10.私の成長

 中学校が夏休みに入っても、私と千草ちゃんと香織ちゃんは忙しかった。

 塾は最終局面に入っていて、三年生の授業でやる範囲は全部終わっていたので、週に一回になっていたけれど、歌とダンスの教室がその分増えていた。ピアノの教室も週に一回になっている。それ以外のときはずっと歌とダンスの教室で練習をする。


 面接の練習、譜面読みの練習、ダンスの練習、歌の練習……やることは毎日積み重なっていった。

 汗だくになって午前中の練習を終えて、お弁当休憩を挟んで午後の練習に入る。


「熱中症になりやすいですから、喉が渇いたと思う前に、定期的に水分は摂取してくださいね」


 歌とダンスの教室の先生たちは、生徒の体調も気遣わないといけないので大変そうだった。


 これだけみっしりと練習が入っているのは、今年度受験の私と千草ちゃんと香織ちゃんだけで、他の生徒さんたちは週に一回か二回の午前中か午後の練習に来ているだけだった。

 沙織ちゃんも週に一回、午後の練習に来ている。


 私と千草ちゃんと香織ちゃんに関しては、厳しくカリキュラムが組まれていた。


「もうだめ。お腹が空いて死にそう」

「暁ちゃん、途中で何か食べさせてもらう?」

「そんな暇ないのよ」


 歌とダンスの教室が終わるとお腹が減りすぎて、動けなくなってしまう私をママは心配していた。

 お弁当は食べているのだが、運動量がそれを上回っている。

 途中でお菓子でも食べられたらいいのだが、食べながら踊れるはずがないし、歌えるはずがない。

 できるのは水分補給くらいだ。


 ママはフッ素コーティングされた水筒を買って来てくれて、そこにスポーツドリンクを入れてくれた。

 暑い中に飲む冷たいスポーツドリンクはとても美味しいし、身体への吸収もよい。何より、その甘さが私のお腹をわずかながら満たしてくれた。


 家に帰ると、私はご飯をお茶碗に山盛りにして食べてしまう。


「暁ちゃん、体重の増減も自己管理の内よ?」


 ママに言われるのだが、お腹が空くのはどうしようもない。


「お腹が空き過ぎて、夜に起きちゃうんだもの」

「ご飯は百五十グラムまでにしなさい」


 ママが量って私のご飯を盛り直す。減ってしまったご飯に私は寂しさを覚えつつ、晩ご飯を食べた。


 私の身長が伸びていることを指摘したのは香織ちゃんだった。


「私も背が伸びたって言われるけど、暁ちゃん、更に伸びたんじゃない?」

「そうかな?」

「暁ちゃん、背比べしてみようよ」


 私と香織ちゃんが背比べをして、それを千草ちゃんが見る。


「暁ちゃんの方が数センチ高いわ」

「私が百六十八センチだったから、暁ちゃん、百七十センチを超えてるんじゃない!?」


 香織ちゃんに言われて、私は自分の身長が知りたくなった。

 

