20.歌とダンスの教室の発表会
ロミオとジュリエットには、有名な楽曲が幾つも使われている。
私たちの発表会は一時間の公演なので全てを歌うことはできないが、「エメ」や「世界の王」は歌とダンスの教室の先生たちは外さなかった。
歌とダンスの教室には女子の生徒しかいない。
その中でも男役をやっていくのだが、私と香織ちゃんの他にも高校生の生徒さんが男役だった。
人数も少ないのでキャストも省いて簡単なストーリーにしている。
「『エメ』とはフランス語で、『好きだ』『愛する』という意味になります。ロミオとジュリエットが教会で結ばれるときに歌われます」
「ロミオとジュリエットはイギリスの作品で舞台はイタリアなのに、なんでフランス語なんですか?」
「最初に演じられたのがフランスだと言われています」
私たちがするのは演じることだけではない。
演目の意味を知り、歌と歌詞の意味を知り、学んでいくことだ。
これは中学校に通っているだけでは学べないことだった。
生徒さんは私よりも年下の子たちが多いので、衣装作りも台詞を覚えるのもお母さんたち頼みになる。台詞がなくて舞台に立って踊るだけの子もいる。
それでも歌とダンスの教室の全員で作り上げる発表会だ。
発表会の当日は春休みになっていた。
春休みになって離乳食を始めた旭くんは、食欲がすごくて、既定の量ではまだ欲しいと泣くようになってしまった。
減っていく離乳食のお皿を見て泣く旭くんは賢い。食べると美味しいけれど、減ってなくなってしまうことをよく知っている。
旭くんの離乳食も順調で、ママとパパは離乳食の瓶を買って、それを持って旭くんと共に発表会を見に来てくれる。二人揃って見に来てくれるなんて思わなかったので、私も気合が入る。
「暁ちゃん、聞いて。ママ、新しいパパと籍を入れたのよ」
千草ちゃんのママの方の籍に入ったので、千草ちゃんは狛野のままだが、千草ちゃんには新しいパパができた。正式にピアノの先生をパパと呼んでよくなったのだ。
ピアノ教室でもこのことは公にされていて、ピアノの先生に習っていた生徒たちがお祝いにピアノ教室に駆け付けてくれたという。
「新しいパパだね。よかったね」
「今度のパパは、お酒に酔って暁ちゃんの家に押しかけたりしないし、不倫もしない」
それでどれだけ千草ちゃんのママが傷付いていたか知っているから、絶対にそんなことはしないと千草ちゃんのパパは誓ったようだ。
嬉しい知らせに私は浮かれて来る。
歌とダンスの教室では発表会に向けて最後の練習に入っていた。
ロミオ役の私とジュリエット役の千草ちゃんはお似合いだと言われている。
「本当に純粋で美しいカップルですね」
「高羽さんは低音がよく出るようになってきましたね」
千草ちゃんと綺麗に声を重ねるために、私は低音を必死に練習していた。私の声が低く美しく響かなければ千草ちゃんの高く美しい響きを台無しにしてしまう。
中学生で出すのは難しいだろうと言われる低音までもなんとか出せるようになっていることに、歌とダンスの先生たちは驚いていた。
「発表会ではもっと素晴らしい歌を聞かせます」
「頑張りすぎないようにね。喉を酷使しすぎないように」
まだ成長期なので喉を潰すようなことがあってはいけないと歌とダンスの先生は言う。私もそれは気を付けていた。
発表会の当日、小さな劇場の舞台を借りて、リハーサルの後に本番が開催された。
千草ちゃんと私は舞台袖で衣装を着て待っている。
ジュリエットの従兄でジュリエットを愛しているティボルト役の香織ちゃんと、ロミオの親友のマキューシオ役と同じくロミオの親友のヴェンヴォーリオ役の高校生が騒ぎを起こして、ヴェローナ太守役の先生から言い渡される。
「次に騒ぎを起こしたものは刑罰を科す!」
香織ちゃんのティボルトは高校生の演技にも、先生の演技にも負けていなかった。
続いて恋する相手を探すロミオと、貴族の青年パリスに求婚されるジュリエットの姿が舞台の上で演じられる。
ジュリエットは結婚を拒んで舞台袖にはけて、ロミオはマキューシオとヴェンヴォーリオとキュピレット家の舞踏会に忍び込む計画を持ち掛けられる。
このときに歌うのが「世界の王」だ。
乗り気ではないが出かけたキュピレット家の舞踏会で、ロミオはジュリエットと出会い、恋に落ちる。
そして、二人はバルコニーで愛を歌う。
そこまでが前半で、小さい生徒さんのために休憩が入る。
小さい生徒さんは半分が着替えて客席に行って、残り半分が客席にいたのが着替えて舞台袖に回る。小さい生徒さんたちはキュピレット側か、モンタギュー側の仲間たちなので、前半と後半で半分ずつ入れ替わるようにしているのだ。
後半は「エメ」から始まる。
ロミオとジュリエットが教会で愛を誓いあうシーンだ。
客席から赤ん坊の泣き声がしたので旭くんかと一瞬思ってしまったが、私はそのまま最後まで歌い上げた。
ロミオとジュリエットが結婚したと知ったティボルトは、ロミオを殺そうと徒党を組んでやってくる。
ロミオは止めるが、マキューシオが前に出て戦って、命を落とす。
親友のマキューシオの死に逆上したロミオは、ティボルトを殺してしまう。
香織ちゃんのティボルトはマキューシオを殺すときの狂犬のような姿も、最後に倒れて死んでいく演技も見事だった。
ティボルトの死を知ったヴェローナ太守から、ロミオは追放を言い渡される。
ジュリエットとの別れに胸が引き裂かれるようなロミオ。
別れを告げて出て行こうとすると、ジュリエットが止める。
「ジュリエット、ひばりが鳴いているよ。もう行かないと」
「いいえ、ロミオ。あれはナイチンゲールよ、まだ行かないで」
夜は明けていないと必死に言うジュリエットだが、既に夜明けは来ていてロミオはヴェローナの街を出る。
悲嘆にくれるジュリエットに、両親は貴族の青年パリスとの結婚を決めてしまう。
どうしてもパリスとは結婚できないジュリエットは、仮死状態になる薬を手に入れて、仮死状態になっている間にロミオに迎えに来てもらって共に逃げることを選ぶ。
「これ、なんで最初から一緒に逃げなかったんだろうね」
「しっ、暁ちゃん。そこは突っ込んじゃダメ」
舞台袖で小さく呟いた私に、香織ちゃんが注意する。
仮死状態になっているジュリエットを本当に死んでいると思い込んでロミオも毒を飲む。
目覚めたジュリエットが見たのはロミオの亡骸で、ジュリエットも後を追うのだった。
休憩を挟んで三十分ずつの一時間の二幕の物語。
演じ終えたときには私も千草ちゃんも力が抜けていくようだった。
舞台の上で高校生たちと肩を並べて、私と千草ちゃんと香織ちゃんも深々と礼をする。
ものすごい拍手が鳴り響いていた。
衣装を着替えてパパとママと合流すると、旭くんがご機嫌で瓶の離乳食を食べていた。
お店に売っている瓶に入っている離乳食は、家から持って来たものよりも菌が入らないように処理されているので安全だということで、旭くんがお腹を空かせて泣いたら食べさせようとパパとママは準備していたのだ。
嬉しそうに口の周りを離乳食で汚している旭くんは、それのおかげで泣かずに済んだようだった。
「暁ちゃん、すごく素敵だった。千草ちゃんも素晴らしかったわ」
「卯崎さんっていう子も、すごく迫力があったね」
「香織ちゃんとは最近仲良くしてるの。一緒に歌劇団付属の音楽学校を目指そうねって約束したのよ」
私が話すと、ママが旭くんをパパに預けて香織ちゃんのママに挨拶に行っている。
「夫と揉めて離婚して、そのせいでママ友がみんな離れて行ってしまったんです。これから仲良くしてくださると嬉しいです」
「もちろんです。暁ちゃんは香織ちゃんのことが大好きみたいです」
「香織は暁ちゃんに憧れているんです。あんな風になりたいって」
ママ友がいないという香織ちゃんのママは、私のママに話しかけられて嬉しそうだった。
香織ちゃんのママもこれまでたくさん苦労をしてきているようだ。
「千草ちゃんも香織ちゃんと友達になったって言ってました」
「千草ちゃんも! 暁ちゃんと千草ちゃんの二人に、香織は憧れているんです」
「憧れも何も、同じ教室に通う生徒で、同じ中学校の生徒じゃないですか」
千草ちゃんのママも香織ちゃんのママと話していた。
千草ちゃんは千草ちゃんのパパのところに報告に行っている。
「今までで一番うまく歌えたと思うの! どうだった?」
「とても上手だったよ。透き通った美しい声だった」
「パパの肥えた耳でも聞けた?」
悪戯っぽく問いかける千草ちゃんに、千草ちゃんのパパは唇を斜めにしている。
「プロの演技とはまた別だよ。でも、感動は同じだった。見ていて感動したよ」
最高の誉め言葉をもらって、千草ちゃんも嬉しそうだった。
春休みが終われば私たちは中学二年生になる。
歌劇団の付属学校の入試まで残り二年を切っていた。
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