3.数学の先生の黒い影を祓う
幼稚園のときから塾に通っていて、小学校でもずっと授業よりも先のところを勉強しているから、私と千草ちゃんは成績はとてもいい。学年で五番以内に入らないことはないくらいだ。
そんな私と千草ちゃんに呼び止められて、数学の先生は不思議そうな顔をしていた。
その顔色がよくないと思うのは、周りに黒い影をくっ付けているからだ。
「塾の宿題で分からないところがあったんです」
「今日中に出さないといけないから、教えてもらえませんか?」
優等生の強みで勉強を聞くと、数学の先生は教室に残ってくれた。時間は昼休みに入っていて、他の生徒もちらほらと教室にいるが、私と千草ちゃんと先生を気にしているひとはいない。
塾の宿題のプリントを出すと、数学の先生が苦笑する。
「もうこんなところまで進んでいるのね。通りで生徒が授業を聞かないはずだわ」
苦笑しながらも丁寧に式を教えてくれて、その式に当てはめて問題を解かせてくれる数学の先生は親切だった。
悪いひとではないのだろう。
悪いひとではないのだが、心の中の悪魔に負けてしまった。
もしかするとこのひとも被害者なのではないだろうか。
私の頭の中をそんな考えが過る。
浮気がしたい身勝手な男に、「離婚するから」と騙された被害者。
こんなことを言えば千草ちゃんはきっと甘い考えと笑うだろう。
数学の問題を解いている間に、私と千草ちゃんにも黒い影は襲って来ようとした。
『お前、私が見えるのか?』
『生意気な子どもだ』
『何をしようとしているか知らないが、邪魔はさせない』
黒い影の声に、私は私の子犬さんと千草ちゃんの鶏さんを押し出した。
一瞬、子犬さんの体が私の背丈くらいまで大きくなる。
鶏さんは尾羽が長くなって光って、鶏ではないような姿になる。
『なにぃ!? 浄化の光だと!?』
『こっちは狼!』
『なんでこんな強い守護獣が!?』
悲鳴を上げて黒い影が消えていく。
黒い影が消えた後の数学の先生は、晴れ晴れとした顔をしていた。
「やっぱり、別れよう。あんな男、私の人生にいらないわ」
ぽつりと呟いた言葉は私にも千草ちゃんにも聞こえていた。
鼻歌を歌うようにして教室から出て行く数学の先生に、千草ちゃんがプリントを見ながら苦笑いしている。
「悪いひとじゃないみたいだけど、単純すぎて」
私たちが教えてほしいと言うのにも引っかかるし、悪い男にも引っかかっていた。数学の先生の今後がちょっと心配な私だった。
学校が終わるとママが迎えに来ていて、今日は塾に行く。
塾では授業で習っているのよりもずっと先の勉強をさせられていた。小さい頃からなので慣れているが、それでも耐えられないときがある。
お腹が空くのだ。
特に今回は子犬さんに頑張ってもらった後だから、私はお腹がペコペコだった。
塾の休憩時間に、同じクラスの千草ちゃんのところに駆け寄っていく。
「千草ちゃん、何か食べ物持ってない?」
「ICカードにチャージしてあるから、コンビニに買いに行く?」
「お願い! 後で返すから」
塾の休憩時間は基本的に外に出てはいけないのだが、一階がコンビニになっているのでそこには行っていいことになっていた。
千草ちゃんのICカードの残高を確かめて、私はおにぎりとサラダチキンを買わせてもらった。千草ちゃんは焼きドーナッツを買っていた。
教室に戻って二人で食べていると、先生から声をかけられる。
「高羽と狛野、今回の宿題、解けてたのお前たちだけだったぞ」
「それは、数学の先生に聞きました」
「まだ出てない公式を出して来たでしょ?」
「宿題の範囲を間違えたんだよ。ちゃんと先生に聞いて解いたのか。偉かったな」
数学の先生の黒い影を祓う言い訳だったけれど、私と千草ちゃんは褒められてしまった。
こんな風に、黒い影を祓った後にはちょっとだけいいことがある。それは私と千草ちゃんへのご褒美のようなものだった。
ママが迎えに来てくれて家に帰ったのは、夜九時を過ぎていた。
「お腹が空いたんじゃない? 暁ちゃんの大好きなカレイの唐揚げにしたわよ」
