13.旭くん誕生
夏休みが終わって秋になると、ママのお腹は目立ってきた。
ママはお腹が大きくなって大変そうだった。
「赤ちゃんに内臓を圧迫されてるから、頻繁にお手洗いに行かないといけないし、ご飯も胃が圧迫されてて食べられないし」
文句は言っているもののママは幸せそうに大きなお腹を摩っている。
「寝てるときも蹴られて目を覚まされるのよ。暴れん坊さんかもしれないわ」
「暴れん坊の元気な赤ちゃんが生まれてくるといいね」
暴れん坊でも元気な方がいい。
私が言うとママはにこにこしていた。
冷蔵庫を開けると牛乳がなくなっていたので、私はお財布を手にメモを作る。他にも買って来るものがないか確かめておくのだ。
「暁ちゃん、どこかに行くつもり?」
「ピアノのお教室の後に、千草ちゃんのママにスーパーに寄ってもらおうと思って」
「それなら安心だわ」
千草ちゃんの誘拐事件があってからママは私が一人で出かけるのを怖がるようになった。私ももう中学生なのだから、一人で出かけてもいいはずなのに、ママは用心するように言う。
それは千草ちゃんのママも同じだった。千草ちゃんのピアノ教室と歌とダンスの教室と塾の送り迎えは必ずするし、中学校でクラスで帰る時間が違うときにも私と千草ちゃんは片方が待っていて一緒に変えるように言われていた。
「赤ちゃんはいつ頃生まれてくるの?」
「出産予定日は十一月だけど、これだけは誰にも分からないからね」
千草ちゃんも出産予定日は四月だったけれど三月に生まれているし、私は出産予定日の四月が過ぎてもなかなか生まれなかったとママは教えてくれた。
出産予定日は過ぎることもあれば、早くなることもある。
「自然分娩でって言われているからね」
「自然分娩ってなに?」
「帝王切開じゃなくて、足の間から赤ちゃんを産むことよ」
帝王切開になると麻酔をしてお腹を切らなければいけないのだが、自然分娩でも会陰切開といって赤ちゃんが出て来る出口を切らなければいけないと聞いて私は驚いてしまう。
「赤ちゃんのために麻酔なしで切るんだけど、それに構っていられないくらい陣痛の痛みが酷くて、麻酔なしで縫われたときも平気だったのを覚えてるわ」
ママはそんな大変なことをして私を産んでくれた。それをまた繰り返して赤ちゃんを産もうとしている。
「千草ちゃんのママはそれだけ大変な思いをしたのに、生まれてからひと月千草ちゃんは病院に入院していなければいけなくて、すごくつらい思いをしたのよ。私は赤ちゃんと引き離されたくないわ」
それだけではない。
ママはあえて言わなかったけれど、私は知っている。
千草ちゃんのパパが不倫をしたのは、千草ちゃんのママが妊娠しているときなのだ。千草ちゃんのママは一人で赤ちゃんを産んで、病院にも一人で通った。
不倫をしていることが発覚した千草ちゃんのパパを近付けようとしなかった。
産後に家に帰って何度も話し合いをしたが、千草ちゃんが小学校に入る前には千草ちゃんのパパとママは別居をしていた。
ピアノの教室の後でスーパーに寄って買い物をさせてもらう。
牛乳と、豚肉と、キャベツと、納豆と、卵……色々と買い込んでいくうちにエコバッグはいっぱいになっていた。
「暁ちゃんは偉いわ。買い物までするのね」
「料理もちょっとだけできるようになったのよ」
「千草ちゃんにも見習ってほしいわ」
「私は作るくらいなら食べなくていい」
そんなことを言っている千草ちゃんに、千草ちゃんのママが苦笑している。
買って帰ったもので私はママと一緒に焼きそばを作った。お味噌汁も作って、焼きそばとお味噌汁の晩ご飯にする。
ママはこの時期にはもう悪阻は治まって、普通に食べられるようになっていた。
手の込んだ料理じゃないけれど、ママと一緒に食べる晩ご飯は美味しい。
私は料理を覚えて本当によかったと思っていた。
中間考査と期末考査が終わって、秋も深まる十一月に入ってすぐに、ママは産気づいた。
夜中に起き出して用意していた入院用のバッグを持って、パパと一緒に病院に向かう。私は千草ちゃんの家にお泊りをすることになった。
「ついに生まれるのね」
「無事に生まれるといいんだけど」