 家に帰ってからママにお願いして、背の高さを家の壁に付箋で印をつけてから、そこまでの距離をメジャーで測る。

 私の身長は百七十一センチあった。


「ママ、お腹が空くはずよ。私、背が伸びてるんだわ」

「それじゃ、暁ちゃんの体重が増えているのは、背が伸びているからなのね」

「そうよ。体型は崩れてなかった」


 身長が伸びていることを確認してから、ママは私が食べるご飯の量に文句をつけなくなった。

 私は安心してご飯をたっぷり食べられるようになった。


 私のお昼がお弁当なので、旭くんも家でお弁当を食べているようだ。

 おままごと遊びでお弁当箱にぎゅうぎゅうと具材を詰めて私のところに持ってくる。


「ねぇね、いってらったい」

「ありがとう、旭くん」


 ママが私にお弁当を渡して「行ってらっしゃい」と言うのを旭くんは見ているのだろう。真似する姿がとても可愛い。


「旭くんは大きくなったらどんな子になるんだろう」


 私は旭くんの将来が気になる。

 私は歌劇団に入って舞台に立つ未来しか見据えていないが、旭くんは男の子だから歌劇団には入れない。

 沙織ちゃんがあの年で歌劇団に入るという夢を持ったのと同じ夢を持っても、旭くんには叶えられないのだ。


「旭くんは大きくなったら何になりたい?」

「ぞうたん」

「ゾウさんになりたいの!?」

「わんわん」

「え? 犬にもなりたいの!?」


 意外な答えに私が驚いていると、旭くんは真剣な表情でこくこくと頷いていた。


「旭くんも二歳になったらピアノの教室に通わせようかしら」


 ママは旭くんもピアノの教室に通わせることを考えている。私が二歳から通っているので、旭くんも二歳になったら通わせるつもりのようだ。


「ピアノが弾けるのって人生を豊かにすると思うわ」

「私も譜面読みのときには、ピアノの練習を頑張ってよかったと思った」


 ママの言葉に私も呟く。

 譜面がこれだけ読めるのも、二歳からピアノの教室に通ったおかげだった。


「ピアノを習うんだったら、旭くんは演奏家になれるかもしれないわ」

「旭くんの演奏で、暁ちゃんが歌う未来が来るってこと?」


 ママに言われて、私は想像する。

 旭くんがピアノの演奏をして、私がそれに合わせて歌う。そんな未来が来るのならばとても嬉しい。


 旭くんは十一月生まれ。

 ピアノの教室に入学するのは十一月より後になりそうだった。


 それにしても、私は以前から気になっていたことがあった。

 それは黒い影に関してだ。

 黒い影が本人の妬みや嫉みに寄って来た悪いものだったり、悩みや苦しみで弱っているひとを更に弱らせようとする存在だったりするのは分かるのだが、元はなんなのだろう。


 こういうことは考えるよりも聞いてみた方が早い。

 タロットクロスを広げて、タロットカードを引くと、ワンドのエースの逆位置が出た。

 意味は、生命力。

 逆位置だと、一つの挑戦が終わることを示す。


『挫折したり、心折れたりしたひとの生霊じみた思念が集まっていることもあるし、それで命を落としたひとの恨みが凝り固まって現れることもある』


 子犬さんの答えに私は背筋が寒くなる思いだった。

 生きているひとの思念だけでなく、死んだひとの恨みまでこの世には残るのか。


 もう一枚タロットカードを捲ると、死神の逆位置。

 意味は、さだめ。

 逆位置になると、過去に囚われて前に進めないという意味がある。


『死んだひと……特に自分で命を絶ったひとの思念はなかなか消えることがない。それが生きているひとに憑りついて、ひとを狂わせるんだ。憑りつかれたひとは、一つの考えに囚われて進めなくなる。最悪の場合、命を絶ってしまうこともある』


 そこまで黒い影が恐ろしいものだったなんて、私も想像していなかった。

 悪いことを考えさせたり、思考が前に進まないようにさせたりするのは知っていたが、命を絶たせるまでのものだったとは。


「私はそれと戦っていかなければいけないの?」


 問いかけながらタロットカードを捲ると、節制のカードの正位置が出た。

 意味は、反応。

 二つのものの間でどうやってバランスを取るかを問うカードでもある。


『見える体質に生まれた以上は、暁ちゃんを黒い影は狙って来る。旭くんも同じだ。黒い影を祓いつつ、守護獣を見て、暁ちゃんはバランスを取って生きなければいけないね』


 私だけでなく、旭くんも同じ運命を背負っていた。

 それならば私は逞しくなって旭くんを守らなければいけない。


 歌劇団の付属学校に入学したら寮に入って頻繁に会うことはできなくなるけれども、長期休みには必ず帰って、旭くんと旭くんのセントバーナードさんを守ってあげなければいけないと私は考えていた。


「歌劇団の付属学校の寮ってどんなところなんだろう。携帯電話は使えるのかな」


 携帯電話が使えるのならば、毎日旭くんに連絡をするのに。

 まだ入ったことのない歌劇団の付属学校の寮のことはよく分からない。


 旭くんを守るために私に何ができるのか。


 それは携帯電話越しに歌を届けることくらいではないのだろうか。

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