「嬉しい! ごめん、ママ。お腹が空き過ぎて、千草ちゃんにICカードでおにぎりとサラダチキン買ってもらっちゃったの」
「千草ちゃんにお返ししないといけないわね。カレイの唐揚げは食べない?」
「食べる!」
さすがにご飯は少なめにして、カレイの唐揚げと野菜たっぷりのポトフを食べる。カレイの唐揚げはよく味が沁みていてとても美味しかった。
「宿題の分からないところ、数学の先生に聞いたんだけど、解けてたの私と千草ちゃんだけだったんだって。褒められちゃった」
「分からないところは聞けるのはいいことね」
ママにも褒められて、私はご満悦でシャワーを浴びて部屋に入った。
寝る前に部屋でタロットカードを混ぜる。
ずっと疑問に思っていたことがあるのだ。
私の足元で子犬さんはじゃれているが、本当に子犬なのだろうか。
千草ちゃんの鶏さんも本当にただの鶏なのだろうか。
今日祓った黒い影は、私の子犬さんを狼を言っていた気がする。
タロットカードを捲ると、恋人の正位置が出る。
『私たち仲良しでしょ? 私はただの子犬ちゃんだよ?』
子犬さんの声が聞こえてきて、私は顔を顰める。
もう一枚タロットカードを捲ると、太陽の正位置。
意味は喜びだが、それよりも描かれている絵が気になる。
私のタロットカードは全部動物が描かれていて、太陽のカードは朝の目覚めを告げる鶏なのだ。
『ただの鶏ですけど、何か?』
千草ちゃんの鶏さんの声が聞こえてきた気がした。
私は霊の声は聞こえるのだが、守護獣とは話ができない。
守護獣と話をするためには、タロットカードがどうしても必要なのだ。
お祖母ちゃんも言っていた。
「霊は自分の声を届かせたいものだけれど、守護獣はひっそりと守っていたいんだろうね。あたしには守護獣が見えないひともいたよ」
私にも守護獣が見えないひとがいる。
私は守護獣は誰もが連れていると信じているのだが、もしかすると守護獣のいないひともいるのかもしれない。
私が考えていると、私の携帯電話が鳴った。
塾や習い事に行くことが多いので、私は通信を制限されているが小学校のときから携帯電話を持たされている。いわゆるスマートフォンというやつだ。
この時間に連絡してくるのは、千草ちゃんと決まっている。
千草ちゃんと私の間では通信は制限されていなかった。
「千草ちゃん、どうしたの?」
『今度の土曜日、暁ちゃんの家に泊まってもいいかな?』
「いいと思うよ。ちょっと待って。ママに聞いてくる」
通話を一度切って、私はママの寝室に行く。
寝室ではパパが眠っていた。
パパはいわゆる社畜で、朝早くから家を出て、夜遅くに帰ってくる。家にいるときは眠っているのがほとんどだ。
私がママを呼ぶとママは寝室から出て来てくれた。
疲れているパパを起こさないためだ。
「千草ちゃんが次の土曜日に泊まりたいって言ってるんだけど、いいかな?」
「千草ちゃんのママはなんて言ってるの?」
「分かんない」
私が答えると、ママはすぐに千草ちゃんのママに確認を取ってくれた。
結果として、千草ちゃんは土曜日にうちに泊まれることになった。
『ごめんね。土曜日、パパが話し合いに来るらしいのよ』
千草ちゃんは別居しているパパが関係を取り戻そうとするのを快く思っていない。千草ちゃんのママと二人で暮らすのが一番だと思っているのだ。
私のパパは仕事が忙しすぎて私に構ってくれないけれど、私は嫌いではないし、休みの日には時々遊んでくれることもあるので、千草ちゃんのような感覚はなかった。
千草ちゃんのママは千草ちゃんのパパの不倫を許していない。
それは千草ちゃんの態度からもはっきりと分かっている。
『どうして男って不倫をするんだろうね』
「女のひともするでしょう?」
『そうだった……』
数学の先生の件は千草ちゃんには少しつらいことだったようだ。
「土曜日は何をする?」
『暁ちゃん、私を占って』
土曜日の話をすると千草ちゃんの声が明るくなる。
千草ちゃんがずっと笑っていられればいいのにと私は思わずにいられなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます