14.卯崎さんと千草ちゃんのママの変化
歌とダンスの教室に新しい生徒さんが入って来た。
それは千草ちゃんが誘拐された雨の日に一緒に帰った卯崎さんだった。
「卯崎香織です。よろしくお願いします」
頭を下げる卯崎さんに、私も千草ちゃんも頭を下げてから顔を見合わせた。卯崎さんは私と千草ちゃんに話しかけてきた。
「歌劇団にはすごく憧れていたの。でも、私なんかが入れるはずがないって思ってたから、挑戦しようとも思わなかった。高羽さんと狛野さんが歌劇団の付属学校を受験しようとしてるって知って、私も挑戦してみようって思ったの」
卯崎さんは私たちが頑張っているのを見て、自分もと思ったようだった。卯崎さんのママは千草ちゃんのママに話しかけて色々聞いている。
「塾はどこがいいんですか?」
「少し遠いところにある塾が有名ですよ」
「他に何を習わせた方がいいんですか?」
「ピアノはやっていますか?」
卯崎さんのママは千草ちゃんのママと友達になれそうだった。
私のママと千草ちゃんのママは、お互いに親友なので他の友達が入って来る隙がないのか、友達が少ない。
卯崎さんのママは私のママにとっても友達になれるのではないかと私は考えていた。
それに、卯崎さんのママが連れてきている女の子。年は一歳か二歳くらいだろうか。とてもご機嫌がよくて可愛くて、もう少し旭くんが大きくなったら一緒に遊べそうな気がする。
「香織が急に言い出してどうしようかと迷ったんですが、人生は一度きりしかありませんからね。香織の夢を叶えてあげたいと思ったんです」
「小さなお子さんがいるのにご立派だわ」
「高羽さんのところは弟さんが生まれたばかりだと聞きました。大変なのはどこも同じですよ」
卯崎さんのママは卯崎さんに理解があるし、優しそうだった。
卯崎さんが歌とダンスの教室に入るにあたって、私と千草ちゃんの間では少し問題が起きていた。
同年代の生徒が私と千草ちゃんしかいなかったので、これまではずっと千草ちゃんと私で組んでいたのだが、卯崎さんも入って来るとなると、話が全く変わってくる。
どうなることかと見守っていると、先生は卯崎さんに基礎を教えるつもりだった。
「バレエの基礎からみっちりと練習しましょうね。これから二年と少し時間があります。まだ間に合いますからね」
「はい! よろしくお願いします!」
歌劇団のような世界は美しく見えていても、結局、スポコンの世界なのだ。歌もダンスもものすごい運動量で、汗だくになってお腹がぺこぺこになる。
先生たちの指導にも熱が入るし、私たちもそれについていくのに必死になる。
きっと歌劇団付属の音楽学校ではもっと激しいことをするのだろう。
歌劇団付属の音楽学校に入学するつもりならば、私はしっかりと覚悟しておかなければいけなかった。
千草ちゃんのママの守護獣は綺麗で可愛いカナリアだ。鮮やかな色のカナリアは美しい声で歌う。その歌が最近変わったような気がして私は気になっていた。
土曜日に泊まりに来た千草ちゃんとそのことについて話してみる。
「千草ちゃんのママ、何かあった?」
「離婚が決まったのよ。慰謝料の額も決まって、養育費も払うって言ってる」
それで千草ちゃんの鶏さんも艶々と美しく長い黒い尾羽を伸ばしているのかと私は思う。でも、それだけではなさそうだ。
私は千草ちゃんをじっと見つめる。千草ちゃんも私のことをじっと見つめ返す。
「暁ちゃんには黙っておけないわね。暁ちゃんのママは知ってるんだけど、ピアノの先生がずっとママのことを心配してくれてて、離婚が成立したら、正式にお付き合いをすることになっているのよ」
千草ちゃんのママはずっと千草ちゃんのパパに苦しめられ続けてきたが、それを見ていて助けたいと思ってくれる相手がいてくれた。
千草ちゃんのピアノの先生は千草ちゃんが二歳でピアノ教室に入ったときから知っている仲だ。その頃には千草ちゃんのパパの不倫は分かっていて、千草ちゃんのママは千草ちゃんのパパと話し合いをして疲れ切っていた。
その過程を見ているからこそ、ピアノの先生は千草ちゃんのママを守りたいと思ってくれたのだろう。
私は机につくとタロットクロスを広げてタロットカードを混ぜ始めた。
ハートソナーというハート形にカードを八枚配置するスプレッドで見ることにした。
一枚目が現在、二枚目が近未来、三枚目が質問者の内面の印象、四枚目が質問者の外面の印象、五枚目が相手の状況、六枚目が相手の願望、七枚目が質問者の状況、八枚目がアドバイスとなっている。
一枚目の現在のカードを開くと、ソードの六の正位置が出た。
意味は、岐路。
苦しい状況から抜け出すという意味もある。
