまう。

 旭くんの一番可愛い時期の成長を日々見届けることができないのは、私にとっては大変な苦痛だった。

 その苦痛を乗り越えてでも、私には叶えたい夢がある。


 歌劇団の付属学校に入学するのは、夢の始まりに過ぎない。

 私は舞台に立って、最終的には歌劇団のトップスターとして、千草ちゃんとコンビを組むのだ。

 そのためには、まず入試を乗り越えなければいけない。


 面接の練習も、実技の練習も、歌とダンスの教室で毎日のようにやっていた。

 これまでも歌とダンスの教室からは歌劇団の付属学校の入学者が出ているので、先生たちの指導に任せて努力していけば間違いはないだろう。


 大晦日は年越し蕎麦を食べる。

 パパが天ぷらをたくさん揚げてくれて、年越し蕎麦には天ぷらを乗せて食べるのが我が家の毎年の恒例行事になっていた。


「あーたん、ちくわー! ちくわ、ちょーあい!」


 旭くんはちくわの磯部揚げを欲しがっている。

 私は豪華に、小柱と三つ葉のかき揚げ、海老天、ちくわの磯部揚げを乗せた。

 パパもママもそれぞれに好きなものを乗せている。


 テレビで年越しの番組を流しながら、私たちは年越し蕎麦を食べた。

 食べ終わると旭くんはパパとお風呂に入って、ママが食器の片付けをしている間、私はソファで休む。


「冬休みが明けたら、本格的に忙しくなるわね」

「これ以上忙しくなるの!?」

「最後の追い込みよ。暁ちゃん、応援してるわ」


 今でも十分忙しいのに、まだまだ忙しくなるとママは言っている。

 体力がもつか心配だったが、千草ちゃんも香織ちゃんも桃ちゃんも一緒ならば頑張れるかもしれないと私は思っていた。


 お正月の三が日も、私は休みながら過ごした。

 お節もお雑煮も美味しくてたくさん食べたくなるけれど、そのたびに唱える。


「体重も自己管理の一つ」


 自己管理ができない生徒は入試に受かるはずがない。

 体型を保つのも大事な要素の一つなのだ。


 三が日が終わると、また歌とダンスの教室に通う。

 残り少ない冬休みは、それで全部潰れてしまった。


「お正月休みは久しぶりに千歳くんと遊べたわ」

「私も、沙織ちゃんが寂しがってたから、ゆっくりできてよかった」

「私はパパとママと過ごしたわ。パパ、前は偉そうにしてたけど、最近はママに頭が上がらないのよ」


 千草ちゃんと香織ちゃんと桃ちゃんがお正月休みの話をしてくれる。

 桃ちゃんの歌劇団の付属学校に進路を決める件があってから、桃ちゃんの家庭には変化があったようだ。

 ずっと自分の言いたいことを溜めていた桃ちゃんのママは、遠慮がなくなって、パパの方が圧倒されているという。


「桃ちゃんのママは桃ちゃんの味方だものね。心強いわよね」

「パパも、最近は反対しなくなってきたのよ」

「よかった、桃ちゃん」


 桃ちゃんと話していると、黒い影に囚われていたときと全く表情が違うのに気付かされる。

 桃ちゃんは完全に開放されたのだ。


 本人が変わらなければ、黒い影は追い払っても何度でも戻ってくる。

 根本的な解決方法を、子犬さんたちは私に教えてくれた。

 そのおかげで、私は子犬さんと話ができなくても自信を持って過ごすことができるようになっている。


「これから最後の追い込みに入るでしょう? 試験では色んな子が来るけど、自分のよさを発揮してね」


 年上の生徒さんが私と千草ちゃんと香織ちゃんと桃ちゃんに声をかけてくれる。

 歌とダンスは趣味に留めて、歌劇団の付属学校には進まないと決めた年上の生徒さんは、晴れやかな顔をしていた。


「ありがとうございます、頑張ります」

「自分の力を発揮してきます」

「私のよさ……それを見つけるのも、実力の内ですよね」

「頑張ります」


 私も千草ちゃんも香織ちゃんも桃ちゃんも、年上の生徒さんにお礼を言って応援を受け取った。


 冬休みが明けると、三学期が始まる。

 中学校の他の同級生は塾に通って勉強に勤しんでいるが、私も千草ちゃんも香織ちゃんも桃ちゃんも、毎日歌とダンスの教室に通っていた。

 冬休み明けの実力試験では、千草ちゃんは不動のクラス一位、私と桃ちゃんはクラス五番以内、香織ちゃんはクラス十番以内を取ることができた。

 中間テストも期末テストも、もう内申点には入って来ない。

 内申点はこの時点で決まったようなものだった。


「最後までできることを頑張ろう!」


 私と千草ちゃんと香織ちゃんと桃ちゃんは、歌とダンスの教室で、毎日練習を続けていた。

 譜読みも、歌も、ダンスも、日に日に感覚が研ぎ澄まされていく気がする。


 迎えた入試の日、私と千草ちゃんと香織ちゃんと桃ちゃんは、入試会場に送ってもらっていた。


「暁ちゃん、しっかり頑張るのよ!」

「はい! 行ってきます、ママ、旭くん」

「ねぇね、だいすち!」

「私も大好きよ、旭くん!」


 旭くんとママに送り出される私。


「千草ちゃん、応援してるからね!」

「まず一次試験! 頑張って来るわ」

「頑張って!」

「ねぇねー!」

「千歳くん、行ってきます!」


 千歳くんと千草ちゃんのママに送り出される千草ちゃん。


「ねぇね、だいじょぶよ! さおたん、いる!」

「沙織ちゃんは行けないのよ?」

「えぇ!?」

「沙織ちゃん、香織ちゃんに行ってらっしゃいしましょ」

「ねぇねー!?」

「頑張って来るね、沙織ちゃん、ママ!」


 沙織ちゃんはすっかりと自分も試験を受ける気になっていたが、香織ちゃんのママに止められてショックを受けている。

 そんな沙織ちゃんと香織ちゃんのママに手を振って香織ちゃんも試験に向かう。


「ずっと反対していて悪かった。精一杯頑張っておいで」

「桃ちゃん、自分のよさをアピールできれば、きっと大丈夫」

「パパ、ママ、頑張って来るわね」


 桃ちゃんはパパとママに送り出されていた。


 入試が始まる。

 試験には、第一試験と、第二試験と、第三試験の三回の試験がある。

 第一試験は面接、第二試験は面接と実技、第三試験は面接と健康診断。

 その全てに合格しないと、歌劇団の付属学校に入学することはできない。


 面接が間近に迫っている。


 私は気合を入れ直して試験に向かった。

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