17.旭くんの友達

 マンションの隣りの棟との間にある小さな公園で遊ぶのが旭くんのお気に入りだ。

 お砂場セットをもらってからは、ずりずりとそれを引きずって公園まで歩いていく。

 マンションのエレベーターを降りてエントランスから出ると徒歩一分もかからない場所にその公園はあった。

 私もお休みの日には旭くんと一緒に公園に遊びに行った。


 今日はママが一緒で旭くんはお砂場の周りに立てられた柵を私に開けてもらって、お砂場に入ったところだった。

 お砂場には先客がいて、旭くんと同じ年くらいの男の子がお母さんと遊んでいる。私はそのお母さんの様子が気になってしまった。


 そのお母さんは真っ黒な影が後ろに憑りついているのだ。


『子どもが熱を出したからってまた休むのか?』

『産休、育休のためにひとを雇ったんじゃないんだがな』

『次の子どもは計画的にしてくれよ』


 酷い発言を黒い影は旭くんと同じ年くらいの男の子のお母さんに吹き込んでいる。お母さんは目が虚ろで、携帯電話をじっと見つめていた。


「まっま! まっま!」


 可愛い男の子が声をかけても反応がない。

 旭くんはマイペースに自分のバケツの中に砂を入れていた。


「ちる!」


 男の子が旭くんに近寄って一緒にバケツに砂を入れ始める。

 旭くんはそれを拒んだりせずに、持っていたスコップを貸してあげて、自分は砂を形成する用のカップに砂を入れてバケツに砂を入れていた。

 バケツの砂がいっぱいになると旭くんが私を呼ぶ。


「ねぇね! ねぇね!」

「いっぱいになったね。ひっくり返そうか」


 一杯になったバケツの中の砂を押し固めてから私は一気にひっくり返す。ひっくり返ったバケツを外すと、バケツの形の砂ができていた。


「えい!」

「えい! えい!」


 バケツの形になった砂を旭くんが手で叩いて、男の子がスコップで叩いて崩してきゃっきゃと笑っている。

 大喜びの二人に、私はもう一度バケツを出す。


「もう一回作る?」

「あい!」

「ちる!」


 再びバケツに旭くんと男の子が砂を入れ始めたところで、男の子のお母さんが真っ青な顔で立ち上がった。


光輝こうき、ひとのおもちゃを勝手に取ったらダメでしょう!」

「ふぇ……びぇぇぇぇ!」


 楽しく遊んでいた男の子は、スコップをもぎ取られて泣き出してしまう。スコップを返しながらお母さんは頭を下げて来る。


「うちの子がすみません。人様のおもちゃを取るなんて」

「うちの旭くんが貸したんですよ」

「え?」

「貸してあげたんだから、使っていいんです。ね、旭くん」

「あい」


 私と旭くんが言うと、スコップを取り上げてしまったお母さんは戸惑っているようだった。

 スコップを男の子に返すと、男の子は泣き止んでまた遊び出す。私のママが光輝くんのママに話しかけていた。


「疲れていらっしゃるのかしら。少しこちらでお話ししませんか?」

「光輝を見ておかないと……」

「うちの娘の暁ちゃんがいるから平気ですよ。息子さん……光輝くんは、旭くんととても仲良しみたいだし」


 お砂場で楽しく遊んでいる旭くんと光輝くんはすっかり仲良くなってしまったようだ。光輝くんが他のおもちゃを使っても、旭くんは全然気にしていない。

 光輝くんの方が月齢が上なのか、砂を形成するカップに砂を入れて遊ぶこともできるようだ。ひっくり返すのは難しくて私が呼ばれる。


「ちて!」

「ひっくり返そうね」

「あい」


 ひっくり返した動物の形になった砂を旭くんと光輝くんが一緒になって崩している。崩すのが楽しいのか、声を上げて笑っている二人がとても可愛い。


 私と旭くんと光輝くんが遊んでいる間に、私のママと光輝くんのママはベンチに座って話しをしていた。


「育児休暇が終わったばかりで、保育園になんとか光輝を入れたけれど、慣れなくて毎日泣いているし、頻繁に熱を出して呼び出されて会社を帰らないといけないし、それで上司からは『子どもなんて産むからだ』と圧力をかけられるし……」


 職場は酷い企業で、朝一番に保育園が開くのを入口で待って光輝くんを預けて、帰りは延長保育で午後九時まで光輝くんをお迎えに行けないというので、光輝くんのママは疲れ切っていた。