『千草ちゃんのお母さんはやっと苦しい状況から抜け出して、離婚という道を選べたんだね。これからはよくなっていくと思うよ』
子犬さんが私の膝から語り掛けて来る。
「千草ちゃんのママは苦しい状況から抜け出せていい方向に向かうって」
「よかった」
私の言葉に千草ちゃんは安心していた。
二枚目の近未来のカードは、ソードのナイトの正位置だった。
意味は、果敢。
理路整然と決断して進むという意味もある。
『離婚という道は千草ちゃんのお母さんが理性的に考えて決めたことだ。この道は正しかったと思うよ』
子犬さんも言ってくれている。そのことを千草ちゃんに伝えると、千草ちゃんの表情が明るくなる。
三枚目の質問者の内面の印象では、ピアノの先生から千草ちゃんのママへの印象を見てみることにした。
出たのはカップの五の逆位置。
意味は喪失だが、逆位置だと失ったものから得て前に進むという意味がある。
『離婚で千草ちゃんのお母さんは安定した生活を失うかもしれないけれど、それを支えたいとピアノの先生は思っているみたいだね』
千草ちゃんのママも私のママも、私と千草ちゃんに手間をかけなければいけないので、働いていなかった。千草ちゃんのママは養育費と生活費をもらって暮らしていたので、これからは生活が苦しくなるかもしれない。
四枚目の質問者の外面の印象も、ピアノの先生から千草ちゃんへの印象を見てみることにした。
出たのは星のカード。
意味は、希望。
明るい未来という意味があり、恋愛的な面では理想的な恋人、希望の持てる恋、憧れのひとという意味がある。
『千草ちゃんのお母さんはピアノの先生にとってはずっと憧れのひとだったみたいだね。理想的な相手になると思うよ』
子犬さんの言葉を、私は千草ちゃんに伝える。
「ピアノの先生は千草ちゃんのママの理想的な相手になるって」
「本当? ママ、パパと別れるのも時間がかかっちゃったから、すごくパパのことを見切りを付けられなかったって言うか、パパに未練があったわけじゃないけど、切り捨てることができなかったのよ」
千草ちゃんのママは離婚することに恐怖を持っていたようだ。それを振り払えたのはピアノの先生の後押しがあったからかもしれない。
五枚目の相手の状況を見ると、ソードの十の正位置が出た。
意味は、岐路。
自分の弱さも置かれた状況もすべて受け入れて、一歩踏み出す暗示である。
『自分に自信がなかったみたいだけど、千草ちゃんのお母さんが離婚を決めたことで一歩踏み出せそうになっているね。これから千草ちゃんのお母さんとピアノの先生との間に進展があるかもしれないよ』
子犬さんの言葉を千草ちゃんに伝えると、千草ちゃんの目が光る。
「うちのママも弟か妹を産んでくれないかしら」
「その可能性もないわけじゃないわよね」
「ピアノの先生なら、私、いいとおもうわ」
二歳から知っているピアノの先生なら信頼できると千草ちゃんも太鼓判を押していた。
六枚目の相手の願望で、世界の正位置が出たときには、私は歓声を上げてしまった。
「千草ちゃん、世界だよ! しかも、正位置」
「どういう意味なの?」
「完成、だけど、恋愛的な意味なら、幸福な結婚!」
私のタロットは動物が描かれているので世界のカードはクジラなのだが、そのクジラが大丈夫だと微笑んでいる気がする。これは子犬さんに聞かなくても分かっていた。
七枚目の質問者の状況では、私はピアノの先生の状況を見ることにした。
ペンタクルの六の正位置が出ている。
意味は、関係性。
相手に何かしてあげたいという意味と、相手からのアクションを待っているという意味がある。
『ピアノの先生は自分からはいかないかもしれないね。千草ちゃんのお母さんからアクションをしなければいけないみたいだ』
それはちょっと難しいかもしれない。
千草ちゃんのママは離婚を決めたばかりだし、すぐには動き出せないだろう。
「千草ちゃんのママから動かないと、ピアノの先生は遠慮しちゃうみたい」
「それなら、私たちが愛のキューピッドになる?」
「具体的にどうするの?」
「分からないけど」
千草ちゃんは分からないけれど、千草ちゃんのママを後押しするようなことをするつもりなのだろう。
それが上手くいくことを願いながら、私は最後の一枚のカードを捲る。
太陽のカードの正位置。
それは、千草ちゃんを占うときには必ず出て来る鶏さんなのだが、私には頭に浮かぶことがあった。
ベーシックなタロットカードの馬に跨った赤ちゃんの絵柄だ。
「もしかして、千草ちゃんのところにも赤ちゃんが来るの!?」
私の問いかけに、子犬さんも鶏さんも答えてくれない。
それが答えのような気がしていた。
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