「きっと大丈夫だと思うわ」
不安になってしまう私を千草ちゃんがずっと宥めてくれる。
夜は千草ちゃんの部屋に布団を敷いてもらったが、胸がドキドキしてよく眠れなかった。
朝方に千草ちゃんのママがリビングで電話をしているのを聞いて、私はリビングに顔を出してみた。千草ちゃんのママが携帯電話を私に手渡してくる。
『暁ちゃん、生まれたよ。可愛い男の子だよ』
パパの嬉しそうな声が聞こえた。
「赤ちゃんもママも元気?」
『ママは疲れてるみたいだけど元気だよ。赤ちゃんもとても元気だよ』
やっぱり男の子だった。
ベーシックな太陽のカードに書かれている馬に乗った裸の赤ちゃんの絵柄を思い出しながら、私は思っていた。
千草ちゃんも起きてきて、眠そうに部屋から出て来る。
「赤ちゃん、生まれたの?」
「男の子だって。ママも赤ちゃんも元気だって。よかった、千草ちゃん」
「よかったわね、暁ちゃん」
嬉しくて千草ちゃんに抱き付いて私はちょっとだけ泣いてしまった。
お祖母ちゃんからも言われていたけれど、出産は命懸けだ。
「ママが死んじゃったらどうしようって思ってた。赤ちゃんも死んじゃったり、病気だったりしたらどうしようって思ってた。元気でよかった」
抱き付く千草ちゃんよりも背が高い私を千草ちゃんは撫でて宥めてくれていた。
「無事でよかったわね。おめでとう、暁ちゃん」
「ありがとう、千草ちゃん」
その日は私は中学校が終わると塾をお休みして病院に行った。病室ではママが赤い頬で眠っていた。私が病室に入るとママは怠そうに目を開けた。
「ほっぺたが真っ赤でしょう? 赤ちゃんを産むときにいきむから、頬の毛細血管が切れちゃうのよ」
「それだけ頑張って産んだんだね。赤ちゃんはどこ?」
「新生児室にいるから、連れてきてもらうわ」
新生児室から赤ちゃんが連れて来られると、廊下で待っていてくれた千草ちゃんも千草ちゃんのママも病室に入って来た。
「月穂ちゃん、本当に頑張ったわね」
「千枝ちゃん、無事に生まれたわよ」
「本当によかった」
千草ちゃんのママは私のママを労っていた。
千草ちゃんと私は赤ちゃんの入った透明な籠のようなものを覗き込んでいた。
ふやふやの小さな赤ちゃんが眠っている。
手も足もものすごく小さくて、指が五本あるのが奇跡のようだ。
「小さいね、千草ちゃん」
「可愛いわ、暁ちゃん」
「千草ちゃんのことも『ねぇね』って呼ぶんだよ、きっと」
「そうだと嬉しいな」
まだ喋ることのできない赤ちゃんを見ながら未来のことに思いを馳せる。私はとても幸せだった。
赤ちゃんの名前は
旭くんはよく眠る子だった。
新生児は神経質な子はなかなか眠らなくて子育てに苦労すると言うが旭くんはそんなことは全くなかった。
おっぱいを飲むとすぐに寝てしまって、その後二時間はぐっすり寝て、起きてまたおっぱいを飲んでオムツを替えてもらって、また眠る。
パパもすぐに育児休暇の手続きをして、旭くんが産まれて二日後からは休めていたが、生活は落ち着いていた。
パパが三食食事を作ってくれるようになったので、私はお料理を少し休めるようになった。
中学生活と、歌とダンスの教室と、ピアノの教室と、塾に、料理もするのは大変だったのでパパがしてくれるのはとても助かった。
塾や歌とダンスの教室やピアノの教室には、千草ちゃんのママが以前通りに連れて行ってくれていた。
私は帰りにお買い物をするくらいのお手伝いでよくなった。
「暁ちゃん、旭くんが泣いてる。オムツを見てくれる?」
「分かった!」
その代わりに旭くんのお世話が私の生活の中に入って来た。
旭くんのオムツを替えるのも、お尻を洗うのも、最初はおっかなびっくりだった。
「足が取れそうで怖いよ」
「お尻を支えてあげるんだよ」
「お尻が上手く拭けない」
「そういうときは洗ってあげて」
パパとママに教えてもらって、私は少しずつ旭くんのお世話に慣れてきた。
眠りながらふにゃっと笑う旭くんは可愛くて、私はこの弟を大事に守りたいと思っていた。
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