「夫も同じ会社に勤めていて、二人とも帰る時間は同じなんです。これでも早くしてもらってる方で、独身時代は午後十一時まで仕事なんてこともありました」


 明らかに光輝くんのママは疲れ果てていた。


 これは光輝くんのママだけではなく、光輝くんのパパにも黒い影が憑りついているのではないだろうか。

 私が子犬さんと見ると、子犬さんが心得たとばかりに走っていく。


『子どもを産んだ役立たずめ』

『会社のためにもっと働け!』

『会社に命を捧げろ!』


 無茶苦茶なことを言う黒い影に、子犬さんが飛びかかっていく。

 黒い影は子犬さんに蹴散らされて、散り散りになっていった。それだけでなく、子犬さんは光輝くんのママの後ろで死んだようになっていた猫さんを舐めて癒している。

 癒された猫さんは、きりっと立ち上がり、もう一度近付いてこようとする黒い影を全身の毛を逆立てて威嚇していた。


「そんな会社にお勤めだったんですね。大変だったでしょう」

「そう……私、光輝とも全然構ってあげられなくて」

「今が一番可愛い時期ですものね」


 頷いている私のママに、光輝くんのママが黒い影から解放されて明るい顔になっている。


「こんな可愛い時期の息子と触れ合えない会社なんて続ける意味がないわ。夫とも話します。会社、辞めよう」


 酷い会社を辞める決意が光輝くんのママはできたようだった。


「私たち、このマンションに住んでいるんですよ」

「私もです」

「旭くんと光輝くん、すっかり仲良しになったみたいだから、これから仲良くしていきませんか」

「私、保育園の時間が合わないから、ママ友もいなかったんです。嬉しい!」


 光輝くんのママは私のママの手を取って喜んでいた。

 ママのパピヨンさんも光輝くんのママの猫さんを励まして癒している。


 その日、旭くんには光輝くんという友達ができた。

 光輝くんの守護獣さんは、大きな大きな猫だった。

 携帯電話で調べてみるとメインクーンという名前が出てきた。

 とても大きな猫で、気性は穏やかで優しいとある。


 やはり小さな子には大きな守護獣さんがいるらしい。


 その後、公園で会った光輝くんのママは明るくなっていた。光輝くんは自分のお砂場セットを買ってもらっていて、それを旭くんと一緒に使って遊んだ。


「私も夫も職場を辞めました。訴えて残業代も貰いました。夫はすぐに職を探しますが、私はしばらくは失業保険をもらいながら、光輝と過ごすことにしたんですよ」

「光輝くんも嬉しそうにしてますね」

「旭くんを真似してお砂場セットを買ったんです。あれ、お気に入りで家に帰ったら洗って、水遊びしてるんですよ」

「うちもです。もう冬だから風邪を引くって言ってもきかなくて」


 光輝くんのママもパパも無事に職場を辞められたようだし、光輝くんのパパは次の職を探していて、光輝くんのママは失業保険をもらいながら光輝くんとじっくり過ごすことにしたようだ。

 私のママと話している光輝くんのママは、黒い影に囚われていたのが嘘のように明るかった。


 私は家に帰ったら光輝くんのママのことを占ってみた。

 タロットクロスを机の上に広げて、タロットカードをよく混ぜる。

 三枚のカードで見るスリーカードというスプレッドを使う。


 一枚目は、ソードの六の正位置。

 意味は、途上。

 困難な状況から脱するとか、転職という意味もある。


 二枚目は、隠者のカードの正位置。

 意味は、探究。

 理想を追い求めるとか、静かな状況で自分と向き合うとかいう意味がある。


 三枚目のカードは、ペンタクルの五の逆位置。

 意味は、困難だが、逆位置だと救いを得て希望を取り戻すという意味がある。


『光輝くんのお母さんは転職を考えたことによって、いい方向に向かっているね。力を取り戻した守護獣の猫さんによって、光輝くんのお父さんの黒い影も祓えたみたいだね。今は自分と光輝くんと向き合って、じっくりと過ごす時間が持てているよ。暁ちゃんのママが助けて、いい方向に向かいそうだね』


 子犬さんの言った通りになった。

 パパの法律事務所に事務員の空きが出たのだ。

 ママが光輝くんのママに紹介して、光輝くんのママはパパの法律事務所で働くことになった。


「時間内はきっちり働かないといけないけれど、残業はないし、光輝に何かあったら休ませてももらえるし、いい職場です。ありがとうございます」


 光輝くんのママが救われたのであれば、私も嬉しいと思っていた。

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